Namaste !
みなさんお元気ですか!日本は冬から暖かい春に向かって、変りやすい気候になっていますね。
また、「さくら」や春の花の開花に心和んだり、年度の変わり目、と言うことで、気持ちを新たにされている方もいらっしゃるかと思います。
インドの気候の変化は、日本ほど激しくはありませんが、それでも気温の上昇とともに、一気に冬服を整理、真夏の服を取り出したりで、何かと洗濯物が多い時期です。(うちの近所で見かけたタタの低価格車ナノ)
1)カイヴァリヤダーマ研究所でホーリー祭
こちらプネーは、すでに真夏となっています。夏の訪れは、ホーリー祭とともにやって来ます。
今年のホーリー祭(満月)は、2月28日(日)と、例年より早めの暦になっていました。そして、ホーリー祭の翌朝、インドの人たちは色の粉や、色水を掛け合って、派手にお祭りを祝います?
ですから、ホーリー祭の翌日は、インドのたいへんキケンな日なのです。プネーの自宅に居る場合ですと、絶対部屋の外へは出ないようにしています。午前中にご近所の人たちが集まって、お互いに粉や水を掛け合うのです。
一週間ほど前から、近所のお店で色水を発射する水鉄砲が売られ初めます。今年もキケンなおもちゃが売られる季節が来たな、という風物詩でもあります。
ムンバイの日本総領事館からも、ホーリー祭中は、「むやみに群集に近づかないよう注意して下さい」という「安全情報」のメールが配信されます。
今年のホーリー祭は、ちょうど「カイヴァリヤダーマ研究所」で、日本の人たちの1週間セミナーを実施している期間でしたので、ロナウラのキャンパスで迎えました。
「キケンな日」はセミナーの2日目にあたり、日本からの参加者の人たちにも説明、十分に注意喚起!してもらいました。
その日は、スタッフとスタッフの家族や、現在進行中のディプロマ(D.Y.Ed.)・コースの学生さんたちがキャンパス内に集結し、外国人の宿舎の方にもやって来て、色粉・色水をつけ合っていました。
外界では無秩序で激しくやりあっていますが、キャンパス内は、まだ、良識が働きます。付けて欲しいくない人には少しだけ、と、ある種の節度があったように見えましたが、どうでしょうか。
それにしても、なぜあんな色粉や、色水を顔に塗られたり、服にかけられたりして、インドの人は嬉しいのでしょうか??長年インドに暮らして来ましたが、どうも不可解な謎です。
まあ、子供の頃から習慣で、「遊び」としてやっているから、童心に返って楽しいんでしょうかね。さて、ホーリー祭が終わりますと、本格的に夏が始まります。日中の日差しは、かなり強くなりますが、まだまだ、朝晩は涼しい風が吹き、ほっとします。
2)「カイヴァリヤダーマ研究所」で日本組セミナー「ロナウラ2010」
今年は、2月28日(日)から3月6日(土)の1週間、「カイヴァリヤダーマ研究所」での日本人対象のセミナー「ロナウラ2010」を持ちました。昨年に続き、2回目になります。
これから、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所」で行う日本組セミナーも増やして行きたいと考えています。
思えば、わたしたちが「カイヴァリヤダーマ研究所」に初めて来たのは1988年6月のことです。当時は、まだインド各地のヨーガ関連施設のリサーチ中でした。
その時は、ムンバイのサンタクルズにある『ヨーガ・インスティチュート(Yoga Institute)』での1週間コースに参加した後、雨季の始まったロナウラに列車で移動、始めて「カイヴァリヤダーマ」に2週間滞在したのです。
(1988年当時のロナウラ駅・カイヴァリヤダーマ)
それから22年になります。当時から比べると、スタッフや先生方の顔ぶれも変りました。キャンパス内には新しい建物も増え、庭も整備されました。
それに、昔に比べると、とにかく沢山のインド人がヨーガをやりに来ている!と言うのが、すごい変貌振りです。インドもヨーガ・ブームです。ロナウラの町の様子も近年のインドの急速な発展と同調して、かなり、様変わりして来ました。
今までにも、「カイヴァリヤダーマ研究所」で日本人グループのセミナーを行ったことはありましたが、今年は本格的にHH主体のセミナーを実施した、ということで、感慨深いことに思います。
参加者は、旅行会社主催でインドに研修ツアーに来られた東京の「ヨーガ団体」の方々と、わたしたちがお呼びした人達との混成で、総勢20名でした。
また、こちらのセミナーの報告は、参加者の方のフィードバックを掲載して行きますので、しばらくお待ちください。
3)プネーの「国立自然療法研究所(NIN)」訪問
3月6日(土)に「カイヴァリヤダーマ研究所」でのセミナーは修了。
その日に、2名の方が次のプログラムであるウルリカンチャンの「ニサルゴプチャール(自然療法)・アシュラム」へ向かわれました。
→ http://www.nisargopcharashram.org/Default.aspx
ウルリへの移動の途中、ミニ・スタディ・ツアー、ということで、プネーにある「国立自然療法研究所(NIN)」を訪問しました。
→ http://punenin.org/index.htm
その2日前に「ロナウラ・ヨーガ研究所」を訪問した時に、ディレクターのマンマット・ガロテ先生から「NIN」の方に、わたしたちが訪問する旨の電話を入れて貰っていましたので、当日は、担当者の方が丁寧に施設内を案内して下さいました。
現在、国立研究所になっている施設は、かってインドで初めての自然療法のクリニックだったところで、自然療法を推進された「マハートマ・ガンディー」が長く滞在された歴史的な場所です。
場所はプネー駅の裏手にあり、町のど真ん中ですが、キャンパス内は植民地時代を感じさせる雰囲気で、古風な建物と庭園の、ほっとする空間が広がっています。
ここには宿泊施設はありませんが、通いで来る人たちのための診療室、治療室、ヨーガ・ホールやショップ、自然食のレストラン、と、一通りそろっています。
また、キャンパス内にはマハートマ・ガンディーが滞在されていた部屋や、講義をされていた庭園のコーナーが残されていました。
わたしたちのグループは付属の自然食レストランでインド風自然食の「ターリー(定食)」と、「モーザンビー(オレンジの一種)・ジュース」や「スイカ・ジュース」を注文しました。
料金は普通のレストランの半分ですね。自然食の「ターリー」は思ったより味があり、それがまたマイルドで、とても美味しく気に入りました。
ウルリカンチャンの自然療法アシュラムの食事は、ほとんど味がないので、薄味好みのわたしたち日本人でも少し物足りない味!と感じますし、インドの人にとっては、本当に「薬のような食事」だと思います。
こちらの自然食レストランは最近設立されたようです。正門から入ってすぐの左手にあり、誰でも自由に入れるので、こちら方面に出てきた時は、ぜひ利用したいと思います。
4)エローラ石窟寺院探訪
さて、「NIN」を訪問した翌日、本格スタディ・ツアーとして、3月7日(日)・8日(月)の2日間、世界遺産に指定されているオーランガバード郊外のエローラ石窟寺院へ出かけました。
実は、わたしたちは、プネーに来て20年近くになりますが、今までエローラに行ったことがなかったのです。何度も計画はあったのですが、そのたびに諸々の事情で先送りになっていたのです。
今回は「ロナウラ2010」の付属スタディ・ツアーということで、ついに決行されることになりました。
「メヘール・ババ」のアシュラム訪問
お昼の12時頃プネーを車でスタート。 まず、プネーから2時間ほど、オーランガバードへ向う途中のアーメダナガールで、「メヘール・ババ(1894-1969)」のアシュラムを訪問しました。
「メヘール・ババ」はプネーのパルーシー(拝火教徒)出身の現代インドの聖者です。沈黙行をされていたことで有名です。
1930年代から欧米にも広く知られ、1969年に亡くなるまで、欧米にも影響力の大きかった人物です。
→ http://www.ambppct.org/events/events.php
→ http://en.wikipedia.org/wiki/Meher_Baba
特に、1988年に世界的にヒット、1989年の第31回のグラミー賞で4部門を受賞した「ボビー・マクファーリン」というシンガーの「ドント・ウォーリー・ビー・ハッピー(Don't Worry, Be Happy)」が、「メヘール・ババ」のメッセージから作曲された曲として有名です。
これは、当時、たいへんヒットした曲ですね。みなさん、聞き覚えがあると思います。サンプルが次のサイトで聞けます。聞くだけで、楽しく、気が楽になる曲ですね。
→ http://en.wikipedia.org/wiki/Don%27t_Worry,_Be_Happy
今でも欧米人の信者さんが多い様です。実際、「メヘール・ババ」のサマーディをお参りした時、欧米人の信者さんが「サマーディー」を守っていらっしゃいました。
とにかく、「精神性」の分野に関しては、インドは底なしですね。いつもびっくりする発見や出会いがあり、自分たちの先入観が試され、崩され、新たに拡げられます。
そういう意味で、心をストレッチし、脳をトレーニングするには、インドは最高のところでしょう。
次はアーメダナガール砦
「メヘール・ババ」のアシュラムを訪ねた後、近くの「アーメダナガール・フォート(砦)」を訪ねました。この地区を長く支配したムスリムの都城跡ですが、たまごのような流線型に巡らされた城壁と、それを囲む堀で厳重に守られ、軍事力では攻落されたことのない難攻不落の要塞だったそうです。
ここは、イギリスの統治下の最後の時期に、「ジャワハルラール・ネルー」を初めとする反英独立運動の闘志たちが約2年間、最後の幽閉をされた場所でもあります。
現在はインド陸軍の施設になっています。それで、写真撮影は禁止になっていました。建物はシンプルですが、さすがしっかりとした造りで、周りの庭園もきれいに整備されています。
ネルー首相の部屋だけは仕切りが残されていましたが、他の人たちの部屋の仕切りは取り外されていました。ネルー首相の部屋は、ベッドルーム兼書斎の隣にガランと広いホールがあり、中央の机に独立運動の当初からの新聞の切り抜きのコピーが特大のサイズのファイルにスクラップされてありました。
担当の軍人さんがそのスクラップ・ブックの記事をめくりながら、ヒンディー語で丁寧に内容を説明をしてくれ、わたしたちは同行していた「JLS(Japan Language Service)」のラトールさんの日本語訳で聞きました。
幽閉中もネルー首相は毎日ヨーガのシルシ・アーサナで健康管理をしていたことで有名です。あのネルー首相が幽閉中に「毎朝30分シルシ・アーサナをしていた」部屋がここかと思うと、感慨深いものがありました。
また、ネルー首相の著書である「ディスカバリー・インディア(インド発見)」も、この部屋に幽閉中に4ヶ月間で書き上げられたそうです。
オーランガバード到着
さて、アーメダナガルを出て2時間あまり、宿泊先のオーランガバード市内のマハーラーシュトラ州政府観光局(MTDC)経営のホテルに到着しました。
途中「メヘール・ババ」のアシュラムや「アーメダナガール砦」でゆっくりしたこともあり、オーランガバードに着いたのは夜の8時過ぎでした。
チェック・イン後、近所のインド式ファミリー・レストランで夕食。日曜日の夜とあって、家族連れ(一族連れ?)ご一行様で、たいへんな混雑でした。
いよいよエローラへ
翌朝、宿舎を出てすぐ、日本語ガイドのマヤさん(女性)と合流し、エローラへ向かいました。
エローラには、ヒンドゥー教・仏教・ジャイナ教の遺跡が混在しています。それぞれの伝統の精神性の特性が1箇所で良く解る、実にお得なスポットです。
流暢なマヤさんの日本語ガイドで、大乗仏教で仏像が作られたいわれや、仏教石窟がどのように作られたか、とてもよく説明して下さいました。
そして、ある石窟寺院の中の仏像の前にわたしたちを置いて、マヤさんは隅の柱に立ち、「ブッダン・シャラナン・ガッチャーミ・・・」と、きれいなパーリー語のチャンティングをしてくれました。それにしても、7~8世紀頃、どのように岩山を横に掘り進み巨大な僧院を作ったのでしょうか?
3階建てのようになっている僧院があるのですが、上の階と下の階の柱の位置の狂いのない正確さに、ただただ驚くばかりです。
それらの仏教石窟寺院もすごいのですが、さらに圧巻なのは、ヒンドゥー教のカイラーシャナータ寺院です。これは、岩山を上から掘り出した巨大な彫刻寺院で、完成に150年の年月が掛かった、と言われています。
150年ですか....ほんとうに、気の長い話です。
グリネーシュワール寺院
また、エローラのすぐ近くに「グリネーシュワール寺院」というシヴァ寺院があります。「ジョーティー・リンガ」という、インド全土で12箇所ある「シヴァ・リンガ」の1つで、インド人の参拝者のひとたちで賑わっていました。
「カイラーシャナータ寺院」はすでに遺跡ですが、こちら「グリネーシュワール寺院」は生きたヒンドゥー寺院で、昔は「カイラーシャナータ寺院」もこのように盛況だったのだろうか、と感じさせます。
ビビ・カ・マクバラ
そしてもう1箇所、オーランガバード市内に戻り、ミニ・タージ・マハールと言われている「ビビ・カ・マクバラ」を訪問しました。これは、ムガール帝国のオーラングゼーブの奥さんのは墓所で、息子さんが母のために作ったそうです。
しかし面白いのは、あまりお金をかけられなかったようで、一部は大理石も使われていますが、多くは普通の石と漆喰なので、アグラの「タージ・マハール」ほど綺麗ではありませんが、離れてみると本当に、「ミニ・タージ・マハール」です!通常、エローラはアジャンターと組で、「世界遺産のエローラ・アジャンター」として扱われますが、実は、2つのスポットは、かなり離れているのが問題です。
エローラでも十分
プネーから「エローラ・アジャンター」探訪は2泊3日の行程になりますが、アジャンターはオーランガバードから距離があるため、アジャンター往復だけに1日を費やすことになります。今まで行かれた方からも、往復のドライブが結構きつかった、と言う感想を頂いていました。
それで、わたしたちは、今回アジャンターを落とし、1泊2日でエローラ探訪だけに絞ることにしました。結果的に時間にも余裕があり、またいろいろな場所も見学することが出来たので、これも良いプランではないか、と思っています。
それにしても、プネー・オーランガバード間の道路があんなに良くなっているとは思いませんでした。これなら、暑い時期でもエアコンを使えば、かなり快適に往復のドライブも楽しむことが出来るのではないでしょうか!
デカン高原の絶景を高速で走り抜けるドライブは、なかなかなものです。途中で休憩の出来るモダンなドライブ・インも増えていました。
5)新しくわが家の台所に登場
さて、「ロナウラ2010」+スタディ・ツアーが終わってプネーに帰ってきてすぐに、わが家の台所に2つのアイテムが加わりました。
謎の逆蛇口
このところ、台所の水道の蛇口の締まりがわるくなり、ぽたぽたと水漏れがするようになっていました。1月に、オーナーのゴレさんに見に来てもらい、工務店に頼んで修理してもらうことになっていたのですが、結局、いつまでたっても修理人が来ず、そのままになっていました。
しかし、今月初めになって、蛇口の締まり具合がさらに悪くなり、くるくると、いつまでも回る状態になったので、これはキケン!と思い、再びオーナーのゴレさんに電話をしました。
翌日、ゴレさんが送った修理人が来て、蛇口を触って、「これは壊れている!取り替え時期」と言って、新しい蛇口を買いに行くから一緒に来るように、との様子なので(修理の人は地元のマラーティ語だけで英語は出来ません)、主人がついて行きました。
数分して、2人は近所のお店で新しい蛇口を買って戻って来ましたが、新品は結構ズッシリと重くて、高級品のようでした。 400ルピー(約800円)もしましたから。
さて、古い蛇口と取り替えです。
修理の人は「水道の元栓を閉めて欲しい」と言いましたが、このビルは、水道の元栓は下の方で一括管理しているので、警備員の人に聞かなければならないことを告げると、じゃあ、元栓を締めずにやる、ということになりました。
台所には、コンピューター机もあるので、PCにビニールをかけて、準備OK!一瞬、水道管から水が吹き出ましたが、それほど濡れませんでした。
無事、新しい蛇口も取り付けられ、これで安心、使いやすく快適になった、と思ったのもつかの間。ちょっと手の感じか違う?
これはもしかして、逆回転ではないかな?
間違いなく、今までと逆の方向に回って開閉されるのです。そういうタイプの蛇口なのでしょうか?蛇口には、右回りと左回りがあるものなのでしょうか。
閉めようとすると水がじゃーと出て、開けようとすると蛇口がきゅっと閉まるのです。
そういえば、数年前に部屋中の電気の配線の入れ替え工事をした時、スイッチ・ボードのスイッチの位置と、その電気の場所が、ぜんぜん関係なく、たまたま偶然そうなった、という感じで取り付けられたことを思い出しました。
まあ、スイッチ・ボードの方は慣れてくれば、それほど不便は感じませんが、蛇口はどうなるでしょう。台所の1箇所だけ逆回りで、他の浴室・洗面所・トイレは正常・・・
これから脳はどう反応していくか、楽しみが一つ増えましたね!
タタの家庭用浄水器
同じ日に、もう一つ新製品がわが台所に登場!それは「スワッチ(SWATCH)」という家庭用浄水器です。
→ http://tataswach.com/technology.aspx
家庭用浄水器については、今までもずっと気になっていたのですが、インドでは安いモデルでも3000ルピー(6千円)から、という結構なお値段で、そこまで大金を出してまで浄水器を買う必要は感じていませんでした。
プネー自体が水質のよい土地柄ですし、わたしたちの住むアウンド地区は、この先に軍関係の施設や宿舎があるので、水道網が良く整備されているのです。
それで、プネーに来て以来、長年飲料水は、ふつうのインド式に、ゴミを取り除く簡易ろ過器に消毒用の塩素を1・2滴入れたレベルで使用していました。
普段も、生水は、まず、飲みません。日常の飲みものは、日本茶や中国茶、インド式のチャイやコーヒーです。それでも夏の暑い時期は、インド式に作った飲料水を一度煮沸して冷ました水を飲むか、ペット・ボトル入りの飲用水を買っていました。
しかし、今年になって、あの世界で一番安い車「ナノ(Nano)」を作った「タタ(TATA)」グループの会社が、わずか999ルピー(1998円)の家庭用浄水器「スワッチ(Swatch)」を開発、販売を始めたのです。
これは、タタ・グループのラタン・タタ会長の、「庶民の人たちに手が届く価格の家庭用浄水器を提供し、飲料水の安全問題を解決したい!」と言う理念で開発されたものです。
車に続く、家庭用浄水器での「価格破壊」です。このモデルは、一度に9リッターの水を浄化できます。最初の広報では、2モデルが販売されるとなっていたので、わが家で2人で使うには大きいと思い、小さいサイズが出ないのかと待機していました。
そうしているうちに、競合する他のメーカーも、タタの「スワッチ」と同じ価格帯の1000ルピーで小型浄水器を発売し始めたではありませんか!
しかし、それらの先行メーカーは今まで平気で3000ルピー以上の高価な家庭用浄水器を売っていたのです。ここに来て、タタが安いモデルを出したので、競合他社も急に3分の1の値下げモデルを出す、というのは、どうも、納得できません。
それに加えて、タタが新たに開発した水の浄化技術には欠陥がある、うちの方が良い、というネガティブ・キャンペーン。わたしたちは、やはり「タタ・グループ」のラタン会長さんの理念がすばらしい!と思うので、タタの「スワッチ」を買うことに決めていました。
タタの低価格車の「ナノ(Nano)」についても、競合する他の自動車メーカーから激しい妨害工作が表に裏に繰り広げられ、最初西ベンガル州に造られた生産工場は途中で頓挫、新たにグジャラート州に工場を建設することになったため、生産・販売計画が2年くらい遅れています。
このように、このところ、タタ・グループは、庶民向けの低価格車、低価格住宅、低価格浄水器等を立て続けに開発・提供しています。
タタ・グループの動向も、インドの今を感じさせるものですね。3月も半ば、プネーも暑くなってきたので、飲料水を使う量も増えて来ましたが、家で、簡単に安心してお水が手に入るようになったので、とてもうれしいです。
もちろん味の方もOK、消毒用塩素を使わなくなったので臭いもまったく消えて美味しいです。わたしたちは、毎朝、アーユルヴェーダ式に、一晩銅製のカップに入れた水を飲んでいますが、その銅水(心臓に良い)も一味変ったように感じます。
6)今年も北インドへ研究旅行
先週の3月12日(金)、午後遅く、季節外れの夕立が降りました。 結構激しく振り、夕方から夜は久しぶりに涼しい風に当たりました。しかし、この時期に雨が降ると、今シーズンの「ぶどう」や、これから始まる「マンゴー」に被害が出たり、他の農作物にも影響が出ないかと、気になります。
そうでなくとも、このところ物価超高騰で、野菜の値段がびっくりするくらい高くなっています.....
予報では、このような夕立がまだ2・3回来るかも知れない、と言っています。マハーラーシュトラ州の南のアンドラ・プラデーシュ州あたりの気圧の配置の関係のようです。
今週末から、わたしたちは勉強・研究旅行で、北インドのリシケーシュへ出かけ、プネーを1ヶ月程留守にします。北インドはマハーラーシュトラ州に比べて、1ヶ月くらい遅れて夏がやってきます。3月から4月にかけての北インドは、まだ過ごし易い気候です。
リシケーシュのアシュラムのすぐ側を流れるガンジス河も、まだ冷たいと思いますが、インドの巡礼者の人たちが元気に冷水で「沐浴」をされる光景が毎日目に入ることでしょう。
プネーの日常生活とは違なる聖地での生活は、わたしたちの活動の、さらなる原動力になると思います。
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