7月に日本からバンコクへ来られた「S.T.」さんの、「バンコクのフィールドワーク」のレポートです。
S.T.さんは6月の『穂高養生園』での合宿セミナーに参加されました。本業はフリーのライターで、長年「ヨーガ」やボディーワーク・呼吸法にも深い関心を持たれ、「ヨーガ」の指導もされています。
昨年南インドで「ヨーガ」のインストラクター養成コースを受講、また今年1月にロナウラの『カイヴァリヤダーマ研究所』に短期研修に来られています。
もうひとつのライフワーク....
わたしたちは「ヨーガ」をテーマにした「インド研究」がライフワークですが、同時に、アジアの国々での「ヨーガ」のプロモーション活動もライフワークです。
インドでの研究活動を続けながら、ヨーガの仕事の面では1998年からタイの大学・財団を活動の場としています。
タイランドはタイ語では「プラテッ・タイ」と言いますが、「自由な人々の国」と言う意味です。欧米に植民地化されることなく、自国民の手によって近代化と民主化を進めてきたタイには、個人の自由を尊ぶ独自の国民性があります。
そして、上座部仏教の宗教文化に基づいた「精神的個人主義」が強く、文化的にもヨーガにも親和性があります。
1998年ー2000年までは「セミナー/ワークショップ」としての単発の活動が主でしたが、2001年から政府系の「タイ健康促進基金(SSS)」の助成の対象となり、シーナカリン・ヴィロード大学人文学部哲学宗教学科とマヒドン大学看護学部との共同プロジェクトが始まりました。
2003年からはシーナカリン・ヴィロード大学で「ヨーガ」も単位取得科目となり、一般社会人向けの常設の短期・長期コースが運営されています。また、大学のキャンパス内に「ヨーガ・センター」が設立される方向です。
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S.T.さんのバンコクのフィールドワーク
(2008年7月9日ー19日)
約10日間にわたりバンコクに滞在しました。タイ・フィールドワークとして、相方先生の活動と関係のあるさまざまな場所に足を運ぶ機会に恵まれました。
主に4つの施設について報告します。
『MCB財団タイ・ヨーガ研究所オフィス』
http://www.thaiyogainstitute.com/
相方先生のタイでのヨーガ普及の活動の拠点です。2004年設立。
今年から移転した事務所とお聞きしていますが、まず目に飛び込んだのは充実したオフィス環境でした。
大型モニターのパソコンが数台並び、無線LAN対応で、不便なく使える様子。受付には、ガラスケースに展示された書籍、Tシャツ、ポスター、ネーティ・ポットなど、オリジナルの商品がずらりと並んで、販売体制もバッチリです。
また奥には、大きな釜や薬品が用意され、インドで何年も研修をつんだタイ人のスタッフがアーユルヴェーダを処方しているとのことで、非常に本格的です。
1階・・・研究所のスタッフ・オフィス、
2階・・・相方先生のバンコクの自宅兼オフィス・図書室
3階・・・多目的ホール
月1回発行のマガジンはイラストも入って非常に読みやすそうな情報誌でした(優秀なスタッフ陣がいることでしょう)。
また、ガロテ先生の本も、日本語に訳されていないものがタイではすでに翻訳され、販売されておりました。
ディレクターの『カビーさん』にお会いできました。小柄で穏やかなお人柄ですが、研究所の年間の資金調達を一手に引き受ける敏腕ぶりで、新しいオフィスの買取もすすめてくださった方です(じつは研究所はカビーさんの自宅の5軒となり)。
タイでは、こうしたソーシャル・ワーカーとして働く方たちは、社会的に、精神性の高さで認知されている背景があり、タイで行われる相方先生のワークショップではガビーさんの講義も聞ける、とのことです。
瞑想について、タイの仏教性を背景におきながら、抽象的な概念を用いることなく、わかりやすく教えてくださる様子です。
『シーナカリン・ヴィロード大学人文学部哲学宗教学科』
http://hu.swu.ac.th/cirriculum.html
シーナカリング・ヴィロード大学はバンコクの中でもトップレベルに入る優秀な国立の総合大学です。キャンパスの様子も、日本の国立大学とほぼ違いはありません(先生や学生がドレス・コード(制服)を着用しているぐらいでしょうか)。
研究室の広さも、ほぼ変わりなく、中心メンバーが数人出入りしている様子でした。
「ヨーガ」は副専攻として単位取得科目になっており、人文学部哲学宗教学科の「インド哲学科目」の中に位置づけられています。
(おもしろいことに、「太極拳」の講義も、中国哲学の中に位置づけられている様子です。こうした身体技法の学問も、人文学部の講義として存在しているのは日本との違いですね)。
さらに健康科学部ではヨーガが必修科目となっており、ヨーガの研究室では、年に一冊のペースで、授業で使える参考テキストを発行していました。ヨーガを学術的に学ぶ環境として充実している様子が伺えました。
また、社会人対象のコースが長期、短期とあり、このコースを終了した社会人が、『MCB財団タイ・ヨーガ研究所オフィス』にヨーガ指導者として登録して、派遣されることも数多くあるようです。
このヨーガ科目設立の経緯を聞いて驚いたのは、相方先生が着手された2001年からの7年間、着実に毎年、進化している点です。
2001年 社会人など外部から20人ほどで講義開始(受講料は政府系の補助金「タイ健康促進基金SSS」で免除)
2002年 マヒドン大学医学部の協力を得て、より充実した講義を実現
2003年 単位取得科目として認可(ガロテ先生講演会を開き、それが大学内の高評価につながる)
2004年〜05年 副専攻科目として認可
2006年〜07年 順調に学生数を伸ばし、当初の倍の人数の生徒数になる(今年は人数調整してクラス人数を減らす方向)
最初は体育館の片隅で、ほかの活動の邪魔にならないように小さなスペースで始まったヨーガの講義も、今では、人文学部の講義室を借り切って、外部からの社会人スタッフも交えて勉強会を開いている様子は、非常に頼もしかったです。
こうしたヨーガの社会的普及の経緯を知ると、相方先生が、最初から大学機関の中で行うことを優先してきた意図が実感されてきます。
大学で行うからこそ、中立的で学術的なものとしての普及が可能になり、医療機関に携わる人への提供もできれば、助成金を得ることで、一般への裾野を広げることもできる。
ブームや一時的な流行で終わることのない普及が実現されています。大学や研究機関の中にヨーガが導入できない日本の現情を思うと少々残念な気持ちになります。
『サティラ・ダンマ・サタン』
http://www.sdsweb.org/en/index.php
「サティラ・ダンマ・サタン」はバンコク都内の「ラームミットラ」地区にある、タイの尼僧「メイチー・サンサニット」さんの運営する近代的な瞑想センター。「タイ古式マッサージ」のセラピー・ルームも併設。「タイ古式マッサージ」を受けることが出来ます。
こちらはタイ人の現代的な宗教文化に触れる意味で訪れました。
尼僧の瞑想センターということで、子ども連れの母親が多く、幼児を広場に預けて、その隣の瞑想スペースで、50人近い人数がそろって瞑想している・・・なんていう光景がすぐ目に飛び込んできました。
子育てて一時的に疲れた主婦でもここにくれば元気を取り戻せる、しかも自身の精神の土台である宗教的な時間を過ごすことで回復できるというのだから、ここに流れている空気は、非常に穏やかです。
ワークショップが定期的に行われているらしく、参加者は、白い衣に袖を通し、皆顔つきも穏やかで、それなりに俗世とは違う雰囲気が漂ってきます。
ここは相方先生のワークショップを受けた日本人参加者が研修後、訪問する機会も多いそうです。
驚いたのは敷地内のガーデニングの美しさ。
南国らしく様々な種の樹木、花々、そして池が美しく配置され、お寺というより、どこかのリゾートを思わせます。相方先生に聞いたところ、代表の尼僧はもともとモデル・女優さんだったらしく、知名度も高く、また実業家と結婚もしていたとか・・・。
その方が出家をして、バンコク郊外に瞑想センターを作る、ということはある意味、急激に変化する経済社会の中で、現代の高所得者層にとっても通いやすい、精神の救済所を作ることが社会的に求められている、という時代背景が考えられるようです。
そして、これほど充実した施設が作れるのも、おそらくは元夫や、かつての関係者からの多額の献金を得ていなくては無理な話だろう・・・とのことで。。。
わたしからすると、芸能人が出家する、ことも驚きならば、元夫や関係団体が売名好意的な扱いで支援しているのではなく、タイの宗教文化の一旦を担って、社会的な貢献として支持し、利用者にとっても、広く一般的に開かれていて、どんな人でも使いやすい環境が整われているというのが、非常に新鮮でした(食堂ではランチが25バーツ。安い!)
ちなみに、食堂では、ワークショップで行われている講義がそのまま生放送でアナウンスされており、どこにいても精神的に落ちつくような環境が整っておりました。
ちなみにマッサージも体験しました。わたくし個人的に、ワット・ポーのマッサージ・スクールの基本コースを終了していますので、どんな腕前か試すように味わっていましたが、さすが瞑想寺のマッサージだけに大変心地よく、充実した内容で、深いリラックスが味わえました。
『ワンサニット・アシュラム』
http://www.sulak-sivaraksa.org/en/index.php?option=com_content&task=view&id=154&Itemid=145
「サティラコセーシュ・ナーガプラディーパ財団」傘下の団体で、23年前に「精神性とエコロジー」の実践のために設立。バンコクの中心部からは車で1時間30分のオンカラック地区。「セミナー・センター」としても解放され、各種のワークショップが定期的に実施、外国グループもよく訪問。
こちらは、相方先生のワークショップでお馴染みの研修センターです。よく「ちょっとワイルドな研修地」ということで相方先生も紹介されていますが、たしかに、いかだで川を渡らねばたどりつけない・・・という点は非常にワイルドです。
もともと稲作地帯でしたが、土地が枯渇し、荒れ地になっていたところを「環境保護」の地点から開拓した経緯があるようです。
循環システムを意識した植林をしたことで、それまで姿を見せなかった鳥類などが何十種類とこの地に戻ってきた回復ぶり。
こうしたエコ的な活動をしていることもあって政府からの補助金も受けやすく、宿泊施設を毎年、増設中・・・といった様子で、半年ぶりの相方先生も驚くほどの充実ぶりを見せていました。
人工の池をつくり、それも、敷地内を取り囲むような設計をすることで、建物間を移動するときには、小さな橋を数回渡るようになっています。
その都度、蓮の花の美しさに目を奪われたり、水辺の緑を堪能するなど、心落ちつく環境が、きちんと配慮されています。
わたしは、「アシュラム」というだけに何か僧侶っぽい人がいるのか?と思っておりましたが・・・あくまで研修センターのスタッフはソーシャル・ワーカー(社会奉仕活動家)の方たちでした(たしかに僧侶の方たちが宿泊もしていましたが)。
驚いたのは、ここのソーシャルワーカーの方たちの海外研修が非常に豊富なことです。提携しているヨーロッパの研修センターなどにも毎年数人は交換研修を行っているようで、わたしが訪れたときも西洋人のスタッフが何人かいましたし、研修プログラムの打ち合わせをしている外国人が何人かいました。
また、現在はビルマのソーシャル・ワーカーを数多く育成しているらしく、スタッフはその案件で多忙な様子でした。
こうしたソーシャルワーカーは、日本ではNGO(NPO)スタッフという位置づけにあたると思われますが、活動の幅の広さ、資金運営の規模において、日本とは数段の差があると思われました。
非常に精神性の高い優秀なスタッフが多くいるように思われました。
最後に・・・
じつは今回のタイ・フィールドワークの体験として、かなり印象に残ったのは、この「ソーシャルワーカーの社会的地位のあり方」ということです。
それも宗教的な背景を持つゆえの独特な地位です。
日本でいうところのNGO(NPO)のスタッフの活動とタイでは、意味合いが全然違う印象を受けました。
日本の場合ですと、福祉、健康、教育的活動など、政府が率先してルールを作り、公共活動の枠内で行われることが多いかと思われます(介護などは、うまくいっていない例の最たるものかもしれません)。
一方、タイでは、社会整備において外部への委託が多く(相方先生のタイ・ヨーガ研究所も健康・教育的活動の位置づけで、政府から委託されて補助金を得ている、と考えられます)それゆえ、ソーシャル・ワーカーが政府からアウトソーシング(委託)され実質的な社会整備を行うことにより、社会に与える影響度も非常に大きいと考えられます。
それも政治家とは違った次元で「理想的な精神性を提示するシンボル」として注目される面がある、ということがその特徴です。
これは日本と大きな違いです。
相方先生の「タイ・ヨーガ研究所」のスタッフも、ある意味、ソーシャル・ワーカー的な立場だと思われますが、英語をあやつる彼らは、一般企業からみても有能な人材です。
金銭的にも、企業でもっと高額を稼げる機会は得られるはずです。でも、そういう人材が、それでもソーシャル・ワーカーをやるのは「そのほうが、人生にとって意義があることだから」と普通に言えるのが、タイの文化の大きな特徴だと思われます。
もう少し詳しく言うと、個人的なレベルで「意義がある」というのではなく、社会的に認知されたレベルで、精神的に成熟した活動をするから「意義がある」ということを、みんなが意識のどこかで共有している社会だということです。
この背景にあるのは圧倒的な宗教観です。
相方先生曰く、「多くの人が早く仕事を引退して、宗教的な修養をしたいと望んでいる」側面があるらしいです。
聞けば、ある程度裕福な人になると郊外のお寺にセカンドハウスを持って、そこで瞑想にふける人も数多くいるとか。
また、公務員は研修としてお寺に1ヵ月間滞在することも多いとか。医学部生も医者になるのに、お寺で瞑想研修を受けることもあるとか。。。
社会の中に、徹底して、通常の生活の営みと違うレベルで精神性を尊ぶ意識が根づいていることを実感しました。
そんな社会では、ソーシャルワーカーという仕事は独特な精神的なシンボルになりえるのだと思います。
尼僧の瞑想センター『サティラ・ダンマ・サタン』で販売されている書籍類を見ると、著名な仏僧の著作とともに、多くのソーシャル・ワーカーの方の本も販売されています。
僧侶だけでなく、ソーシャル・ワーカーも現代の精神性モデルを提示する重要な役割を果たしているのでしょう。給料は決していいとは言えない状況らしいです。ですが、圧倒的に社会に浸透した「精神的な活動家」としての立場があるのです。
そして・・・
今回、相方先生の活動を通じて知り合った方たちは、ほぼすべて(タイ・ヨーガ研究所のスタッフ、シーナカリン大学の講師や協力者、サティラ・ダンマ・サタンで働く人々、ワンサニットアシュラムのスタッフたち・・・)ある意味、そんなソーシャル・ワーカーとしての立場で活動している方ばかりでした。
単に「労働」としてその仕事をしているのではなく、ある種の高い次元の精神性とつながっているゆえにあえてそこに奉仕している、そしてそれは個人の枠を超えて社会的に(もしくは普遍的に)共有されている意識なのだ、・・・という自覚のもとでやっている。この事実が、じょじょに私にも感じられてきました。
これは、大きな発見でした。こういう生き方をタイの社会は認めているのです。
こうなると・・・振り返って思うのは、こういうタイの社会でヨーガを実践する、関わるということは、やはり何か、日本でやるのとはちょっと違うのだろうな・・・ということでした。
彼らには宗教的なゴールが明確にあり、おそらくヨーガをやることはただ「気持ちいい」だけでなく、宗教的な何かと精神的に結びつく着地点があるはずです。
(それはきっと、瞑想で味わう心の静止観に通じるところであり、人生の生き方に転化できる具体性が伴うものかもしれません)
「ヨーガをしていれば、自分が理想とする宗教的な何かのイメージと結びつく、それゆえ、自分にはヨーガをやる意義がある」と明確に感じる意識構造がタイにはあるんじゃないか・・・と。
相方先生はそこを上手に見抜いて、タイ人が求めるヨーガのエッセンスを提供しているのだと思います。
そうなると考えたいのは、日本人の我々にとってヨーガを通じて感じる精神的な着地点はどこにあるのか、ということです。宗教的な足場をそれほど強く持っていない文化において、ヨーガをやることで、わたしたちは何を感じているのか?
・・・ちょっと、話が大きくなりすぎたでしょうか。しかし、わたしは今回のタイで一番そのことを考えたくなりました。
流行のスタジオやフィットネスではダンスと合体したヨーガとか、ボールを使ったヨーガとか・・・そういった目新しいアメリカ式プログラムも出てきます。おそらくは、(ほかのフィットネスプログラムがそうであったように)時期がきたら、これらは消えていくのでしょう。
こういう一時的なヨーガとは違うレベルで、「一生を通じてやるヨーガ」を求める声も多くなっている事実が日本にもあると思います。
わたし自身も、その一人です。そんなとき、自分の中で「なぜヨーガをやるのか」という精神的なレベルでもっと核となる何かを感じたくもなります。
ただ「気持ちいいから」「心が落ち着くから」という表現だけでない、自分のアイデンティティーと関わる何かを見つけたくなるのです。
この点が、じつはわたしが相方先生の「ヨーガとアジアの精神性」の活動に期待している原点です。
アジア各地の精神性には、インドに原点を持ちながら、派生した宗教観や文化が色濃くあり、その土地だからこそ求めるヨーガのあり方というものがあるのではないでしょうか。
ヨーガ自体、普遍性をもった技法であるのは確か。であるからこそ、その普遍性と向き合う精神性に違いが際立ってくるのではないでしょうか。
今回、タイでの経験は、その一端を見た気がします。日本とは違う何かがある、もっとも、その内実の何たるかは・・・まだわかりませんが。
ヨーガを通じて自分自身を知る、という醍醐味・・・このへんは、さらに深めてみたいテーマです。
以上、バンコク・フィールドワークの報告でした。
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