今年の「仕事期間」を終えて
相方ひでこ
ナマステ&サワディーカ!
皆さんこんにちは、お元気でお過ごしですか。
師走の日本、皆さんのところでは、どんな風景となっているのでしょうか?
インドもタイも、この時期、特に新年のお祝いをしないので、私たちも、日本の暮れやお正月の光景が懐かしく思われる今日、この頃です。
さて、このレポートは「バンコクの近況11月・12月」です。今年の「仕事期間」の総括です。
1)シーナカリン・ヴィロード大学(SWU)ヨーガ講座無事終了
私たちのバンコクでの主な仕事先であるシーナカリン・ヴィロード大学(SWU)の今年度のヨーガ講座は、11月4日(金)・6日(日)の週末合宿で無事終了しました。
今年度の参加者はいろいろと都会的・現代的ストレスで疲れて、健康面に問題がある人が多かったのですが、後半に向かって皆さん、めきめき健康になって行くのが感じられました。
やはり、伝統的なアプローチのヨーガは、誰にでも良く効くようです。最後の合宿では、例年通り、受講生全員大いに楽しんで、大いに笑って、ときどき感極まって泣いたりして、写真を沢山撮って、タイ人ならではのハッピー・エンディングを迎えました。
また、10月31日(日)・11月3日(木)の日本組の合宿セミナー「パナソム2010秋」が終わったばかりでしたので、「パナソム」の参加者2人の方がSWUコースの終了合宿にも引き続き参加され、日本に帰国されました。
そのフィード・バックは、すでにこのブログに掲載されていますので、どうぞ、そちらもご参照下さい。
2)マヒドン大学シリラート大学病院・看護学部でヨーガ講座
11月は「パナソム2010秋」とSWUコースの終了合宿の後、すぐに11月9日(火)から、マヒドン大学・シリラート大学病院に付属している看護学部で、3週間の集中講座が始まりました。
参加者は32名。男性が1名で、あとは女性です。看護学部の教授陣と大学院の学生さんが対象で、公式に看護学部としてヨーガの学習をする、というプログラムです。
いつものように、「タイ健康促進基金(SSS)」からの助成を受けて実施されました。
マヒドン大学でのヨーガ講座は、2002年に同シリラート校の看護学部、2004年にラーマティボディ校の医学看護学部で実施された実績があります。
どちらも「タイ健康促進基金(SSS)」の助成プロジェクトで、期間は3ヶ月でした。この2つのマヒドン大学の講座で、タイの医療界でのヨーガの地位が確立された、という経緯があります。
それ以降、看護学部・看護カレッジや国公立病院での活動に、ふつうにヨーガが組み込まれて行きました。
ここ数年、私たちは主にシーナカリン・ヴィロート大学(SWU)での一般公開のヨーガ講座を担当して来ました。学部の方での学生対象のヨーガ副専攻は、うちのタイのスタッフで運営されています。
近年、私たちのヨーガ講座には、フィットネス系の新興ヨーガのインストラクターが多かったので、久しぶりの本格医療関係者との仕事を、大いに楽しみました。
講義の時、参加者から熱い視線を感じるのは、アーサナやプラーナーヤーマの効果の説明をする時に、生理学的用語や医学用語が出るときです。やはり、医療のプロの皆さんは、そこに反応するようです。
逆に、古典文献に沿っての伝統的な説明には、反応が今ひとつのように感じました。
それにしても、最前列に座って、 いつも熱心にノートを取り、実習もそれなり理解してフォローしている若い大学院生の学生さんたちには、私たちも教える側として、大いに責任を感じました。
将来、専門性の高い研究職や教授職に進む学生さんたちです。ヨーガが正しく理解され、現場や本人の周辺で、適切に且つ有効に取り扱われることを願ってやみません!
ヨーガを心理学的・生理学的にサイエンスとして理解することは、現代ではとても大切ですね。 その礎を築いたのが、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所」の創立者クヴァラヤーナンダ(1883-1966)です。
大学病院の看護学部などでヨーガ講座を受け持つと、改めて、クヴァラヤーナンダの先見性と偉大さを感じます。
3)1泊2日でベトナムのホーチミンへ
シリラート大学病院・看護学部の講座の2週目の後半、私たちはヴェトナムのホーチミン市(旧サイゴン)を訪れる機会がありました。
私たちのタイのビザは毎年シーナカリン・ヴィロート大学からの招聘状で発給されていますが、11月には切れますので、一度タイ王国を出国する必要が出ます。
それで、毎年11月に周辺国を探訪することにしています。このところ、ラオスを訪ねていました。
アジアの国々の間の移動は、マレーシアにベースのある格安航空会社の「エアー・アジア(AirAsia)」が便利です。調べるとバンコク・ホーチミン便も格安ではないですか! 往復で、ひとり1万円少々。
それで、今年は念願のベトナム行き!となりました。
ホーチミンの空港に到着して、最初に驚いたのは、イミグレーションに入っても入国の際に提出する書類が見当たらないことです。
近くにいた空港スタッフの人に「入国カードはどこですか?」と聞きましたが、「いらない」と言われたのには、さらに、驚きました。
本当に、「パスポート・コントロール(入国審査)」でも、係官がコンピューターにパスポート番号と名前を打ち込んだだけで、パスポートに入国印を押して呉れました。軽く、「何日間いるのですか?」と聞かれただけです(日本人は15日間ビザ無しで滞在できます)。
どこの国でも入国審査は厳しくなるのが世界的傾向です。タイでも、入国審査時にデジカメで顔写真を撮りますし、パスポートのスキャンもしています。
ベトナムは、世界の大勢に逆行ですね。敷居を低くして、どんどん外国人に来て貰いたいのでしょうか。
今回は1泊2日の短い滞在で、表面的なことしか分かりませんでしたが、ヴェトナムの人たちの印象は、他のアジアの国のラオスやカンボジアとも異なり、勤勉に働く人たちであるように、印象を受けました。
ホーチミンの町は今急速に発展しているのでしょうか。新しいビルが建ち、道路も整備されて、活気がありました。20年前のバンコクのような感じでしょうか。
しかし、まだ車よりモーター・バイクが多く、信号も少ないので、道路を渡るのは命がけ!これは、インドに近い感覚があります。
ヴェトナム料理で有名な汁麺の「フォー」を食べましたが、町の普通のオープンの食堂で、どうも肉汁の味が強くていまいちでしたが、もう少しグレードの高いレストランなら、それなりの味なのかな?と思いました。
(タイ料理の水準と比べると、他の国も見劣りするのは仕方ありませんね!タイの水準が高すぎ、ですから)。
しかし、フランス領だったことから、フランスパンのバケット類がすごく美味しかったです! これは、同じくフランス領だったラオスの比ではないですね。本当に、洗練されて上質なフランス・パンで、バンコクにも買って帰りました。タイはパン類だけはいまいちですから。
また、ホーチミンの中央市場は品数も多く、なかなか見ごたえがありました。私たちも、インドへのお土産にヴェトナムのコーヒー豆と、よくベトナム帰りの方にいただいて、好んで飲む蓮茶(蓮の花が入っているジャスミン茶のようなお茶)や、目の前を通過した日本人団体客(日本語ガイドつき)のお買い物にまぎれて、ヴェトナム産の干し柿を500グラム買いました。なかなか上等な干し柿でした。
(ホーチミンのカフェでベトナム・コーヒー)
次回は、ゆっくりとベトナムの古都のフエや、かって海のシルクロードの要所で日本人街があったホイアン、その近くでヒンドゥー文化のミーソン遺跡を訪れてみようと思っています。
(中世までベトナムにもヒンドゥー王国がありました)。
4)タイ・ヨーガ研究所(TYI)の年次ミーティング
さて、11月25日(木)にマヒドン大学看護学部でのコースが終わって、26日(金)にラームカンへーン通りにある、うちの「タイ・ヨーガ研究所(TYI)」のオフィスに帰りました。
コース中は、看護学部の宿舎(800名居住!)の敷地内にある外国人用ビルの1フロアーを貸し切りで与えられていました。6部屋にキッチン・冷蔵庫・電子レンジやリビング・TV・エアコンも付いていて、なかなかでした。
翌日27日(土)にはシーナカリン・ヴィロート大学でうちの「タイ・ヨーガ研究所(TYI)」の年次ミーティングがありました。
うちの主要メンバーが50名くらい集まり、テーマは、「ヨーガ教師としての自分の再認識」ということで、午前中10-12時はひろし先生の基調講演。午後もひろし先生の講義が午前の延長で1時間、その後は、参加者によるパネル・ディスカッションでした。
私たちのヨーガ講座を受講して来たタイ組は、コース終了後、いろいろな方向に分かれます。
一番理想的な選択は、現在の生活の許す範囲でお寺でヨーガを指導したり、瞑想寺の瞑想コースに参加したりして、徐々に、一般の社会生活と少し離れたところに自分を置く生活に入ることです。
しかし、皆が皆、直ぐにそのようなライフ・スタイルに入れるものでもないので、自分のために続けるヨーガの方向性と、他人にヨーガを指導する者としての心構えを、さらにハッキリと確認したい、というのが関心事です。
いずれにしても、仏像が学校や職場に置かれているのが当たり前、ふつうの人たちにも、瞑想は「良いこと」「やるべきこと」として認識されている仏教国のタイ社会では、ヨーガの普及の上でも、大変スムーズに本来のヨーガの目的の方向に進んで行くのを実感します。
特に、ヨーガに来る人たちは、タイでも敬虔な仏教徒です。彼らには、ヨーガに大いなる親和性があります。
それでは、以下に、うちのメンバーについて、幾つか例を挙げてみます。
こちらは、2年間うちのオフィスのスタッフをしていたボン君です。先月、うちのオフィスを辞め正式に出家得度。生涯修行僧として生きて行く覚悟です。
こちらは、やはり出家得度して、尼僧として生きて行くことになったレナ嬢です。タイには尼僧の伝統が絶えていますが、スリランカで受戒して、タイで尼僧の復興を図っている尼寺があります。
レナ嬢は大学在学中に1年休学、その尼寺で見習い修行。復学・卒業して暫くは一般社会にいましたが、職業生活にも家庭生活にも興味を持てず出家を決意。行く行くは正式に尼僧として得度、オレンジの衣になります。
こちらは、うちのスタッフのドル君です。いずれ出家して修行僧になるつもりですが、母君の世話などがあり、まだ出家する時期ではないので、バンコクの仏教大学の博士課程に行っています。
こちらも、うちのスタッフでオッド女史です。ここ3年間私たちのチーフ・アシスタントです。3年前保険会社を退職。ご主人はマヒドン大学医学部準教授。子供なし。いずれオッド女史は僧院に入る人生計画です。
こちらも、うちのスタッフのスパポーン女史。6年前に銀行退職。3年前にご主人もIT会社退職。今は夫婦でほとんど僧院で過ごしています。子供なし。
こちらは、うちのオフィスのTシャツのモデルもやっているスタッフのムー嬢。看護師を辞め、今は瞑想センターに居るか、町でヨーガ指導という生活。瞑想センターに付属する分譲地を買い取り、自分の瞑想コテッジを建てています(インドやタイのセンターにはそういう制度があります)。
こちらは、うちのオフィスの「タイ・ヨーガ研究所」のディレクターのカヴィー氏。広告代理店勤務後、アメリカのボストン大学M.A.留学 (コミュニケーション)。帰国後マヒドン大学研究員を経てサン・サエンアルン財団マネージャー。2004年より「タイ・ヨーガ研究所」ディレクター。
近年は「アビダンマ」の研究に注力(仏教大学の通信制に良いプログラムがあります)。うちの日本組の合宿セミナーで講師もしますが、「ヨーガと仏教(アビダンマ)」についての題材を継続。もう、どこに出ても大丈夫だな、と言うレベルに来ています。
以上が、うちの回りのスタッフ・レベルの例です。
周辺のメンバーにも、いろいろな事例があります。今年9月にバンコクにオープンした新しい仏教センター「ブッダダーサ・センター(BIA)」では、毎日の瞑想のクラスに加えて、水・土曜日にヨーガ・クラスがあります。120名の参加者がある人気プログラムで、うちのスタッフが指導を担当しています。
ここの他にも、うちのオフィスはいくつかの瞑想寺と提携して、週末2泊3日の「ヨーガと瞑想」の合宿を定期的に実施しています。やはり、人気プログラムです。
どうやら、タイの敬虔な仏教徒であるうちのメンバー連は、伝統的なヨーガに大いに満足し、精神的にも、ヨーガで着実に成長して行っているみたいです。
タイでは、ヨーガで幸せになった人たちが、どんどん増えているようですね!
5)11日間の合宿セミナー「ワンサニット2010」
この「タイ・ヨーガ研究所」の年次ミーティングの翌日28日(日)から「ワンサニット・アシュラム」での合宿セミナー「ワンサニット2010」がスタートしました。
それで、すでにバンコクに到着されていた参加者の方5名も27日(土)の年次ミーティングに出席されました。
さて、今年もいよいよ「ワンサニット」での10泊11日の合宿です。28日(日)朝8時半に、うちのオフィス近くの集合場所のホテルに14名の参加者の方が、遅れることなく全員集合。
2台のミニバンに分乗して、予定通り、9時に出発、最初の目的地である、ランジット地区の瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」へ。
「ワット・パンニャーナンダラーム」は「ワンサニット・アシュラム」のあるオンカラック地区へ行く途中です。それで、「ワンサニット」で日本組の合宿があるときは、毎回、必ず「ワット・パンニャーナンダラーム」も表敬訪問することが定番です。
早めの午前10時過ぎに到着したので、昼食までに時間の余裕がありました。それで、正門近くの仏像の安置されているホールで行われていた小学生対象の瞑想クラスや、別の建物で進行中の中学生対象のセミナーを見学したり。
また、やはり仏像が置かれている屋外広場ではお坊様の法話が進行中。日曜日でお寺に来たビジターの人たちや、白い衣服を着てお寺に住み込んで修行をしている人たちが、熱心に耳を傾けていました。
昼食の後は、瞑想センターのある奥のエリアを見学。 瞑想ホールでは、20分間ほど歩く瞑想法の指導を受けました。
そして午後2時頃、お寺を後にして「ワンサニット・アシュラム」へ。45分程で「ワンサニット」に到着。
名物のいかだで運河を渡り、アシュラムの敷地内に入りました。
「ワンサニット」でも、前日まで母体の「サティラコセーシュ・ナーガプラディーパ財団」の関連団体の年次ミーティングをやっていました。
大きなイベントが終わったばかりだったので、スタッフも休暇を取っている人が多く、いつもに比べて閑散とした感じでした。しかし、その後、だんだんとスタッフも戻って来て、タイ人グループのセミナーや、欧米人のNGOスタッフともキッチンで一緒になったりと、普段の「ワンサニット」の雰囲気にも浸れて良かったです。
11日間の長丁場なので、今年はキッチンでの食事は菜食メニューに統一してもらいました。本当は、毎日朝昼夕と3回キッチンに行くのは、少し食べる回数と量が多いと思うので、1日の食事の比重はランチに置いて、朝食夕食は簡単なメニューで、麺類やおかゆ類中心にしてもらいました。
菜食でもタイ料理ですから、美味しいことは言うまでもないのですが、菜食メニューという点では、まだまだ工夫改善の余地があるようですね。
タイの人にとっては、食事は常に人生の一大事です。合宿セミナーのメニュー作りは、プログラムの企画の大きな比重を占めます!皆、真剣に献立を考えます。 本当に、食べるために生きている!かのようですね。
さて、今年もコース途中で外出の日を設けました。今年はタイ政府の厚生省内にある「タイ伝統医学研究所」を訪問しました。
広大な厚生省敷地内にあり、タイ古式マッサージ(ヌアと言います)の規格化や、昔からタイに伝わる薬草類を使った伝統医療の研究など、国の医療政策としての伝統医療の促進と啓蒙を統括しています。
バンコクの街中にタイ古式マッサージのお店が溢れるようになったのは、厚生省が伝統的なマッサージを規格化し、体系的なトレーニング・コースを始めたからです。
結果的に、職業としての多量なタイ古式マッサージ師の雇用創生も出来て、厚生省の成功した政策の一つ、と聞いています。
バンコクの前のタイ首都であり、中世の大都市だったアユタヤーには「病人がいなかった」という伝承があります。人々は、調子がわるくなると、みんな、お互いを揉んで治していた、という言い伝えです。それを、現代に復活させようと言うのが、「タイ伝承医学研究所」の目的です。
さて、最初に会議室に案内され、30分のプロモーション・ビデオを見て、その後、ビルの屋上にある博物館の見学に行きました。
博物館は5つのセクションに分かれています。時間の関係で2部屋しか見学出来ませんでしたが、薬草を作っている様子や、医療に使う道具など、
人形を使って、いろいろな当時の様子を復元しているのが分かり易くて、面白いです。
そして、一番印象に残ったのは、人体模型の内部に豆電球の経絡が付いたもので、ボタンを押すと、左鼻&右鼻、背骨の中央などから、イダー&ピンガラー、スシュムナーなどのナーディーが点滅するのが、大変面白かったです。
そうなのです、タイの伝統医学も、ハタ・ヨーガと同じく10本のナーディー理論なのです!
それは不思議なことではないですね。 中世まで、東南アジア全域は、謂わばインド文明圏でした。タイでも、いろいろな知識のルーツはインドに遡れます。
さて、博物館見学の後は、事前に予約を入れておいたタイ古式マッサージ(ヌア)のセンターに移動しました。
さすがに厚生省とあってか、マッサージの前に問診票に記入、血圧も測定されました。もちろん、特に問題のある人はいませんでしたので、そのままマッサージ室へ。
今年の「ワンサニット2010」も、ヨーガを日本で長く学んで来られている方が多く、講義が続くにつれ、今まで勉強されて来た知識が体系的に整理されて行ったようです。
ヨーガについての正しい認識と誤った認識がどこから来るのか、どこでねじれ現象が起きているか! 皆さんの疑問・不安が1回1回の講義で解消されて行き、問題点の解決策も提示されて行きました。
11日間の合宿中、参加者みんな同じところに泊り込み、毎日一緒に食事をすることで、講義時間外の話も盛り上がります。
ひろし先生の話も延々と続くので、面白い方もいれば、耳がいたい人や、耳にタコ?が出来ている人もいたのではないか、と思います。
「ワンサニット2010」のフィード・バックも、 このブログに掲載されて行きますので、どうぞお楽しみにしていて下さい。
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