ナマステ!
こんにちは、皆さんいかがお過ごしですか?
今年の日本の春は、寒暖の差が激しい気候に見舞われたようですが、皆様それぞれに桜の花の風情を楽しまれたことと思います。
こちらにも日本から花のお便りを頂きました。ゴールデン・ウィークは良いお天気に恵まれたようですね。
(リシケーシュのガンジス河にて)
1)プネーは夏本番
プネーは今夏本番、4月から5月上旬が一年で一番暑い時期です。連日40度前後と、もうPCの動きも、わたしの頭もスロー回転で、あまり複雑なことは考えられなくなっています。
わたしたちの部屋は4階建てビルの最上階にあるので、日中は窓を閉め、外の熱風を入れないようにし、カーテンとグリーンのネットで部屋を暗くし、日差しを遮断して、天井の扇風機をがんがん回しています。
日が沈むと、インドは乾燥した気候なので、夜、外は涼しい風が吹き、気温が20度くらいまで下がります。しかし、部屋の中は昼間の熱気が籠もっているので、なかなか涼しくなりません、が、わが家には、幸運にも部屋数は少ない代わりにテラスがあるので、この時期はテラスに寝るのが習慣となっています。
夕方、テラスに水を流してきれいにして、夜布団を敷き、蚊帳をはって、足元には毛布も用意して、明け方の冷気に備えます。外は本当に自然のクーラーとなって、朝は爽やかに目が覚めます!毛布を被らないと寒いくらいです。5月に入ってからは、風が吹く日が多くなり、しだいに雲も多くなって、モンスーン(雨季)前の夕立(プレ・モンスーン)が来るのが待ち遠しくなってきます。
●ロナウラで夏期6週間コース(CCY)進行中
さて、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所」の方には、5月・6月の6週間コース(CCY)に、日本から2名の男性が参加されます。この時期はインドの夏休みにあたり、コースの参加者が1・2月の6週間コースよりも大幅に増えます。学生さんが多く、賑やかです。参加者は70名少々、外国人は10名程度です。
前回1・2月の6週間コースには日本から3名の女性が参加され、無事に終了試験も通過、それぞれに「YOGA」について納得されて帰国されました。
夏のコースは、初めは暑いですが、プレ・モンスーンの夕立が来ると気温も下がり始め、過しやすくなって行きます。お二人の健闘をお祈りいたします。
2)3月-4月の北インド研究旅行
毎年、3月から4月にかけて、北インドや南インドへ研究旅行に出かけることになっています。この時期は、インドでのフィールド・ワークの時期です。
一昨年・昨年に続いて、今年も北インドのリシケーシュに行き、「ヴェーダーンタ」の「ダヤーナンダ・アシュラム」に4週間滞在しました。
プネーを出発したのは3月19日(金)です。プネー空港からデリー空港まで、午前中の便で約2時間。まず、デリーに着いたとき、3月半ばというのに「ずいぶんと暑いな!」と感じました。
例年、ムンバイやプネーに比べて、北インドの夏は1ヶ月は遅く、本格的な暑さは5月からとなります。デリーから、さらに300キロほど北のハリドワールに鉄道で移動、特急で約4時間半、そしてハリドワールからリシケーシュには「アシュラム」に頼んだ迎えの車で約40分です。
さすがにリシケーシュはまだまだ涼しく、インドの聖地で、研究と避暑を兼ねた快適な日々でした(4月10日頃からは日中は熱風となって来ましたが)。
●「ウパデーシャ・サーハスリー」
さて、わたしたちは、良く解らないものでも、けっこう楽しめる能力を持っています。能や狂言、歌舞伎と言った伝統芸能は、その最たるものですね。
インドの伝統哲学も、生きた「古典芸能」と考えると解りやすいと思います。意味が全部分かるわけではないけど、十分面白く楽しめるし、古典は、何度鑑賞しても、飽きないです。
例年リシケーシュの「ダヤーナンダ・アシュラム」では、2月-4月の春の期間に、「スワーミー・ダヤーナンダ」先生の直接指導による「ヴェーダーンタ」の講義があります。
今回わたしたちが指導を受けたテキストは、「ウパデーシャ・サーハスリー」というもので、15日間のプログラムでした。本書は日本語訳が岩波文庫に前田専學先生訳で納められています。が、日本語訳を読んだだけでは、なかなか理解するのは難解な内容です。
しかし、8世紀のインド哲学の巨人「シャンカラーチャーリア」の代表的な著作で、「絶対真作」とされている「アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)」の傑作!なのです。
言ってみれば、大学院で哲学の専門家が扱うようなハードで退屈な?主題なのですが、現代インドの生きた哲学伝統の大家・名人である「ダヤーナンダ」先生が扱うと別物になります。独特の魅力ある講義に、100名以上の受講生は1時間半のクラスに集中して耳を傾けてしまいます。
4年前、やはり、リシケーシュのアシュラムで、同じく「シャンカラーチャーリア」の代表作である「ブラフマ・スートラ註釈」の講義をダヤーナンダ先生から受けましたが(これも重要な文献で日本語訳があります)、その時も100名以上の受講生が熱心に耳を傾けました。
やはり、古典というのは、扱う先生の力量次第ですね。
●「ナーダスワラム」の楽隊
さて、リシケーシュという場所柄、「アシュラム」には色々な人たちが出入りします。今回のコース中も、何組ものゲストが見え、わたしたちを楽しませてくれました。
特に今回のハイライトは、南インドの小さな村から列車で2日半かけて、はるばるリシケーシュまでやって来た、5人の楽隊さんです。それは、「ナーダスワラム」という吹奏楽器の楽隊で「ナーダスワラム」が2本、太鼓が2つ、そして金属の鐘1つの5人組構成です。「YouTube」に動画が上げてあります。
「ナーダスワラム」は南インドの伝統楽器で、普段はお祭りや結婚式のお祝いの時の景気付けに、その場を盛り上げる為に演奏されるそうです。
初めての演奏は、室内の講義室の中で行われたものですから、その物凄い大音響に驚きました!!ともかく、音が大きいのです。
その後は2回ほど、夕方屋外で「ナーダスワラム楽団」の演奏がありました。それにしても物凄い笛の音と、太鼓も指先につめのような物をはめて叩くので、普通よりも「カンカン」と大きな音が出ます。初めは、ただただ大きな音に驚いて聞いていましたが、楽しげなメロディーのある曲や、みんなが知っている曲を演奏してくれたりして、南インド風の陽気なリズムを楽しみました。
わたしたちは、どちらかといえば、インド伝統音楽は北の「ヒンドゥスタニー音楽」よりも、南の「カーナティック音楽」の方が好きです。プネーでも「カーナティック音楽会」のメンバーに入っていて、定期的にコンサートを聴きに行っています。
南インド音楽は、ボーカルを中心に、リズムがとても明るく「陽」なのが特徴でしょうか!北インド音楽はどちらかと言えば、「陰」で、高尚な雰囲気ですね。
後で「Wikipedia」で調べたのですが、この「ナーダスワラム」は、なんでも世界で一番大きな音を出す楽器、うるさい楽器、と紹介されていました。室内で聞いたら、うるさい筈ですよね!(笑)
●「アシュラム」の通常クラス
「ダヤーナンダ」先生のコースは4月3日に終わりました。 そうすると、アシュラムはふつうのスケジュールに戻ります。アシュラムでは、専属のスワーミーによる常設のクラスが開講されています。
・カタ・ウパニシャド
・バカヴァット・ギーター
・サンスクリット語文法
・ギーター・チャンティング(読誦)
わたしたちは若手の「スワーミー・グハートマーナンダ」の担当する「バガヴァット・ギーター」のクラスとチャンティング(読誦)に出席することにしました。「グハートマーナンダ・ジ」は4年前、リシケーシュの「アシュラム」での長期コース(3年)を卒業して、最近「サニヤーシン」となり、オレンジの衣になったスワーミーです。
「アシュラム」に住んでいる修行者(サーダカと言います)には次の4タイプあります。
①普通の服を着ている人.....................ふつうのサーダカ
②白い衣・伝統服を着ている人.............ブラフマチャリー
③ピンクの衣・伝統服を着ている人........チャイタニア
④オレンジの衣・伝統服を着ている人.....サニヤーシン
「スワーミー」というのは④のタイプです。正式に出家したヒンドゥー教の出家修行僧です。①の白い衣は「ブランマチャリー」で見習い候補生・学生です。その次の②のピンクの衣の「チャイタニア」になると、準出家者で、回りも「いずれ宗教家になるひと」として扱います。「グハートマナンダ・ジ」は「ブラフマチャリー」の修行時代から知っているので、親しみを感じていましたが、
やはりオレンジの衣(出家僧が着る)を着てスワーミーとなると、私たちとは一線が引かれ、風格が出てきたのを感じました。やはりオレンジの衣の驚異!でしょうか?
3)ハリドワールの「クンバ・メーラ」
さて、今年は3年ごとにインドの4箇所を巡回して開催される「クンバ・メーラ」の大祭が、リシケーシュの下流のハリドワールで行われた年でした。それで、わたしたちも、12年振りにハリドワールで開催されることになる「クンバ・メーラ」を見物に行くことにしました。わたしたちも、「クンバ・メーラ」がどのよう行われているのか、興味津々でした。
サイトもいろいろあります。
→ http://www.zeenews.com/KumbhMela2010/
→ http://www.kumbhmela2010.com/
「クンバ・メーラ」の行われる4箇所は、次の聖地です。
・ウッタルカンド州のハリドワール
・ウッタルプラデーシュ州のアラハバード
・マッディヤ・プラデーシュ州のウジャイン
・マハーラーシュトラ州のナージック
この4箇所は、むかしむかし、不老不死の妙薬(アムルタ)の入った壺(クンバ)を神々の連合軍と阿修羅・夜叉の連合軍が奪い合ったときに、壺からアムルタが4滴地上に落ちた地点です。
それが、その後、ヒンドゥーの聖地となり、3年おきに巡回して、「クンバ・メーラ」が開催されることになったのです。今年は1月の中旬から4月末までの3ヶ月半に渡って「クンバメーラ」が北インドのハリドワールで行われています。
とにかくサドゥーが、インド全土から大量に集結する!と聞いていたので、もう、とても興味がありました。今までは写真や映像を見ただけですが、それでも迫力満点、実際の現場はどうなっているのか?
●行きは列車で
さて、期間中は、交通規制がありますので、道路事情は不確定。それで、鉄道で行くことにしました、ハリドワールからリシケーシュまで単線の支線が伸びています。各駅電車に乗って、出かけることにしました。
電車の運賃は1人4ルピー(9円)、朝8時10分発の列車は、予定ではハリドワール駅に9時に到着でしたが途中の駅で止まることが多く、結局着いたのは10時でした。インドではよくあることで、線路が単線なので、各駅停車の列車は急行列車の為に線路を譲りながら走るので、駅で通過待ちの停車をしていることが多いのです。
このことは、予測はしていたので、驚きませんでした。リシケーシュからハリドワールまで2時間掛かりましたが、動いていたのが30分、泊まっていたのが1時間半でした。車両の中は人も少なく(やっぱり道路を使う人が多いいです)、風が通って、涼しくて快適でした。
ようやくハリドワール駅に着き、駅の食堂でチャイを飲んでひと休み!それから、気合いを入れて、ガンジス河の方へ歩き始めました。駅前の通りは、車、オート・リキシャ、人力・リキシャー、タンガーという馬車の乗り物、そして、人、人でごった返していました。
3ヶ月以上の期間中でも、特に、新月や満月の縁起の良い日に、ガンジス河で沐浴する為にインド中から人々がどっと集まります。インドのヒンドゥーの人にとって、ガンジス川で沐浴すること自体、たいへん意味のあることです。
それが、「クンバ・メーラー」で縁起の良い日となると、もう、それは、それはみんな大真剣です!一気に、今までに貯まりに貯まった自分の「パーパ(不徳)」をガンジス河に洗い流し、反対に、「プンニャ(徳)」を高め、これから先の幸運と幸福を呼び込もうと、意欲満点です!特に「縁起の良い日」の沐浴は、ボーナス・ポイントが高いようですね。
わたしたちがハリドワールに行ったのは普通の日でしたので、それほど混雑していませんでしたが、それでも、ガンジス河の沐浴場では、インドの各方面から来た人たちが沐浴したり、座ってなにやらお祈りごと?をしていました。
●「サードゥー」のテーマ・パーク
それから、観光案内の地図にあった「エキジビション」というスポットに行って見ました。歩いている人の流に入ってしばらく行くと、ありました!沢山のテントが並んでいるのが見えました。
わたしたちはそちらの方向に向かい、門をくぐり、両側にテントの並ぶ真ん中の道を歩くことにしました。すると、なんと、映像でしか見たことがないサドゥーの本物が、テントの中にうじゃうじゃ居るではありませんか!!
全身に灰を塗ったサドゥー、クンダ(儀式の火を焚く炉)の前に座るサドゥー、上半身をブランコで支えて片足で立っているサドゥー、片手を挙げたままのサドゥー、etc、、、、
わたしたちが合宿セミナーで、教材として使っているビデオに出て来るサドゥーが沢山でした。なるほど、「クンバ・メーラー」中は、サドゥーは1箇所に集めて、訪問者がまとめてサドゥーを見れるようにしてあるのですね。まさしく、「サドゥーのテーマパーク」でした!
●「グル」の見本市
さて、サドゥーのテーマ・パークである「エキジビション」会場を抜けて、再び大通りを歩きました。
ともかく、やたらと目に付くのは、大きな垂れ幕の広告です。「商品」はもちろん「グル」といわれる人たちと、その教団です。だいたいハリドワールの街中に、教祖さんたちの写真が、所狭しと掛かっていました(だいたいが、見てもあまり気持ちよくないような顔ですね.....)。なるほど、「クンバ・メーラー」はサドゥーのテーマ・パークであり、「グル(教祖)」の見本市でもあるのですね。
驚いたのは、なんと、その中に日本人の「グル」の写真もあったのです(女性です)。名前も日本名で紹介されていました。結構、沢山貼られていました。そうですよね、こういう宣伝は資金力次第ですから。日本の信者さんたちから集めたお金が沢山(無駄)に使われているに違いない!と思いました。
ある意味、ヒンドゥー教は、ほんとうにこわい宗教です。ガンジス河の急流のように、なんでも飲み込んでしまいます。日常と狂気が、平気で、ふつうに共存していますね。
そういった、ヒンドゥー教のこわい側面を知らずに、ウブな日本の人がヒンドゥー教にあこがれや幻想を持つのは、実は、とてもきけんなことに思えます。ヒンドゥー教には、インドに住むヒンドゥーの人たちにしかわからない部分が多分にあります。
わたしたちが漠然と親しんでいる仏教とは、かなり違うものです。 実際に「クンバ・メーラ」の現場に立ち会ってみると、ヒンドゥー教は、わたしたち日本人にとっては、インドという遠い異国の異教なのだ、ということを改めて実感させられます。 ある距離感を保って見ることが肝心に思えますね!
●帰りは乗り合いで
さて、まだハリドワールに来て2時間ほどでしたが、もうお腹いっぱい!に感じたので、早々にリシケーシュに帰ることにしました。バス・スタンドからバスで帰ろうと思って歩いていたのですが、結局通りがかった6人乗りの大型リキシャーでリシケーシュまで帰ることにしました。
料金は1人50ルピー(110円)で平時より高めでしたが、もう十分満喫したので、乗って帰れるのなら何でもOK、その乗り合いリシシャーに乗り込みました。
タンタンと軽快なエンジン音を響かせながら道路を走ってリシケーシュのマーケットまで約1時間、そこから歩いて滞在先の「ダヤーナンダ・アシュラム」まで帰り着きました。
実質2時間余りの「クンバ・メーラ」体験でしたが、後でアシュラムから「クンバ・メーラ」に行った人たちに様子を聞くと、皆さん1-2時間程度で、すぐに帰って来たみたいでした。やはり、静かな「アシュラム」にいたほうが、平和ですから。
「なぜ、インドにはアシュラムという場所があるのか?」というのは、外のインドのふつうの世間から「アシュラム」に帰ってると実感します。ふつうの世間に隣接して、別世界・別天地を作っておいて、定期的に、静寂と平和な環境に浸れるようにしておかないと、ほんとうに、自分自身の身心を「正常」に保てないですね!
4)プネーへの帰途
4月15日早朝5時すぎに「ダヤーナンダ・アシュラム」を車で出発、デリー空港に向かい、午後の飛行機でプネーに戻ってきました。と、簡単に書きますが、インドでこの長い長い距離を移動するのに何もハプニングが無いわけはありません!
特に大きな事件ではなかったのですが、やはり、困ったことは起きました。何か起きるものです。
●移動中の出来事
リシケーシュからデリーへの移動には車を雇ったのです。鉄道の方が移動時間が短くて済むのですが、前日の4月14日が新月で、ハリドワールの「クンバ・メーラ」の縁起日で人が殺到、前後数日は鉄道の予約は一杯だったのです。
道路も「クンバ・メーラ」中はハリドワールを迂回する遠回りのルートになります。ふつうならリシケーシュからデリーまで6-7時間ですが、今回は9時間掛かりました。
さて、その9時間のドライブ中、2回目の休憩でドライバーが急にタイヤを外し始めたのです。で、「どうしたのかな?」と聞くと、「パンクをした!」と。それで、外したタイヤを道路の向かいにあった修理屋へゴロゴロと転がして行きました。
気温40度の炎天下の道路端で待つことしばらく、ドライバーは直したタイヤを転がしながら戻って来て、車に取り付けて、無事、走り出しました。やれやれ。
また、当初、ドライバーの考えでは、もっと早く空港に到着する、と計算していたようです、が、デリー市内に近づくに従って道路の渋滞が激しくなり、結局、わたしたちが想定していた午後2時ピッタシにデリー空港に到着。わたしたちは、「午後4時便のチェックイン・タイム2時までに着けばいいや」、とインド感覚でアバウトに想定しています。やはり、そうなりました。
●空港での出来事
ムンバイ空港やプネー空港と同じく、最近すっかりきれいになったデリーの国内線ターミナル。搭乗手続きを済ませ、待合いエリアのカフェテリアで昼食、出発までの時間を過しました。
今回も航空会社は新興勢力の「キング・フィッシャー」です。「UBグループ」という酒屋さんが始めた航空会社です(日本で言えば、サントリーが航空会社を始めたようなものです)。
レッドカラーのミニ・スカートの制服を着た、目が大きくて鼻筋がスーと通った、きれいなスッチーさんたちの密着サービスがあります。機内誌は、なんと芸能雑誌!映画スターのゴシップ満載。インドの国内線は、航空会社によってスチュワーデスさんの顔立ちが異なるのです!会社の方針があるのでしょう。皆さんもインドに来られた時はその特徴、違いを感じると思いますよ!
さて、ほぼ定刻で搭乗となり、飛行機に乗り込みました。この時期、学校が休みに入るので、客席はほぼ満席でした。タラップがはずされ、飛行機のドアが閉まり、離陸のため滑走路へ向かおうとしている時でした。次のアクシデントがありました。
突然アナウンスがあり、何でも乗客の1人が気分が悪いのでこれから飛行機を降りてもらう、それから、離陸手続きをやり直す、と言う説明でした。いまさら乗り込んだ乗客が降りる、ということは、預けた荷物を見つけ出したり、セキュリティの再チェックもあるので、そう簡単には飛び立てないのでは?と思いました。
すぐに1人の女性が前の出口に向かって通路を歩いて行きました。先ほどスッチーさんと話していた女性です。さて、どうなることやら。再離陸の許可を管制塔から待っている間、通路をいらいら歩く人もいましたが、大方の人は席に着いたまま、落ち着いた対応でした。
わたしたちもプネー空港に出迎えのリキシャーを頼んでいたので、うちの大家のゴレさんに電話をして、到着が遅れることをリキシャーのドライバーに伝えて貰いました。
それでも、約1時間後に、無事に離陸することが出来ました。プネー空港へ1時間遅れの、午後7時に到着しました。プネー空港に降り立つと、空気と風が変わり、ほっと安心しますね。長旅から自宅に帰って来た気分です。
5)アーユルヴェーダの体験研修
4月15日(木)にリシケーシュから戻り、その3日後の18日(日)から、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所」へ1週間の「パンチャ・カルマ」を受けに行きました。リシケーシュから帰って来ると、すでにプネーは41度!と、大猛暑となっていました。はやく逃げ出さないと.....
車でプネーからロナウラまで1時間弱、お昼前に着きましたが、やはり「避暑地」と言われるだけのことはあって、ロナウラは涼しい!と感じました。
●「カイヴァリヤダーマ」で「アーユルヴェーダ」
いつもは「カイヴァリヤダーマ研究所」は研究や仕事の関係で行くところですが、「アーユルヴェーダ」で滞在するのは初めてです。
わたしたちの、プネーのホーム・ドクターである、アーユルヴェーダ医のジャガデーシュ先生が、3年前に「カイヴァリヤダーマ」で新しく始まったアーユルベーダ部門を担当されています。それで、今回はプネーのクリニックの方でなく、ロナウラで「アーユルヴェーダ」をすることにしたのです。
→ http://www.kdham.com/yhc_ayur.html
「アーユルヴェーダ」の基本にあるのは、「パンチャ・カルマ」という伝統的な治療法です。
わたしたちが「アーユルヴェーダ」の勉強を始めた10年前も、3週間の「パンチャ・カルマ」から始まりました。また、2005年にも、プネーで短めの「パンチャ・カルマ」を受けて、体調を整えました。
昨年から、「そろそろパンチャ・カルマで浄化の時期」と薦められていましたし、わたしたちもそろそろ時期か、と思っていたので、思い切って「カイヴァリヤダーマ」に滞在してやることにしました。
ちょうど「カイヴァリヤダーマ」は1年間のディプロマ・コースが終わり、キャンパス内は残っている学生がちらほらいるだけで、とても静かでした。スタッフも、この時期休暇を取ります。
さて、わたしたちの1週間のプログラムは、次の3つの準備期のトリートメントで始まりました。
①アビヤンガ.......オイルで全身をマッサージ(手を使って)
②ポタリ.................薬草入りの布ボールに温めたオイルを浸し全身をこする
③シローダーラ...額から頭全体に温めたオイルを垂らす
まず①と③、または②と③を午前と午後の3日間続けます。
この期間中、昼食の時にオイル(ギー)をカップ一杯くらい飲みます。4日目の午前中に全身浄化の技法の「パンチャ・カルマ」。
今回は「ビレーチャナ(ハーブの薬を飲んで下痢を誘発)」でした。その日は完全に休養。午後まで15回くらいトイレに行きました。その後の2日間は回復期の「ラサ・ヤナ」として、①アビヤンガまたは、②ポタリと下記の④⑤⑥のうち2つを組み合わせたトリートメントをします。
④カルナ・バスティ.......耳にオイルをいれる
⑤ネートラ・バスティ....目の中にオイルを入れる
⑥ナーシィア...................鼻にオイル入れる
⑤⑥は、目と鼻にオイルを入れたあと、薬の煙で燻します。
ともかく、「アーユルヴェーダ」はオイルを多量に使います。オイル責めの治療法!ですね。わたしたちは日常にも「アーユルヴェーダ」的な手法も取り入れているので、今回も「パンチャ・カルマ」は1週間と短めに納まっています。
また、長年のインド生活で、インド式の「アーユルヴェーダ」に良く反応する体質になっているようです。プネーに戻っても、まだ浄化のプロセスが継続している!という感覚が2週間くらい続きます。それで、うちに帰ってからも、当分安静にして、食事や行動にも、良く良く気をつけています。
●アーユルヴェーダの講義
さて、面白いのは、ジャガデーシュ先生のお話、講義です。
ジャガディーシュ先生はニュー・ジェネレーション(新世代)のアーユルヴェーダ医です。世襲の「家業」としてアーユルヴェーダ医になったのではなく、自分の興味で「アーユルヴェーダ」の医科大学に進学し、キャリアーとしてアーユルヴェーダ医になることを選んだ世代です。
そういう背景もあって、よく勉強していますし、「アーユルヴェーダ」の理論や実践を説明することに長けています。
今回も初めに、「パンチャ・カルマ」を実行中の心構えを説明て下さいました。
○ 目的・効果の再確認
① より注意深く、より活動的に、よりからだの感覚に忠実に
② 細胞レベルでの若返り
③ 経験を通して、正しい理解をもたらし、より精神的に成熟して行く
④ 現実をよく認識し、忍耐力をもった行動
⑤ 自分の周りに起こることを、客観的に、物事を良く見る
考えをポジティブにして、「パンチャ・カルマ」期間中を過ごすように!というアドバイスです。
また、本格的なレクチャーが、昼食後と午後のトリートメントの間にありました。実は、この時間はとても眠くなるのですが、「横になって、寝てはいけない!」と注意されているので、眠気を抑えての、講義でした。
ジャガデーシュ先生も考えたのでしょう、今回は「ヨーガ」と「アーユルヴェーダ」を照らし合わせて、それぞれの立場から、心身の開発についての話して呉れたのが面白かったです。
最近は「ヨーガ」のグループの招聘で外国にセミナーに行くこともありますので、「ヨーガとアーユルヴェーダ」というトピックを膨らませているようです。
それで、「ヨーガ」の8つの部門(アシュターンガ)と「アーユルヴェーダ」の8部門(アシュターンガ)との関連というテーマで講義が進みました。
次がアーユルヴェーダの8部門と言われるものです。
① カーヤ・チキッサー(内科学)
② バーラ・タントラ(小児科学)
③ シャーリャ・チッキサー(外科学)
④ シャーラーキャ・タントラ(耳鼻咽喉科・眼科学)
⑤ ブータ・ヴィッディヤー(精神科学)
⑥ アガダ・タントラ(毒物学)
⑦ ラサーヤナ(不老長寿法)
⑧ ヴァジーカラナ(強精法)
そして、「ヨーガ」の8部門と、それらの関連です。
① ヤマ ←→ カーヤ・チキッサー
「ヨーガ」の「ヤマ」は、統合ある人格の養成のために避けるべき行動。それは、自分の重荷とならないような身心を育成する習慣であり、「アーユルヴェーダ」では「カーヤ・チキッサ」に対応する。いつも健康で「軽いからだ」を作り、維持すること。良好な消化吸収。食物だけでなく、日常生活の体験を良好に消化吸収。
② ニヤマ ←→ バーラ
「ニヤマ」は人格の向上のために積極的に守って行く方が良いルール・原理原則。「アーユルヴェーダ」では身心の成長期を扱う「バーラ」に対応。
ひとは赤ちゃんから少年期、青年期、成熟期、老年期と、それぞれのからだの成長・変化の段階にあわせて、勉強する期間、社会生活・家庭生活を営む期間、社会や家庭から離れて自分を超えた存在や神について考える、という人生の段階を送る。
その基盤作りを扱うのが「バーラ」。子供時代の生育期間に生ずる問題、無意識の形成の問題を扱う。
③ アーサナ ←→ ブータ・ヴィッディヤー
「アーサナ」は身心の安定を得るため。「アーユルヴェーダ」にも、身心の安定を阻害するいろいろなレベルの障害を取り除くための手段がある。
プージャ・瞑想(ジャパ)・宝石を身に付ける、などがインドでは行われている。
④ プラーナーヤーマ ←→ シャーラーキャ
「プラーナーヤーマ」はエネルギーの保持、老化の予防。「アーユルヴェーダ」では人間の寿命は100年間と考えるが、寿命が尽きるまで生命力が衰えず、感覚器官や行動期間が良好に機能していることが肝心。全身の生命力のバランスを良好に保つために、胸部より上の「ウルドヴァ・アンガ(上半身、特に頭部)」を集中して整える。肩・首・頭・鼻・耳・目を扱うトリートメントがある。
⑤ プラッティヤーハーラ ←→ シャーリャ・チッキサー
「プラッティヤーハーラ」は感覚器官を内部に使い、内部を浄化し、エネルギーの流れを妨げるものを取り除くこと。「アーユルヴェーダ」では、外科的手段で体内で障害をなるものを取り除いて、血液の流れや、エネルギーの循環をスムーズにして行く。シャワ・アーサナは、不随系を随意系に統合。肉体の構成要素であるマッジャやシュックラを強化する。
⑥ ダーラナ ←→ アガダ・タントラ
「ダーラナ」は集中的にひとつのことを考慮すること。そのことで、自己中心的な自意識を中和すること。「アーユルヴェーダ」では、からだを硬くさせるのは思慮の足りない食物の食べ方が生ずる毒素。こころを硬くさせるのも、思慮不足による愚かさという毒素。それらを中和し、取り除くこと。
⑦ ディヤーナ ←→ ラサーヤナ
「ディヤーナ」は、身体感覚から一時的に離脱すること。「アーユルヴェーダ」では、古いものを排出して、体の組織を新しい物に入れ替えることを促進、身体は静止したものではなく、常に流れるエネルギーであることを自覚。
⑧ サマーディ ←→ ヴァジーカラナ
「サマーディ」はエネルギーと一体化すること。「アーユルヴェーダ」では、より高レベルのエネルギーを生産性・創造性・活力として身心に取り込む。
●伝統ものは手順を踏んで
「ヨーガ」も「アーユルヴェーダ」も、同じインドの土壌・風土で積み上げられて来た伝統文化です。例えば、インドの伝統医療である「アーユルヴェーダ」では、ミルクやインド特有のギー(乳脂)や油(ごま油等)、インドに生育する薬草をふんだんに使います。
ですから、インド環境が総合的に、有利に働いてくれないと、なかなか本当の効果が出ないものに思えます。わたしたちがプネーに来た頃(20年前)、旧市街の中心にあった「アーユルヴェーダ」のクリニックを紹介され、初めて健康相談に行ったことを思い出します。
マハーラーシュトラ州のアーユルヴェーダ医師会の会長を勤められていた高名で年配のアーユルヴェーダ医の先生でしたが、まず、わたしたちが「インドにどのくらいいるのか?」ということを尋ねられました。
当時、すでに2年は経っていたでしょうか、そして、「これからも、しばらくプネーにいます」と伝えたと思います。それなら、ということで、そのベテランの先生はわたしたちを診断することにされたのです。
つまり、ここマハーラーシュトラの気候風土にある期間浸っていて、この土地の食べ物を食べている、ということが、診断の条件だったのです。
さて、わたしたち日本人にとっては、日本化した中国漢方の医療は、日本の環境に合うものになっていると思いますが、インドの「アーユルヴェーダ」は日本とは縁遠いところにあります。
「ヨーガ」と同じく、「アーユルヴェーダ」も昨今のブームで、「パンチャ・カルマ」という名前や、「シローダーラ」などの特定のトリートメントだけが世の中に広まってしまった!という状況は、何でもかんでもビジネスになればよい!という人たちにとっては好都合でしょうが、あまり歓迎されることではありませんね。
よく聞く話ですが、インド観光旅行中に、泊まったホテルで、「アーユルヴェーダ」の「アビアンガ(オイルマッサージ)」や「シローダーラ」だけを体験する!というのは、ほんとうはからだに良くない行為なのです。
本来、それらは一時的にからだのバランスを崩すものですから、トータルなトリートメントとして実行されないと、本当の意味も効果も得られないと思います。
「アーユルヴェーダ」は、インドでは本格的な医療行為ですから、それなりの心構えと、準備が必要なのです。もちろん、わたしたち日本人にも、手順を踏んでアプローチして行くことで、インドで育った伝統医療の効果を得て、また、インド的な「日常の過ごし方・考え方」に触れることでも、良い変化が期待出来ます。
この3月に、「カイヴァリヤダーマ研究所」で、2週間のプログラムで「パンチャ・カルマ」を受けられた日本の方がいます。神戸でヨーガの活動をされている方ですが、10年前に、わたしたちが初めて「カイヴァリヤダーマ研究所」で実施した日本人対象の1週間のセミナーに参加されて以来、着実に、ヨーガとヨーガに関連する分野の勉強を継続されています。
昨年は、わたしたちのアドバイスで、インドに3週間の研修に来られ、ウルリカンチャンの「ニサルゴプチャール(自然療法)・アシュラム」に3週間滞在、「アーユルヴェーダ」の対極にある「自然療法(ナチュロパシー)」の体験学習をされました。その結果、今年の「アーユルヴェーダ」でも、良い結果を得られたようです。
わたしたちのアドバイスの方針としては、インドの代替医療に興味がある場合は、まず自然療法から、というのが定石です。いきなりインドに来て「アーユルヴェーダ」の「パンチャ・カルマ」を体験するのは、いろいろな面でリスクがあります。
どの分野でも、そこの土地と文化を背景にして成り立っているものには、段階的に、時間をかけて、アプローチしていく事が大切に思えます。
やはり、最終的に望ましい結果を得るには、急がば回れ!ですね。長い時間を経て伝承されて来た伝統ものに、近道はない!と思います。
6)プレ・モンスーン到来!
このレポートを書いている間に、黒い雲が出て、空からポツリポツリと。雨の匂いだけの時もありましたが、そろそろ夕立も何度か降り、気温も少し下がり、少しは涼しくなりました。
夕方から雨が降り出すと、テラスにベッドは作れません。5月に入って、早朝4時ごろに、急に雨が降り出し、急いで布団を中に入れた日もありました。(笑)まだ、日中は日差しが強いですが、確実に、天候は雨が降る気圧に変って来ています。
今年の雨季も、農作物やわたしたちの飲料水の為にも、適度に潤う雨が、しっかり降って欲しいと思います。
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