2011年11月9日水曜日

アジアの精神性とヨーガ2011(5)

ベトナムのホイアンとミーソン聖域を訪ねて
期間:10月23日(日)ー25日(火)

「アジアの精神性とヨーガ2011」のシリーズです。

先月、バンコクに50年振りという大洪水の危機が迫る中、10月23日(日)・25日(火)の2泊3日の日程で、 中部ベトナムの古都ホイアンと、ホイアン郊外のミーソン聖域に短期のフィールドワークに出かけました。 

ホイアン広域maps

ウエブ・アルバムのPicasaにフォト・アルバムが創ってあります。 
「2011VIETNAM_Hoian/Myson」 
 
  
● 世界遺産のホイアン

ホイアンは、ベトナム中部の中堅都市ダナンの南30キロ、トゥボン川の河口に位置している古い港町です。

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かってホイアンは、海のシルクロードの重要な拠点のひとつでした。16世紀末から19世紀まで国際貿易港として繁栄、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航、朱印船貿易の時代には大規模な日本人街もありました。

その後、江戸幕府の鎖国政策により日本人の往来は途絶えてしまいましたが、今でも当時の日本人街の痕跡が残っています。

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ホイアンは、港町として繁栄した頃の古い町並みがそのままに残されていることで、ユネスコの世界遺産に登録されています。

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川沿いの港跡は、伝統的な雰囲気を残しながら観光地として整備されていて、静謐で、開放感のある、とても気持ちのよい空間となっています。

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日本との交易が盛んだった頃は、琉球王国から交易船もホイアンに頻繁に訪れていたようです。

ホイアンからは、沖縄が見えます。2009年と今年2011年5月に、沖縄の久高島での合宿セミナー「沖縄編」を実施して以来、ベトナムのホイアンを訪ねてみることが課題でした。

沖縄の久高島出身の船乗りも、このホイアンの港に交易船を横付けしていたことでしょう。 ホイアンは、海のシルクロードの拠点として、日本と東南アジア → 南アジア → 西アジア → ヨーロッパを繋いでいた港町です。

当時の面影に触れると、心躍るものがあります。オリエンタル情緒満点のホイアンは、歩いて愉しい町です。 アジア好きのひとには、たまらない魅力でしょう。

今回の宿泊先は、このグループのゲストハウスでした。
Thanh Binh I Hotel

散策した範囲では、河に面した宿が良さそうです。例です。
Longlife Riverside Hotel

また、むかしの富商の家屋を改造してホテルにした ヒリテージ・ホテル(Heritage Hotel)がいくつかあるようです。

食事も、ベトナム料理には独自の魅力がありますね。タイ料理よりシンプルですが、タイのナンプラーと同じく魚醤のニョクマムを使いますので、親しみやすい味付けです。

また、ベトナムは旧フランス領であったこともあり、ベーカリーとカフェが充実しています。 フランスパン・クロワッサン・ケーキ類は本格派です。

ベトナム珈琲での休憩も楽しいですね。 町に独特な薫りがあります。このあたりは、高価なお香として重宝される沈香(じんこう)・伽羅(きゃら)の主要産地でもあり、その交易でも栄えました。


ミーソン聖域

ホイアンも歴史と文化の凝縮した魅惑のスポットですが、今回のベトナム・フィールド・ワークの本命は、ホイアンから45キロ内陸にあるミーソン聖域を訪ねることでした。 

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ミーソン聖域は、中世にベトナム中部で900年間存続した、 ヒンドゥー教・大乗仏教のチャンパ王国(サンスクリット名 チャンパープラ / チャンパーナガラ)の遺跡です。 

ミーソン聖域は、 (サンスクリット名シュリーシャーナバドレーシュヴァラ) チャンパ王国の主力宗教(ヒンドゥー教のシヴァ派)の聖域であり、 聖山マハーパルヴァタを望む谷間に展開しています。 

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かって中世には、東南アジアには、いくつものヒンドゥー・ 大乗仏教王国が存在しました。南タイのドヴァーラヴァティー王国、 カンボジアのクメール王国、インドネシアのシュリーヴィジャヤ王国 などが知られています。

ベトナムのチャンパ王国もそのひとつで、シュリーヴィジャヤ王国や クメール王国と覇権争いを繰り広げていました。

ある意味、当時の東南アジアは、今のインド共和国よりも インドであった、と言えるかも知れないですね。古代・中世のインド文明圏の一角を占めていました。

ミーソン聖域には、7世紀から13世紀にかけて建築された レンガ作りの遺跡が残っています。比較的小さいスポットです。

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ベトナム戦争当時、ミーソンはベトコンの隠れ家にされたので、 アメリカの空爆で後に世界遺産に指定される遺跡群が、 かなり破壊され、今は少し残念な状態です。

しかし、900年間に渡ってチャンパの聖地として守られて来たミーソン渓谷は、自然の気が凝縮しているスポットです。 ちょうど、太極拳のグループが来てまして、気分が出たようで、 メンバーの皆さんが太極拳を舞ってました。 「気」の世界の人たちには、たまらない地勢なのでしょう。 


チャンパの美術品については、ダナンにフランス時代に作られた博物館があります。 チャンパで独自に発展したヒンドゥー・大乗仏教の美術が研究・展示されています。
「チャム彫刻博物館(Danang Museum of Cham Sculpture)」


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遺跡のボリュームと壮大さでは、カンボジアのアンコールの比ではないですが、チャンパには、独自の煉瓦建築の技術が あったようです。

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チャンパ王国を築いたのは、 インドの叙事詩『マハー・バーラタ』で、パーンドゥ陣営側の武将の 「アシュワッターマン」の末裔、と言われています。

マハー・バーラタ戦争で敗北した側のアシュワッターマン一族が、 はるばるベトナムまで落ち延びて来たのでしょうか。 マハー・バーラタ戦争の戦場だったクル・クシェートラは、 今のデリーのやや北です。

マハー・バーラタ戦争の年代ですが、紀元前10世紀説があります。 『マハー・バーラタ』に記述がある星座の配置から試算された
ものです。

ヒンドゥー暦では、マハー・バーラタ戦争の終結時期から、 「カリ・ユガ(末世)」の時代に入った、とされています。

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その後、チャンパ系の王国は滅亡しました。今はその末裔のチャム族の人々が、少数民族として残っています。今のチャム族はほとんどがイスラム教徒です。

今のベトナムは、90%がベト族の人々です。文明圏としては、中国文明圏です。かってのベトナムは、インド文明圏と中国文明圏が接する最前線だったのですね。 

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ヨーガやインドに興味を持つ方は、東南アジアの、かつてのヒンドゥー・大乗仏教圏について見聞を広めることが有利です。そのことで、日本人として、アジア人としてのわたしたちと、「インドの精神性」の伝統についての、多面的な考察を可能とするチャンネルが開かれます。知的にも、とても愉しいことです。
 
 
参考文献
 
アジアにおける「インドの精神性」の伝統のフィールドワークに出かけるときには、次の書籍を手引き書としています。 ビルマ、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、インドネシアが 広範囲にカバーされ、全体像を把握する良い手助けになります。 

東南アジアの美術  
東南アジアの美術 [単行本] フィリップ ローソン (著)
永井 文/白川 厚子/レヌカーM (翻訳) 単行本: 421ページ
出版社: めこん (2004/03)
ISBN-10: 4839601720
ISBN-13: 978-4839601720
発売日: 2004/03
 
内容(「BOOK」データベースより)
本書では、西欧に蓄積された知識の系譜に沿って、1960年代の現地 ナショナリズムと西欧の野心の磁場であった「東南アジア」を美術フロンティア として指し示し、その美を鑑賞するロードマップが描かれている。
 
内容(「MARC」データベースより) 甘美な肉体美が壮麗にして豪華な表現を与えられ、歓喜と悦楽が豊かな 想像力と聡明なる叡智に支えられている東南アジア美術の独自の美しさを、 図や写真を豊富に用いて詳説する。インドシナからビルマ、ジャワとバリまでを網羅。


アジアの精神性とヨーガ
 
「ヨーガをテーマにしたインド研究」はわたしたちのライフワークですが、 同時に、アジアの国々でのヨーガのプロモーション活動を通じた 「アジアの精神性の探究」もわたしたちのライフワークです。

このテーマは、1998年から、東南アジアの仏教国である タイの大学や財団で仕事をするようになった過程で、自然にやって来たものです。

ヨーガは、インドの伝統的なリソースに基づいた理論と技術を 一通り押さえますと、その先は精神性という文化現象へ進みます。

近現代的には、インドにルーツがありながらも、アジア全域に 伝播した仏教の精神文化への理解が重要になって来ます。

タイ・ミャンマー・ラオス・カンボジアの国々では、南伝仏教の 一派である上座部仏教(テーラヴァーダ仏教)が現在進行形の宗教文化を形成しています。

また、歴史的には、東南アジア文化の基底には、古代から中世に かけて興隆したヒンドゥー・大乗仏教文明があります。東南アジアの遺跡に見られる大乗仏教は、ヒンドゥー教と共にインドから直接伝播したもので、中国経由で日本に到達した北伝仏教の大乗仏教とは、かなり趣が異なります。 

2007年に南インドのヴェーダーンタのアシュラムに滞在していたときに、インドネシアから届けられたばかりの木の浮き彫りを見たのです。ヒンドゥーの神々をモティーフとしたものですが、誰かよく解りませんでした。インドネシアのアジアン・ヒンドゥーですので、顔立ちもアジア顔なのです。

アシュラムの寺院のプージャーリーによると、それは、ダクシュナムルティーである、と。

この出来事が切っ掛けとなり、 インドと日本の中間に位置する東南アジアの国々には、 「インドの精神性」「アジアの精神性」についての考察を深める豊富な素材があることを悟りました。


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わたしたち日本人が、ヨーガに取り組んで行く過程で、 「アジアの精神性」の伝統に触れる機会を持つことは、新しい体験であり、たいへん有益な経験です。

特に、現在のインド共和国で直接眼に触れる宗教文化が、「インドの精神文化」の全てではない、ということを知るのは大切なステップです。

むしろ、インドを含めたアジア全域に展開したヒンドゥー・仏教の伝統を全体的に見ることで、インド起源の精神文化の本質への洞察が、さらに深まると考えられます。

そして、そのことで、自ずと、「日本の精神性」についても、多面的な観点からの理解と洞察が深まる、という構図です。また、何よりも、異国のさまざまな文化と歴史に親しんで行くことは、驚きに満ちた愉しい経験であり、自分のこころに豊かな栄養を補給して呉れるものですね。
 
 
ヨーガと精神性....
 
インドの精神文化から派生したヨーガは、わたしたち人間を構成する「こころとからだ」という2つの実体を、直接、取り扱います。人間の「こころとからだ」があれば、ヨーガが成立します。

そのため、ヨーガ自体は、どの宗教伝統にも制約されない ニュートラルな活動と考えられます。 しかし、具体的に、近代になるまでヨーガはインドの ヒンドゥー教の宗教文化の枠組みで継承されて来たため、 ある段階から先になるとヒンドゥー教の精神性という問題が 出て来ることがあります。

しかし、現代インドのヒンドゥー教の精神性は、 現代日本人の日常感覚からは、かなり異質なものですし、 いくら興味を持っても、十分に消化出来ない部分があります。

むしろ、過度に異国の異教であるヒンドゥー教にのめり込む ことは、人間の「こころとからだ」という実体を取り扱うヨーガの本質への理解の妨げにもなります。 従って、どうしても、ある程度日本人向けのヨーガの最適化が必要になりますが、この問題は、「アジアの精神性」という広い枠組みへと視野を広げことで、自ずと解決するようです。

アジアには「仏教の精神性」が伝承されています。 そして、インドの伝統でも、「ヨーガ」と仏教は同じルーツから 派生したものですから、「ヨーガ」と「仏教の精神性」には 幅広い整合性があります。

特にタイの上座部仏教文化はヨーガと親和性が強く、 それが、タイでわたしたちがヨーガの活動で成功している理由 にもなっています。

わたしたちも最初は解らなかったのですが、 タイで仕事をするようになり、ある段階で、「伝統的ヨーガ」とタイの「仏教的精神性」がとても相性が良いことに気が付いたのです。

そして、それは、わたしたち日本人が「伝統的ヨーガ」を理解し、消化するためにも、非常にプラスに作用することも悟りました。 タイでの合宿セミナーに参加されたことのある方はよくご存じと 思いますが、タイの仏教文化の「精神性」は日本人のわたしたちにも、とても親しみやすいものです。

ですから、タイでヨーガの合宿セミナーを実施して行くことは、 ヨーガと仏教の精神性についての洞察を深めることにも、 とても有利に働いているようです。 そして、広大な「アジアの精神性」「インドの精神性」の 領域へと眼を向けて行く、最適なチャンネルにもなるようです。



(この項続く)

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