☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆こんにちは!!みなさんお元気ですか。私たちは、9月後半にバンコクの大学のクラスの休みを取って、4泊5日でマニラでのカンフェレンスに出席しました
このレポートは、バンコクの「近況報告」と「マニラ編2010」についての話題です。
日時:2010年9月25日(土)・26日(日)
会場:フィリッピン大学・ソシアルワーク学部
(College of Social Work and Community Development)
主題:アーユルヴェーダ・ヨーガ・ウエルネス
主催:Missionaries of the East
後援:フィリッピン政府厚生省・インド大使館 etc.
→ http://www.ayurvedamanila.com/blog/?p=167
このカンフェランスにゲスト・スピーカーで招待され、9月24日(金)ー28日(火)の5日間マニラへ出張、「マニラ編2010」となりました。
フィリッピンは、もともと熱帯の濃厚な自然での土着の文化に スペイン時代の記憶が残り、今は表層はアメリカ化している、というイメージでした。
タイと同じく、東南アジアの熱帯の気候・植生で、マニラもバンコクのように高層ビルが増え、高架道路の整備も進んでいますが、雰囲気的にはかなり違うところです。
バンコクでは仏教寺院が目に付きますが、マニラは教会です。同じアジアでも、いろいろありますね。
1)タイ・ヨーガ研究所に新しいスタッフ
さて、まず「近況報告」ですが、前回の「バンコクの近況2010」で、うちのTYIのスタッフのクロイさんとボン君のことを書きましたが、男性のボン君が、9月末で退職し、僧院に行きました。
ボン君はうちのオフィスに2年少々勤めたところでしたす。今年の7月の「カオ・パンサー(雨安吾)」に入ったときから、正午以降は食べ物を食べないなど、お坊さんや、僧院での規則にしたがって生活していました。
そして、いよいようちのオフィスを辞めて、本格的に僧院に入り修行をするとのことになったのです。 タイではよくある話で、ボン君は7人兄弟の末っ子、ご両親も兄弟も健康で、家のビジネスも上手く行っているので、今なら安心して、お寺で修行に専念できる状況にあるので、決心をしたようです。
本格的に出家して僧侶として生涯を送るかどうかは、まだ分からない、と言っていました。
それで、オフィスには、ボン君の代わりに、2008年にシーナカリン・ヴィロード大学(SWU)のコースを終了したジエップさん(女性)がスタッフとして入りました。ジエップさんとクロイさんは同窓生です。出身も同じ南タイなので、ウマが合うようです。
クロイさんはジエップさんが加わったので、先輩としていろいろ仕事を教えたり、一緒にランチを作って食べたり。オフィスに同性の同僚が入って、ますます元気で、毎日仕事が楽しそうです。
2)「Facebook」を使って
ところで、最近、タイの人たちの間では「フェイスブック(Facebook)」がとても盛んです。うちの「タイ・ヨーガ研究所」の連絡事項も、最近はほとんどが「フェイスブック(Facebook)」の上で動いています。
→ http://www.facebook.com/thaiyogainstitute
また、今年度の「SWUコース」の受講生の連絡事項も「フェイスブック(Facebook)」で効率的に動いています。→ http://www.facebook.com/group.php?gid=136613963039432
私たちは今まで「フェイスブック(Facebook)」には触っていなかったのですが、タイのメンバーにも、HHのクラス以外の活動を見てもらおうと思い、日本でのセミナーや、インドのスタディー・ツアーの写真を載せたことがきっかけで、使い始めました。
幸い、タイのメンバーのタイ語のコメントも、グーグル翻訳をかけて英語にすると、だいたい意味が分かります。タイのメンバーが何に興味を持ち、何に反応しているかも、直ぐ分かりますね!便利になりました。まだまだ試行錯誤しながら画像やコメントを書いていますが、かなり広い範囲な人たちと接点を持てるので、面白いですね!
3)マニラへ行く話しが!
8月に入って、マニラの友達のテッチ・ガルシアさんから、フィリッピン大学で「アーユルヴェーダ・ヨーガ・ウエルネス」のテーマでカンフェレンスがあるので、スピーカ-として来てくれないか、という招待の話が、突然メールで来ました。
主催はカソリックの「Missionaries to the East」という団体で、フィリッピン政府の厚生省やインド大使館も後援、アーユルヴェーダやヨーガをテーマにしたイベントとしては、フィリッピンで初めてだそうでした。
フィリピンといえば、95%の人がクリスチャン、80%がカトリックというお国柄です。そこで、インドのアーユルヴェーダとヨーガ???どういうことになっているのか?
初めは半信半疑で、どういう人たちを対象にしているのだろうか興味津々、いろいろ想像をめぐらしました。メールでやり取りしているうちに、向こうの様子が徐々にわかって来ました。
●マニラの友達
今回のカンフェレンスの主催はジェコブ・グナリアン神父さん。
「Missionaries to the East」に所属する、インドのケララ州出身のカトリックの司祭さんで、マニラでインドの伝承医学のアーユルヴェーダを普及させる活動をされています。
ジェコブ神父の出身地のケララ州はアーユルヴェーダの盛んなところで、ジェコブ神父はマニラに赴任する前から、ケララ州でもアーユルヴェーダで医療活動に携わられていたそうです。
ジャコブ神父はマニラに来て26年、ご本人は哲学博士で医師ではありませんが、子供の頃からアーユルヴェーダに身近に接していたことから、マニラの人々にもアーユルヴェーダを使った健康維持や病気の予防に役立てる始動をされています。
近年、マニラでも近代西洋医学以外の伝統医学への関心が高まっているようです。 それで、ジャコブ神父はフィリッピンの人たちにインドのアーユルヴェーダや自然療法、ヨーガについての関心を持って貰うため、各方面に働きかけ、フィリッピン政府の厚生省やマニラのインド大使館の後援も受け、フィリッピン大学でカンフェレンスを開催することになったのです。
私達のマニラの友達のテッチさんは、ジェコブ神父さんの活動をサポートする主要メンバーでもあり、今回のカンフェレンスにも主催者側として働いていました。
それで、「ヨーガ」のプレゼンターとして、日本人ながら長くインドで勉強を続け、バンコクの大学で仕事をしているわたしたちを招待することになったのです。
私達の直接のマニラの友達はメイユー・ムナリーズさんで、彼女が日本の筑波大学に留学(博士課程)している時、当時私が働いていた都市計画のコンサルタント会社に研修生として来ていたことがきっかけで、親友になりました(1980年代のことですね)。
その都市計画の会社はマニラのプロジェクトをやっていまして、マニラの高架鉄道網のフィージビリティ調査などがありました。メイユーさんは現在はフィリピン大学の都市・地域研究学部で助教授として教鞭をとっています。
今年の5月にも日本に遊びに来ていて、私の東京の実家にも6日間滞在、90歳になる母をいろいろと世話をして貰いました!
テッチ・ガルシアさんはメイユーの友達です。ご主人のジョジョ・ガルシアさんはマニラで出版社を経営されています。お祖父さんの代に創業されたマニラで一番古い出版社!で、学校の教科書の印刷が主要業務。手堅いビジネスですね。ご兄弟も同業種の会社を経営している一族です。
テッチさんはふつうに健康なのですが、血液の成分に若干問題があるようで、食事とかにもいろいろ制限があります。そのため、健康問題には関心が深く、ヨーガやアーユルヴェーダにも興味がありました。
それで、2003年6月に、バンコクのシーナカリンヴィロート大学にロナウラからM.L.ガロテ先生が招待され、3日間のセミナーがあったときに、マニラからテッチさんとメイユーさんも招待したのです。
メイユーさんは特にヨーガには興味がないのですが、テッチさんの付き添い。そうでないと、ご主人のジョジョさんは奥さんに海外旅行を許可しないのです!
テッチさんは翌年2004年2月にバンコクで開催されたうちのヨーガ・カンフェレンスにもマニラから参加。今度は姪の子が付き添い。バンコクで再びガロテ先生の講義を聞き、実技指導を受けました。
テッチさんとジョジョさんには25歳になる息子さんがいます。息子さんが成人し、最近ジョジョさんにも軽いリュウマチが出て健康問題が出て、ジェコブ神父からアーユルヴェーダでのガイダンスを受けています。
また、最近、ガルシア家はマニラ郊外の高級住宅地に家を新築しました。家の中に「スパ」もあります。テッチさんもジョジョさんも、これからはもっと自分たちの健康もフォーカスしたライフスタイルに移行しよう、としている段階ですね。
4)マニラでのカンフェレンス
Picasaの写真アルバムにマニラの様子が上げてあります。
→ http://picasaweb.google.com/hhyoga/Manila20102010#
バンコクからマニラまでは、タイ航空で3時間のフライトです。マニラ空港到着後、テッチさんとメイユーさんの出迎え。
早速、カンフェレンスの準備状況など、いろいろ様子を聞きました。当初、700名程度の参加者を想定していたようですが、前日までの申込状況は300名程度。 実際に、当日何名の参加者があるかが、主催者側の気がかり。少し参加費を高めに設定しすぎた、というムードのようです(2日で2000ペソ=4千円)。
また、大学の試験期間中に当たり、期待していた医療系の学生さんたちの申し込みも伸びていないようでした。学生さんにはもちろん学割が設定してあって、医療系の学生さんには、今後トレンドになる統合医療系のカンフェレンスに参加して貰いたいのが主催者側です。
私たちも定期的にバンコクでカンフェレンスやセミナーのイベントをやりますが、非営利活動の場合、参加者の募集は、いつも頭痛のタネです。
今までの私たちのバンコクでの経験では、 助成金を受けて、参加費完全無料なら、軽く300ー400名。参加費が食事代程度(千バーツ)なら、200ー300名。 参加費がそれなり(2千バーツ程度)なら、200-150名。
アーユルヴェーダやヨーガをテーマとした本格イベントはフィリッピンでは初めての試みなので、ジェコブ神父もテッチさんたち主催チームも、いろいろと試行錯誤のようでした。
私たちとしては、新しい国で、新しい活動を始めるイベントはたいへん楽しく満足度が高いので、そのためにマニラに来ただけで、もう十分目的達成!という気分でした。
5日間のマニラ滞在中、私たちはテッチさんの新宅にホームステイ。3階建てのバンガローで、お手伝いさんが2名、車のドライバーが1名という布陣です。 私たちの滞在したゲストルームは「スパ」としても使えるように設計されていて、ちょっとしたホテルの部屋より豪華!でした。
●カンフェレンス1日目
さて、いよいよカンフェレンスの1日目です。主催者側のメンバーであるテッチ&ジョジョは準備のため朝早く会場入り。私たちは午前10時の開会式に間に合う時間に迎えの車で会場のフィリッピン大学のキャンパスへ。
フィリッピン大学はマニラ郊外のケソン市に広大な、半分ジャングルのようなキャンパスが広がっています。
テッチさんのお宅からは車で10分ほどでした。 会場は、ソシアルワーク学部 (College of Social Work and Community Development)のビルの3階の大ホール。
主催者側の懸念通り、期待したほど参加者の足は伸びていないようでしたが、150-200名程度は集まっていました。 やはり、 学生さんは少ない様子。キリスト教のミッション関係者が多数。会場には、インドの人たちの顔もちらほら見受け られました。
インド人の神父さんを中心に、アーユルヴェーダや自然療法の若い先生たちと、スピーカーはインドからの招待の方々が中心でした。 私たちもそれなりに緊張していましたが、会場に入ってインド組と話をすると、だんだんと和らいでいきました。
さて、少し遅れて、主賓の駐フィリッピンのインド大使ヨーゲンドラ・クマール閣下がご到着。いよいよ開会式が始まりました。インド式です。
まず、マニラのインド大使館の「インド婦人会」のメンバー連が、 インドではイベントの開会式で必ず行われる最初のセレモニー。会場に設置した「ガネーシュ神」へのお祈り(マントラ)を唱えて、インド大使がランプに火をともしました。
そして、インド大使のご挨拶のスピーチ。
インド政府院厚生省AYUSH局の活動に触れて、アーユルヴェーダなどを通じての医療面での国際交流も促進したい、インド大使館としても尽力するというメッセージ。
インドはインド政府が認定する医学体系であるAYUSH (アーユルヴェーダ、ヨーガ&自然療法、ユーナニー、シッダ、 ホメオパティー)を積極的に発信するのが政策でもあります。
例えば、AYUSHの奨学金があって、外国人がAYUSHの医療システムをインドに行ける制度があり、ロナウラのカイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジもAYUSHの奨学金の指定校です。
●ジャイメ・タン先生の基調講演
インド大使のスピーチの次は基調講演。 フィリッピンの医療界の統合医療の著名人である ジャイメ・タン先生(Dr.Jaime Z Galvez Tan)。
フィリッピンの土着のヒーラー(治療呪術師)を広範に研究、世界各地の伝統医学の研修、厚生省への勤務歴もあり、その時に代替医療の法制化を推進。医学部の教授歴もあり、統合医療の啓蒙活動を進めている精力的な人物です。
タン先生は、近代医学のことを「北アメリカ医学」と表現していたのが面白かったですね (正確にはヨーロッパ・北アメリカ医学)。 つまり、現在、主に北アメリカという特定な地域で実践されている歴史の浅い医療体系、という揶揄的な表現でしょうか。
「北アメリカ医学」が優勢になる前の世界には医療はなかったのか?ならば、人類はすでに病気で絶滅しているはずではないかという論点。
地球のどの場所の、どの文化にも、どの時代にも、効果的に病気を治療する知識や技術があったはずではないか。それらを無視して、「北アメリカ医学」中心だけの医療システムは不合理である、と。
日本も現在は「北アメリカ医学」中心ということですね。むしろ、「北アメリカ医学」の優等生国ということでしょうか。日本も「北アメリカ医学」の基準に合わないものは全て否定される体制になりましたね。
しかし、「北アメリカ医学」は実践するにも維持するにも膨大なコストが掛かります。 いわゆる発展途上国では、日本のように高コストの 「北アメリカ医学」で国民全員をカバーする医療政策は現実的に不可能です。
それで、タイでも伝統医学や民間療法を活用した低コストの医療を医療政策に統合ようとしていますし、伝統医学のリソースの宝庫でもあるインドでは、「AYUSH」で、むしろ積極的な攻めの体制です。
フィリッピンでもタン先生のような方がいらして、積極的に統合医療への意識を高めようとしている局面なのですね。
タン先生は著名人で、このようなイベントでのスター・スピーカーのようで、聴衆のみなさんも熱心に聞き入っていました。 最後の質疑応答でも、大いに会場が盛り上がりました。
●フィリッピン大学の学生さんのパーフォーマンス
基調講演の次は、うちの主人を含めて3人のスピーカーによる本会議(Plenary Session)。最初はインドのケララ州から招待された、やはりカトリックの神父であり自然療法のドクターでもあるトーマス先生による「自然療法」の講演、のはずでした。
しかし、急にプログラムは「カルチャー・プログラム」に変更。 若い人たちが会場に入って来て、賑やかに準備を始めました。
人文学部の教授に率いられた学生グループで、アジアの民俗音楽・舞踊を研究、そのパーフォーマンスを通じて社会的なメッセージも発信する活動をしているそうです。
音楽の騒がしいこと!ダンスの激しいこと!民俗音楽の方は東南アジアでおなじみの楽器類です。 パーカンションあり、木琴のようなものあり。 ダンスは、やはり東南アジア共通の振り付けを、モダンにアレンジした、ダイナミックな動き。
インドのバハーラット・ナティアムのような動きもあり、インド大使館の婦人会の面々も大喜び、もちろん、会場も大いに盛り上がりました!
パーフォーマンスの途中に社会的なメッセージも入ります。 「ピース!フルーダム!ジャスティス!(自由・平等・正義)」と皆で大合唱、会場が一体感。
タイにも、伝統芸能をモダンにアレンジしたストリート・プレイで社会的なメッセージを発信する劇団があります。 うちの「タイ・ヨーガ研究所」のメンバーにもその劇団員がいますので、このグループも同じようなものかな、と思いました。
●午後のセッション
フィリッピン大学の学生さんグループによるパフォーマンスは1時間以上続き、そのままランチ休憩になりました。 時間はすでに午後1時前、だいぶ進行は遅れていますが、楽しいアジアの民族音楽・舞踊を楽しむことになりました。
そして、昼食は、なんとジャコブ神父さんが作られた、インド料理のベジタリアン料理!でした。 と言っても、自然療法式の味で、マサラ(スパイス類)もとてもマイルド!果たして、フィリピンの人たちの口に合ったのかどうか?私たちは久々のインド流のマサラ味に満足しました。
さて、ランチ休憩の後、先ほどのトーマス先生の「自然療法」のプレゼンテーション。
トーマス先生はインドで自然療法のアシュラムを 2つ運営されているそうです。 最初にトーマス先生のアシュラムで毎日やっている「ヨーガ・クラス」のビデオが見せられましたが、何と、実際やっているのは手足をばたばた動かす「ビヤヤーマ」体操。ぜんぜん、アーサナではないのです。
南インドの方では、これも「ヨーガ」として理解されているのでしょうか。 ロナウラのカイヴァリヤダーマ研究所の、ハタ・ヨーガ文献を根拠にした「伝統ヨーガ」は、実は、インド人と言えども知らない人がほとんど!インドは広いですよね!
そして、トーマス先生の発表が何と2時間! トーマス先生は朗々と自然療法の基礎理論を述べたのです。割り当て時間は30分なのに!このあたりのマイペースっぷりは、さすがインド人!
あと、カトリック界では神父さんの権威は絶対、なのでしょう。 誰も、神父さんには意見しない、という雰囲気です。
スピーチが延々と2時間、なのに、それから参加者からの熱心な質疑応答、みんな自分の病気についての質問です。結局、トーマス先生のセッションが終わったのは午後4時過ぎでした。まだ、午前中の本会議のプログラム なのに!
それからティータイムの休憩時間。最初の予定では、主人の出番は3番目、午前11時45分頃、持ち時間は30分と言われていました。次は2番目のスピーカーなので、これではうちの出番は明日かな、と思っていたところ、急に司会者から声がかかり、前に呼ばれました。
時間を見るともう4時半、うちも「ヨーガ」で言いたいことは山ほどありますので、1時間以内には納めることを目安に、パワーポイントをスタートしました。
話をする時、いつもどういう人が聞き手になるか?このポイントが話し手にとってとても大事なことで、面白い話になるかどうか決まります。
前日テッチさんに会ってから、大体どういう人が集まるのかを聞いて、昨晩も遅くまで、その日の朝もPCに向かってファイルの内容を再構成していました。
うちの主人は当日まで準備をしない人です。現場に立ってから、何をどうやるか決まるようです。 だから、場面と相手によって、ぜんぜん変わります。
今回は、フィリッピンの地場と雰囲気を感じてから準備、と言っていました。 ものすごい理詰めで慎重に考え、原理原則を尊重するタイプの人が、実は感性で動いている、というのは面白いですね。
逆に言えば、感性にばかり頼っていては、結局、上手くいかない、継続しない、ということでしょうか。 知性も感性も、どちらも大切ですね。
プレゼンテーションでは、最初の掴みでバンコクの写真を数枚見せながら、私たちの活動の紹介、 そして、「ヨーガ」の本題に入りました。 主催者側も「インドのヨーガを日本人がタイの大学でやっている」、ということを強調して貰いたかったようです。
まず、
・ヨーガの歴史の概観からスタート、
・ヨーガのコンセプト、
・ヨーガ・スートラからのアーサナのコンセプト、
・具体的な技法のリソースとしてのハタ・ヨーガ、
・ヨーガの近代化の説明、
と進行、スワーミー・クバラーヤナーンダの業績の話になり、最後はロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所」のプロモーション・ビデオの一部を見てもらい、40分で収めました。
結局、1日目は私たちのプレゼンテーションで終わりになったのです!
●カンフェレンス2日目
2日目、私たちは少し遅めに家をでました。2日目は午後にパネル・ディスカッション、と聞いていましたが、いろいろとスケジュールが変更になり、午後に、わたしたちのアーサナのワークショップが30分割り当てられました。
昼食後、午後早めの時間に、いつもの、レクチャー&デモンストレーション形式で、うちの得意な型です。
「YouTube」にビデオが上げてありますので、会場の雰囲気を。
アーサナの基礎理論を説明をしながらのデモンストレーション。タイでも最初の頃、このパターンの紹介セッションを何度も繰り返したことがあります。 だいたい、「ヨーガをしている」という人たちも、クラスでインストラクターの見よう見まねをしているだけがふつうです。
ロナウラのメソッドは、生徒さんが自己練習で毎日継続できるように指導するのが特徴で、理論的に納得して貰うための説明がたくさん入ります。
ゆっくりとして、それほど難しいポーズをとるわけでもないデモンストレーションに、段階的に解説が加わり、「ヨーガ」の全体像へのイメージが脹らむ、という手法に、皆さんたいへん興味を示されたようでした。
初心者にも「これならわたしにも出来る」と思わせるのが、私たちのテクニックです! ロナウラで「ヨーガ」の教育を受けたものは、このようなセッションができるのが強みですね。
5)フィリピンの食事事情
さて、フィリピン料理を皆さんはご存知ですか? あまり聞きませんね。 日本やバンコクでフィリッピン料理店というのも、 見かけないですね。
私たちもあまりよく知りませんが、「レチョン」という豪快な子豚の丸焼きや、やたらとお酢を使う料理がフィリッピン料理のイメージです。ぜんぜん辛くないです。 主食はお米です。すっぱいスープでご飯をたべるのがフィリッピン料理。どうも、フィリッピンには、これと言った食文化がないようです。
ここでは一番のごちそうが子豚の丸焼き。 しかし、豚さんを、ただ丸焼きしても美味しいですか?あれは、それなりの調理技術を駆使して、焼豚とか、酢豚とか、ラフテーとか、トンカツなどにしないと美味しく食べれない食材と思いますが..... (私たちは、もう20年以上、肉類から遠ざかっていますが)。
どうやらフィリッピンは、南国で食材は豊富ですが、それを煮て焼いて食べて満足、調味料や調理技術が発達していないようですね.....
主な調味料は酢です。スープも酸っぱい、揚げ物に付けるたれも酸っぱい、ともかく酸っぱい。しかし、酢は主力調味料と言えるのでしょうか.....
フィリッピンの人たちは、味覚を感知する舌の感覚器官が、どうも、希薄なのでしょうか。唐辛子の使い方も発展していないようです。だから、辛さの旨みもない。砂糖の使い方も発展していないようです。だから、甘さの旨みもない。発酵食品も発展していないようです。だから、発酵食品のアミノ酸の旨みもない。
一方、タイには高度な食文化があります。タイ人は食べることに、たいへんなこだわりあり。 これでもか! というぐらい味を貪欲に追求しています。 タイ料理=タイ人のアイデンティティであり、タイ人の生き甲斐。
これは、タイは欧米の植民地にならず独立を維持し、王国としての豊かな宮廷文化の背景があるからでしょう。 食文化のルーツは宮廷料理ですね。
タイ人はフィリッピンでは生きていけないでしょう。 これは間違いないです。美味しいものを食べていないとタイ人は生きて行かれない。
でも、どちららが幸せかは、判らないですね。ある種の贅沢な味にしか満足できないこだわりの人たちと、何を食べても、だいだいOKの人たち。
●マニラで食べたもの
実は、今回はふつうのフィリピンの家庭料理を食べていないのが残念なのです。
1日目の夕食は、テッチさんの実家の親戚のパーティ。元文部省に勤務されていた方だそうで、1960年代に、長く日本にも駐在された経歴があり、今もたいへんな親日家でした。
古いコロニアル式のお屋敷の応接間には日本の安部首相・福田首相とのツーショットの写真。日本政府から勲章もいただいているそうです。
その日は私たち日本人がゲストで来るということで、一族みんな大好きな「和牛パーティー」。 20名以上のメンバーが集まり、和牛のバーベキュー。
わたしたちとテッチさんは、野菜だけのベジタリアン。 一族には日本へ留学した方もいて、日本人女性と結婚されている方もいました。日本人の奥様と1歳になる息子さんと来られて、日本語でマニラ事情を聞けたのが良かったです。
2日目の夕食は、カンフェレンスのプログラムが終わって、メーユー家がメンバーになっている格式あるクラブ・ハウスでパーティ。やはり、ムナリーズ家10名以上が集まりました。
こちらは標準的なフィリピン料理の会食メニュー。肉はダメだけど、魚介類はOKと言ってあったので肉抜き。酸っぱい魚スープのアドボ、イカの唐揚げ、エビの炒め物etc. う~ん、どれもこれも、ひと味ふた味足りないのですよね....「お醤油かナンプラーありませんか?」と聞きたくなります。
3日目の夕食は、カンフェレンスが終わって、ケソンのショッピング・センターで日本料理店。 前日で、すでにフィリッピン料理には見切りを付けたので、それとなく、「今日はみなさんで日本料理がよいのではないですか」と、ガルシア家のみなさんに暗示を入れておいたのです。
さて、お店のグレードもあると思いますが、マニラの日本料理店はレベルが高いようですよ。 メニューの寿司ネタには、日本からの空輸ものと、地元ものがありました(当然料金差大)。
ガルシア家のみなさんは、ここぞと色々大注文。刺身に天ぷら刺身に寿司にすき焼き、あれこれ。実はここで、私たちも勢いで、めったに口にしない天ぷらと刺身を、同時に食べてしまったのです。それで、おなかの調子がいっぺんに重くなりました。
日頃、わたしたちは、相当の粗食です。インドのアシュラム食で鍛えられています。バンコクで、たまにお呼ばれがあるときに、ご馳走があるくらいです。年に1・2回ですね。
ガルシア家のみなさんは、やはり美食。(だから、健康問題が出ますね....)。
さて、カンフェレンスが無事終了、
4日目は、マニラ郊外の避暑地、タガイヤイ(Tgayay)へ連れて行って貰いました。マニラから南に60キロ、車で1時間半~2時間。火山の噴火で出来た巨大な湖の中に、さらに小さな火山湖があり、その中で小さな活火山が活動中、という3重火山の風光明媚なところです。
外側の火山湖の回りの丘陵地に巨大リゾートが開発されていて、ガルシア家もオーナー・メンバーです。景色は抜群! 湖の周りを回り、昼食はクラブ・ハウスのレストラン。
私たちは昨夜の日本料理店での「天ぷら+刺身」がまだ重いので、オーガニック野菜のサラダとスープだけにしました。
ここでも、ガルシア家のみなさんは美食全開。名物の火山湖の魚料理など、いろいろと注文。 敷地内のスパ付きのホテルも見せて貰いました。次回は友達に声かけて、そういう施設で「ヨーガ」のセミナーをやりたいようです。
夕方には、マニラ市内に戻りました。ラッシュアワーのマニラの車の渋滞はバンコク並みです。それで、世界遺産の教会訪問は断念。 その代り、繁華街のマカティにある、フィリピン各地の物産を売っているショッピング・センターへ。
フルーツはドリアンやマンゴスチンもあって、大体、タイと同じですが、ジョジョさんが、「果物によっては、タイの方が土地が良く美味しいので、タイから輸入もしていますよ」と言っていました。
そして、最後はマカティでも高級店がずらりと並ぶ、新しく開発された、広々とした庭園のようなショッピング街へ。とても綺麗で広々としています。ただ、街中に拳銃をぶら下げたガードマンがいるのも、マニラだからでしょう。
バンコクも最近、高級店のエリアは警備の人が目立ちますが、肩から拳銃はぶら下げてはいませんね(笑)。
それで、今日の夕食もフィリッピン料理はスルーして、中華だな、と考えていたので、高級中華料理店の前に来たときに、それとなくガルシア家のみなさんにシグナル。まだ胃腸は重かったのですが、久しぶりに本格中華は味も内容もOK。
中華は万国共通ですね。魚の揚げ物甘辛や、あんかけ固焼きそばは絶品でした。ここでもガルシア家のみなさん、美食全開でした....
6)フィリピンのクリスチャン
5日目の最後の日、午後のタイ航空のフライトでバンコクに帰りました。
空港へ送ってもらう途中に、念願の教会訪問。お昼前だったので、参列者はまばらでしたが、さすが、マニラのカトリック教会は風格があります。
後ろの小さな部屋では5~6人の家族が集まって、司祭さんが立会い何か式をしていました。洗礼式だそうです。
面白かったのは、ホールの端の方に、沢山の聖者の像が置いてあります。 メイユーによると、自分のご贔屓の聖者さんにキャンドルを捧げて、お祈りとお願いをするのだそうです。 「願い事を3つ言って下さい、叶えてくれますよ」と。
キャンドルのお供え物は30ペソ。 タイのお寺にも同じようなシステムがありますが、タイのろうそくの相場は20バーツ。 2バーツ=3ペソですから、ほぼ同じです。
メイユーはたいへん宗教熱心です。毎日教会通いを 欠かしません。日本留学中も、四谷の上智大学の教会に通っていました。 2003年にバンコクに来たときも、バンコクのカトリック教会を探して訪ねていました。
メイユーは並んでいる聖者さんの像の1つを指して、 「これはフィリピンの聖者です」とのこと。それなら、ということで、私たちは、そのフィリッピンの聖者さん前にキャンドルを置いてお願いをしました。
フィリピンではほとんどの信者さんがカトリックですが、 最近は色々な宗派も出来ているそうです。 フィリピン独自に発展したキリスト教、プロテスタント諸派など。
テッチさんには25歳になる息子さんがいますが、「何をしていますか?」と聞くと、「神学の勉強」。息子さんのポール君は、実はカトリックを離れて、プロテスタントの教会に行っていて、今、聖書の勉強中。いずれ、牧師さんになるようです。 両親は、それも良いだろうと、寛容な構え。
ポール君によると、従来のカトリックは固すぎて、現代の若者の直面する問題に答えられない、と。また、カトリックの聖職者は絶対独身ですが、プロテスタントは結婚し、家庭人と聖職者を両立します。
●ヨーガと宗教、ヨーガとフィットネス
いずれにしても、アジアの人たちは宗教熱心です。タイも、コーリアも、フィリッピンも....
それぞれの形態は、今、急速に変化していますが、心の拠り所を人間社会を超えたものに向けることで、直面する社会問題、矛盾や疑問への不満を軽くして、明日への希望に向かって努力をして行く姿勢は、宗教が異なっても同じですね。
私たちが研究している「ヨーガ」には、からだと心を整える技法が、段階を追って出て来るので、所属する「宗教」の違いを超えた、普遍的な価値があります。「ヨーガ」の効果は、実践すれば、誰でも得ることが出来るもの、と言えます。
イスラーム教徒やキリスト教徒の人は、「ヨーガはヒンドゥー教」として、遠ざけていた時期もあったのですが、昨今の「フィットネス・ヨガ」のブームで「ヨーガはフィットネス体操」というイメージの方が広まりました。
それはそれで、別な問題もあるのですが、フィリピンでも「フィットネス・ブーム」のおかげで、お堅いカトリックの人たちも、最近、ふつうに「ヨーガ」に興味を示し始めたところのようですです。
1日目の「和牛パーティ」で会ったガルシア家の実家の親戚に、「3年前からヨーガをしている」という若いお嬢さんがいました。最初は「ホット・ヨガ」。それから「アシュタンガ・ヨガ」に移って、今はインストラクターもしているようです。
ファッション雑誌やヨーガ雑誌から出てきたような雰囲気で、インドのマイソールに行ったり、「ヨーガ・スートラ」も勉強している、ということで、ああ、マニラにもいるいると、思いました。
大都会のマニラでも、アメリカ経由の「YOGA」がある層の人たちに流行っているのですね。 このトレンドは、東京でも、ソウルでも、バンコクでも、北京でも、上海でも、香港でも、シンガポールでも、そして、マニラでも同じ、と確認できました。
今回は5日間の短い滞在でしたが、「ヨーガ」を取り巻くマニラの人たちの環境を、少し、垣間見たようです。
フィリピンの人たちの為にも、「ヨーガ」が良い環境で、正しい方向に展開していくことを願って、マニラからバンコクに戻りました。 教会でフィリッピンの聖者さんに、しっかりお願いしておいたので、大丈夫でしょう!
2010年10月20日水曜日
ヨーガとアジアの精神性2010:「マニラ編2010」
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