2010年8月24日火曜日

タイ・インドでのプログラムのお知らせ


今年11月のタイと来年3月のインドでのプログラムのお知らせです。

2010年11月
・「パナ・ソム2010」
・「ワンサニット2010」
2011年3月
・「ロナウラ2011」


1)「パナ・ソム2010秋」

日程:10月30日(土)-11月3日(水)+追加プログラム
定員:10名前後(6名以上の参加者でコース成立)
対象:ヨーガの初心者からベテラン・指導層まで  
内容:4泊5日の「スタディ・ホリデー・プログラム」
費用:実費分担+ドネーション
主催:MCB財団タイ・ヨーガ研究所(→ www.thaiyogainstitute.com/ ) 

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プログラムの内容は、ヨーガが初めてのエントリー・レベルの方から、ヨーガ歴の長い方・指導層までのベテランまで、幅広く対応します。どのレベルの方にも有益な内容です。

テーマは参加者の方のご希望により、次のモジュールから選ばれます。
・「ヨーガの背景」
・「ヨーガの基礎理論」
・「アーサナ考察」
・「プラーナーヤーマ専攻」
・「ヨーガ・スートラ特講」
・「ハタ・ヨーガ総論」
etc.....

定員10名前後の少人数制です。コースは6名の参加者の方で成立します。

「コース参加経費」のお1人の分担分は、参加者10名前後で、4泊5日分で約3万円(2人部屋・大部屋利用)です。

コースの講義・実習料の部分は、いつものように、プログラム修了後に参加された方がご自分の満足度で決められる「ダーナ(ドネーション)・システム」です。


応募状況

「パナソム2010秋」には、今までに5名の方からお問い合わせを頂いています。
興味のある方は、下の「コメント」欄からお問い合わせ下さい。

「参加確認」は、1ヶ月前の9月30日前です。

外国での合宿プログラムですので、ご家族やお友達とのご参加をお勧めしています。お知り合いとご一緒ですと、なお楽しいでしょう。


「パナ・ソム(森のアシュラム)」について

「パナ・ソム(Panasom)」のホームページ
http://panasom-resort.com/
80/2 M.6 Jongthanorm-Watthoncheak Rd.
Bang-Yai Nonthaburi 11140

写真アルバム
http://picasaweb.google.com/hhyoga/Panasom02

「パナ・ソム」は伝統的なタイの建築様式を生かした、都会人向けのセミナー・ハウス/リトリート・センターです。新バンコク空港から車で約1時間の距離、バンコク郊外のノンタブリ・ブッダモントン地区にあります。

「ワンサニット・アシュラム」は「精神性とエコロジー」の実験施設でもあり、ややワイルドな、アウトドアー派の設備なのですが、「パナ・ソム」の方は、郊外型の小規模なセミナー・ハウスで、年配の方や都会暮らしの方にも比較的無理のない環境と設備です(冷房設備もあります)。


「パナ・ソム」での合宿セミナーのフィードバック

「パナ・ソム」での合宿セミナーは、今までに4回実施されています
(2008年1月・8月・10月、2009年9月)。

今までの参加者の方のフィードバックはこの「ブログ」でまとめて閲覧できます。
右側の「カテゴリ」欄の
→〔パナソム編〕
のところです。


全体の日程

10月30日(土)午前日本発、午後バンコク着、「パナ・ソム」へ
10月31日(日)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 1日(月)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 2日(火)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 3日(水)昼食後、「パナ・ソム」チェックアウト
(文化の日)
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バンコクには10月30日(土)の午後までにご到着下さい。午前中に日本を出発し、午後3時過ぎにバンコクに到着する便をお勧めしています。

集合場所はバンコク空港の到着ロビーです。集合時間は午後4時30分です。

その後、チャーターした車(ミニバン)でバンコク郊外・ノンタブリにある「パナ・ソム(森のアシュラム)」に移動。約1時間。「パナ・ソム」チェックイン。夕食後からプログラムを開始します。

プログラムは11月3日(水)・文化の日の昼食前で終了。昼食後、車でバンコク都内に帰ります。

その日の夜便で日本に帰国することも可能ですし、バンコクに1・2泊されて、タイを探訪されることも楽しいでしょう。



2)「ワンサニット2010」


日程:2010年11月27日(土)-12月8日(水)+追加プログラム
定員:15名前後
対象:リピーターの方
内容:10日間100時間の「専門コース」
主題:伝統的ヨーガ・強化プロジェクト
目的:ヨーガをライフ・ワークとして続ける自信を提供
費用:実費分担+ドネーション
主催:MCB財団タイ・ヨーガ研究所(→ www.thaiyogainstitute.com/ )

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ヨーガをご自分のライフ・ワークとして追求されたい方に、インドの「伝統的ヨーガ」のリソースに基づいたヨーガの理論と技術を提供して行きます。

11月下旬は、乾季でさわやかな、タイのベスト・シーズンです。南国の自然環境でのエコロジーの実践施設として始まった「ワンサニット・アシュラム」でのシンプルなエコ・ライフも、気候的な問題の少ない、快適な時期です。


応募状況

「ワンサニット2010」には、
今までに20名の方からお問い合わせを頂いています。ご理解とご協力に、深く感謝いたします。

まだ日数がありますので、「仮予約」「空席待」をお受けしています。興味のある方は、下の「コメント」欄からお問い合わせ下さい。

最終的な定員としては、15名前後を想定しています。


「参加確認」は2ヶ月前、「参加確定」は1ヶ月前

「ワンサニット2010」への「参加確認」は2ヶ月前です。「参加予約」をされた方には、2ヶ月前の9月27日(月)までに「参加確認」をお願いする予定です。

2ヶ月前の「参加確認」をされた方には、最終的な「参加確定」として、1ヶ月前の10月27日(水)までに合宿実施に必要な必要経費のお振込をお願いする予定です。


昨年の「ワンサニット2009」のフィードバック

昨年11月の「ワンサニット2009」の参加者の方のフィードバックは、この「ブログ」でまとめて閲覧できます。

右側の「カテゴリ」欄の
→〔ワンサニット編〕
のところです。


全体の日程

11月27日(土) バンコクに到着
11月28日(日) 午前9時ラームカンヘン通の集合場所へ集合、
車(ミニバン)で「ワンサニット」へ、 午後より合宿セミナー開始
11月29日(月) 「ワンサニット」
11月30日(火) 「ワンサニット」
12月 1日(水) 「ワンサニット」
12月 2日(木) 「ワンサニット」、午後「スタディ・ツアー」で外出
12月 3日(金) 「ワンサニット」
12月 4日(土) 「ワンサニット」
12月 5日(日) 「ワンサニット」
12月 6日(月) 「ワンサニット」
12月 7日(火) 「ワンサニット」
12月 8日(水) 朝食後合宿セミナー修了、車でバンコクへ帰還、
追加プログラム・自由行動。
ピサヌロークの瞑想センターへ行く方早朝チェックアウト。
12月 9日(木)  追加プログラム
12月10日(金)  追加プログラム
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バンコクには11月27日(土)までにご到着下さい。

11月27日(土)には、うちの「タイ・ヨーガ研究所」主催の年次大会・セミナーがバンコクである予定ですので、26日(金)までにバンコクに到着されていますと、そのプログラムにも参加可能です。

11月28日(日)の午前9時にバンコク都内のラームカンヘン通りの集合場所に集合
(「タイ・ヨーガ研究所」の近く)。

その後、チャーターした車(ミニバン)でバンコク郊外・オンカラックにある「ワンサニット・アシュラム」に移動。

途中、オンカラックの手前のランジットにある「ワット・パンニャーナンダラーム(瞑想寺)」を表敬訪問。昼食。

その後、「ワンサニット・アシュラム」にチェックイン。午後3時からプログラムを開始します。

「ワンサニット・アシュラム」でのプログラムは12月8日(水)の朝食後終了です。

12月8日(水)からピサヌロークの瞑想センターでの10日間の「ヴィパッサナー・コース」に参加される方は「ワンサニット」を午前7時頃チェックアウトし、バンコク都内の集合場所に向います。

それ以外の参加者の方たちは、朝食後、チャーターしたミニバンでバンコク都内に帰ります。

「追加プログラム」は、毎回、参加者のみなさんの都合や興味によって決められています。昨年は、王宮広場方面に出かけ、国立博物館を訪ねたり、ツーリスト街のカオサン通り探訪、チャオプラヤー河のリバー・クルーズ、BTS試乗、伊勢丹前のガネーシュ神訪問、運河ボート体験 etc、などのプログラムがありました。


3)「ロナウラ2011」

日程:2月27日(日)から1週間/2週間~+追加プログラム
定員:特になし
対象:ヨーガの初心者からベテラン・指導層まで  
内容:インドの研究所での実地体験/フィールド・ワーク
費用:実費分担+ドネーション
会場:「カイヴァリヤダーマ・ヨーガ研究所」、「ニサルゴプチャール(自然療法)・アシュラム」

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わたしたちのインドでの「研究期間」中の来年2月3月にも、日本人の方を対象としたロナウラ・プネー・ウルリカンチャンでのプログラム「ロナウラ2011」を企画したいと思います。

プログラムの内容と詳細は、希望者の方と個別に打ち合わせて決めて行きますので、
興味のある方はお問い合わせ下さい。


今年3月の「ロナウラ2010」のフィードバック

今年3月の「ロナウラ2010」の参加者の方のフィードバックは、この「ブログ」でまとめて閲覧できます。

右側の「カテゴリ」欄の
→〔ロナウラ編〕
のところです。

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2010年8月14日土曜日

バンコクの近況2011(2)


バンコクの近況2011年8月・9月(5)

1)今年はオフィスから運河ボートで通勤  
2)南タイのソンクラーでニダーさんと再会!
3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファームへ
4)SWUコースのクリヤー・キャンプ
5)ミャンマーの休日
  
  Picasa上にバンコクの近況のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011BKK

    相方ひでこ

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Sawasdee kha !  皆さん、こんにちは。

10月に入りましたが、いかがお過ごしでしょうか? バンコクの近況2011・8月9月編です。

今年のバンコクの「仕事期間」も前半が終わり、後半に向かうところです。これから、日本の方との合宿セミナーが3つあります。

8月・9月にも、日本から4名の方がバンコクに見えられ、楽しく、有意義な経験をされて行きました。

その様子は、「アジアの精神性とヨーガ2011」のシリーズの
フィードバックで回覧されています。

日本のみなさんが、より広い世界に行動範囲を広げられ、異なる国の文化や人々について知る努力をされることへの支援も、
私たちの仕事期間中の活動です。



1)今年はオフィスから運河ボートで通勤

8月に続き9月も、日本は台風の接近・上陸で、被害を受けた所が多く出たようですが、みなさんの所は、無事に台風をやり過ごすことが出来ましたでしょうか。

台風の影響を受けられた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風が去った後は、一気に秋の気配が深まりますね!

毎日見ているiGoogle(ニュース)の気温のところで、東京の表示が今までずーと30度代だったのが、22度となっていたので、「アレ!何かの間違いかな??」と、しばし疑いの目で見ていました(笑)。

7・8月そして9月のお天気欄は、バンコクとプネーには曇りと傘マークばかりで、東京は太陽のお天気マークばかりでした。気温の数字も、東京がインドやタイに勝っていました!

例年バンコクの仕事期間中、ある期間、私たちはSWUコースのために大学のキャンパス内のゲストルームに入りますが、今年はラームカムヘーン通りのタイ・ヨーガ研究所(TYI)のオフィスから通勤しています。

バンコクの西部、新空港寄りのラームカムヘーン通りは、交通渋滞でも悪名が高く、もしバスで通勤するとしたら、渋滞状況を考え早めにオフィスを出なければなりません。

ヨーガ副専攻の学部生のクラスに出るときは午前・午後ですが、夕方からの社会人対象のヨーガ講座・SWUコースのクラスは午後5時半から8時です。

バンコクの主要な通りは、学校が終わる午後4時を過ぎると渋滞モードです。しかし、幸いなことに、うちのオフィスのあるラームカンヘーン地区はバンコクを横断するセンセーブ運河を走る運河ボートが使えるので、今回はほとんど運河ボートで大学に通っています。

オフィスで1日の仕事をして、午後4時10分頃にオフィスの前で、通りを往復しているソンテーオ(乗り合い車)に乗り、
表通りのラームカムヘーン通りへ、そこからさらに歩いて最寄りのボート乗り場、ワット・クラン船着き場へ。

4時半頃に、バンコクの中心部へ向う運河ボートはガラガラです。乗っている人が少ないし、途中の船着き場での乗り降りも少ないので、100人は乗れる運河ボートは、ビュンビュンとスピードを上げ、モーターボート状態です!

その代りに、運河の水しぶきも激しくかかるので、帽子をかぶり、下を向いて水しぶきを浴びないようにして、インターシップでバンコクに来たロナウラの後輩のC.A.さんと一緒に3人で大学に
通いました。

センセーブ運河はスクンヴィット地区にあるSWUの真裏を通っており、裏門の目の前が船着き場です。

普通でしたら、運河ボートでの所要時間は25ー30分くらいですが、午後の時間帯は15分くらいで到着します。

人文学部は裏門から一番近いビルで、すぐ近くです。ビルの3階が哲学宗教学科で、ヨーガ研究室もその階にあります。
ヨーガで使っている講義室は6階です。





もしバスで大学まで行くとしたら、冷房車に乗れて快適ですが、3時頃にはオフィスを出ないと渋滞にかかり、クラスに
間に合わなくなってしまいます。いつも触れていることですが、大都会バンコクの大問題は、移動手段のやり繰りです。

徒歩、車、タクシー、ソンテーウ、バス、ボート、地下鉄、高架鉄道、最近開通した空港鉄道など、あらゆる交通手段を行き先と時間帯に合わせて、上手く組み合わせるのがバンコク式ですね!



2)南タイのソンクラーで、ニダーさんと再会!

8月19日(金)-21日(日)の週末2泊3日で、南タイのハジャイにあるソンクラー大学(PSU)看護学部への出張がありました。

昨年は、日帰りで博士課程の学生さんへの講義だけだったので、主人が1人で行きましたが、今年は2泊3日で実習指導も組まれていたので、私も同行することになりました。また、バンコク・インターンシップ中だった後輩のC.A.さんも
同行することになり、日本人3人組での南タイ紀行となりました。

ソンクラー大学でのプログラムについては、すでにC.A.さんのフィードバックでも回覧されています。
[lonavla:346]【お知らせ】ワンサニット追加プログラム
[lonavla:347]アジアの精神性とヨーガ2011(3)

ここでは、大学のプログラム以外の出来事についてお話します。


○オフ時間の外出

8月20日(土)はフリー・タイムがあったので、ハジャイの隣の港町ソンクラーに出かけることになりました。

私たちの案内役をしてくれたのは、ソンクラー大学看護学部博士課程在籍中のタパラットさん(女性)です。

昨年11月から4ヶ月間、インドにフィールドワークに来られ、プネーのプナー大学に2ヶ月間滞在した後、ロナウラの
カイヴァリヤダーマ研究所の1月・2月の6週間コース(CCY)を受講されました。

タパラットさんは30代後半、現在ハジャイから80キロ離れた町の病院勤務ですが、博士課程を修了したらソンクラー大学のスタッフになるか、ハジャイ市内の病院に転勤する予定です。




ソンクラー大学の看護学部では、ヨーガは重点研究課題として、博士課程の学生さんには、ヨーガをテーマとした研究が推奨されています。

それで、タパラットさんも「ヨーガとライフスタイル」をテーマに、ヨーガ実習者のライフ・スタイルがどのように変化したかを、
文化人類学的な手法で研究されています。

さて、朝、大学のゲストハウスに迎えに来てくれた彼女の車で、まず、前日に電話で連絡をしておいた、旧友のニダーさん(女性)のソンクラーの家を訪問することになりました。


○ニダーさんについて

ニダーさん(ニダー・ティラクルさん)のことについて少しお話します。

私たちが、バンコクでヨーガ活動をするようになったのは
1998年からですが、ニダーさんは、その最初期の生徒さんであり、当時の私たちのバンコクでの滞在先の世話をして呉れていたひとです。

ニダーさんは、バンコク空港近くのチェンワッタナー通りで、
友人のゲイソンさん(女性)と小さい警備保障会社や、近くの教育大学の女子学生さんの女子寮・男子寮を運営されていました。

当時の私たちの活動は、シーロム通りにあるサンサエン・アルン財団
でのヨーガ・セミナーから始まったのですが、そのひとつにお2人が参加されたのです。

そして、翌年の1999年からは、私たちに女子寮の1部屋と、会社のオフィスの机を使わせて呉れることになったのです。

当時はニダーさんもゲイソンさんも、寮に自分の部屋を持って管理人として住んでいました。社長はゲイソンさんの方で、やはり南タイ出身、太っ腹な方でした。

ただ、ゲイソンさんも1997年のタイのバブル崩壊と通貨危機の時に、株で大損をされたようです。そのショックからか、からだにも不調感があったようで、日曜日には、よく地方の有名な気功治療師のところに通われていました。

一方、ニダーさんには持病の甲状腺問題があり、手術もされていて、定期的に検査で病院に通っていました。バブル崩壊で、タイも経済が冷え込んでいた時期です。

さて、不景気で暇になったこともあり、サンサエン・アルン財団でのヨーガ・セミナーには、もともと健康問題があった会社の経営者や、
失業中のビジネスマンといった人たちがヨーガに興味を持ち、よく参加されていたのです。

ニダーさんはヨーガが良く合ったようで、熱心に練習を続けた結果、見違えるように健康になられました。近所の人や友達の間で、
「最近ニダーさんはずいぶん健康そうだが、どうしたのか」と、噂になったようです。

それで、知り合いの紹介で、ラームカンヘーン大学で週2回ヨーガのクラスを持つことにもなり、時々、私たちもニダーさんのクラスに登場していました。


○「パンニャーナンダ・ラーム」でヨーガ・クラス

また、その頃から、ニダーさんはよくお寺に通っていました。チェンワタナー通りの先にあるパクレットという町にある、
高僧の「パンニャーナンダ・ビク」のお寺が、ニダーさんの行く
お寺でした。




当時は、高僧パンニャーナンダ・ビクが、バンコク郊外の
ランジット地区に、新しい瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」を開くプロジェクトが始まった頃でした。

そのお寺をご存知の方も多いと思います!「ワンサニット・アシュラム」での合宿セミナーがあるの時に
立ち寄るところです。高僧パンニャーナンダのもと、政府から認定された研修寺でもあり、いつも多くの研修グループで賑わっています。

ニダーさんは、「ワット・パンニャーナンダラーム」のプログラムに
ヨーガを紹介することにも尽力されました。よく私たちも、「お坊様にもヨーガを指導してほしい」と頼まれて、一緒に週末にお寺に泊まり込みで出かけて行ったものです。

その後、ニダーさんは土・日の週末にお寺に来る一般の人向けのヨーガ・クラスを定期的に続け、タイの瞑想寺でヨーガ・クラスを
併設という、新しいトレンドの走りとなりました。






○ニダーさんの引退準備

さて、その後、2002年にゲイソンさんは肝臓ガンで亡くなられました。

1年くらい前から、体調がかなり悪そうで、毎日のように
タイ古式マッサージを受けておられましたが、私たちがインドに帰っていたときに「亡くなった」という知らせを受けました。

そのため、会社の事業も縮小、女子寮は手放すことになり、私たちの滞在部屋も翌年の2003年から、女子寮から
同じチェンワタナー通りの住宅地に買ってあったニダーさんとゲイソンさんの家に移りました。

長年の仕事パートナーを失ったこともあり、ニダーさんは
身辺整理と引退準備を始められました。よく、深く考え込んでいる姿を見かけたものです。会社や家や愛車の年代物のフォルクス・ワーゲンを人に譲ることを考え、身軽になり、お寺に入り晩年を過ごす準備を始められたのです。

2005年には家が売りに出されて、ちょうど買い手の目処が
付いた頃、現在TYIのオフィスになっているラームカンヘーン通りの家が購入されたので、2007年からは新オフィスが私たちのバンコクでの滞在先になりました。

事業を縮小した会社の方は、主にもう1人の同僚に任せ、
家や会社からほぼ自由の身になったニダーさんは、お寺で過ごす時間が多くなり、郷里のソンクラーにもよく帰るようになりました。

「ワット・パンニャーナンダラーム」だけでなく、南タイにある
有名な瞑想寺「スーワン・モッカ」にも長く滞在され、そこでも
ヨーガのクラスを担当されながら、仏道修行を深めて行かれました。

そして、私たちも新オフィスでの活動も軌道に乗って来ましたし、直接バンコクでニダーさん会う機会もなくなり、電話で年に1・2回話をするくらいになりました。

その後、7人兄弟の長女で独身であるニダーさんは、高齢になった郷里のお母さんの面倒を見ることになって、南タイのソンクラーに帰られました。

ニダーさんがソンクラーに帰った後も、ランジットの瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」のヨーガ・クラスは、うちのTYIのメンバーによって継続されています。


○ソンクラーで再会

今回ハジャイの滞在中に、自由な時間が取れることになった
ので、それではと、ソンクラーのニダーさんに電話をして、
ソンクラー大学に仕事で来ていることを伝え、ニダーさんの家を訪ねることにしたのです。

ハジャイからソンクラーまでは、30キロほどです。タパラットさんにニダーさんの家の住所を伝え、
車が広い通りから小道に入った時に、ニダーさんに電話をしました。

ニダーさんは「OK、まっすぐに!」と言うので、前方を見ていると、女性が立っているのが見えました?いやー、女性というか、頭を丸めたメイチー(尼さん)になっているニダーさんを見ました!!




久しぶりに会いましたが、やはりニダーさんは、メイチーに
なられましたか!

お母さんの家の近くのお寺でメイチーになられたそうです(メイチーとは、こちらの仏教で女性の仏道修行者のことです)。

昔、チェンワタナー通りの女子寮に部屋をもらっていた頃、「私も55歳になるから、徳を積んで準備をしなければ...」
とニダーさんが言われていたことを、良く憶えています。

86歳になるお母さんは痴呆の症状が出て来て、24時間誰かの
付き添いが必要な状態です。本当は、ニダーさんは、余生はお寺で修行生活を送るつもりだったのですが、今はお母さんの介護があるので、家に居ながらお寺のような規則正しい生活を送っています。

健康状態はすこぶる良好で、もう定期検診で病院に行くことは
なくなったそうです。庭では健康野菜やフルーツを作り、ヨーガと瞑想で規則正しい生活のリズムを維持し、ダンマ(ブッダの教え)の道を歩かれているニダーさんを、人生の先輩として、とても誇らしく思いました。

ニダーさんは、ヨーガを切っ掛けとして、見事に人生のステップを先に進められたケースですね!





○タイの人たちの仏教的生き方

敬虔な仏教国のタイには、会社や仕事のことで一生懸命生きて
来ても、ある時期からは自分の生き方を振り返り、人生の後半は熱心にダンマ(ブッダの教え)の道を歩き始める、という人たちがいます。

私たちの周りのTYIのスタッフにも、40歳前後で会社を退職し、SWUでヨーガ・コースを受講し、ヨーガ指導を始めながらも、定期的に瞑想寺や瞑想センターに入り、だんだん瞑想をしている
時間が長くなって行く人が多いです。

つまり、ヨーガをステップとして、本来のタイ人らしい精神性の
世界に、無理なく進んで行くケースです。このような生き方は、タイの人たちの仏教的人生観によるものなのでしょうね....

タイ人と私たち日本人は、似ているところも多いのですが、
どこか根本的に違った発想や行動があり、それがとても興味深く、タイの人たちにヨーガを指導して行くことで、いつも良い影響を受けています。

と同時に、こちらで私たちのヨーガの活動が上手く行っているのも、タイの文化には、この様な仏教的精神性の基盤がしっかりと
社会に根付いているからだろうと思うのです。

このような、同じアジア人のタイの人たちの精神性の深さに
触れることは、日本でヨーガに興味のあるみなさんにも、とてもプラスな影響になると思われます。

どうぞ、ご都合の付く方はタイに来られて、こちらの瞑想センターで
瞑想体験を積まれたり、ワンサニット・アシュラムでのヨーガ合宿にご参加下さい。歓迎いたします。


☆☆☆☆☆


さて、ニダーさんの家を出た後は、ソンクラー市内を探訪、海岸のレストランで美味しい地元の魚料理をいただきました。
食事の後は、マーメイドという人形の像がある所まで、3人でぶらぶらと裸足で海岸を歩いて、海の風を楽しみました。
タイは、どこに行っても美味しい食べ物が豊富ですね!



(この項続く)


☆☆☆☆☆

 


3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファーム(ワニ園)へ行く

9月2週目の日曜日の11日に、今年度のSWUコースの受講生さんに 車でバンコクの南部、サムットプラカンにあるクロコダイル・ファーム (ワニ園)へ連れて行って貰いました。

http://www.youtube.com/watch?v=tG2kpcjkab0&feature=mfu_in_order&list=UL



○バンコク名物のワニ園


朝7時半にオフィスに迎えに来てもらい、出発。

途中道を間違えたりしましたが、8時半には目的地に到着しました。 まだ人もまばらで、9時からの「ワニのショー」もまだ始まらず、 園内のワニや他の動物・鳥を見て歩くことにしました。

話には聞いていましたが、いるいる、池の回りに這いつくばって、 じっとして動かないワニがごまんと!



よく洪水の時期に、池の水があふれ、ワニが逃げ出し、 近所の家の風呂場にいるのを見つけられて、警察や係りの人が 呼び出される!と言うニュースを耳にしますが、 起こりそうなことだな、と納得しました。

どうも、ワニはお腹さえ満足していれば、 無害で、おとなしい性格なのではないでしょうか? ワニのショーの時でも、ジーっとしているのを無理やり 水から引っ張り出して、開いているワニの口に手や顔を入れて 見ているお客さんとハラハラさせます。

また、ワニ使いのお兄さんが、ワニと闘っているような 大げさ演技で、お客さんの喜びそうなことをして見せます。 どう見ても、ワニは迷惑そうです。

それにしても、「ワニの口は閉まらないのだ!」と、 解っていても、開いたワニの口の中に頭を顔を入れるのは、 あまり見たくなかったですね。

ここでも、観光客の多くは中国人で、ワニ使いのお兄さんも 少し中国語を話して、大いに受けていました。

うちのオフィスの近所の中級ホテルでも、連日中国人観光客を 満載した観光バスが横付けしています。同じアジア人ですが、 違いは一目で分ります。

どうやら、タイの観光客の主力は、すでに中国人に移行して いますね。バンコク空港にも中国人が溢れ、中国の空港の ようですよ。


○受講生のぺイさん

さて、クロコダイル・ファームの見学の後は、チャオプラヤー河が タイ湾に流れ込む河口近くのシーサイド・レストランで、
海を眺めながらの昼食になりました。

バンコクのクロントーイ港の方から、貨物船が外国に向って 出て行くのを見ながら、タイ料理を楽しみました。

今日案内してくれたペイさん(女性)は、そのクロントーイ港の 税関に勤務されている税関職員さんです。40代前半で独身です。

今回のシーナカリンヴィロード大学のヨーガ・コースの受講には、 コース修了後に職場でヨーガ指導をする、という条件で、 職場からも全面的な支援を受けられています。

クラスのある日は早退が許され、早めに大学の講義室に
来られています。 ペイさんは、ややふっくらした体形で、性格円満、いつもニコニコされています。タイではよくあるキャラクターです。

クラスにバナナやお菓子を持って来て呉れて、 「アーチャン(先生)にあげます」と、やたらと気前がよいのです。 これも、タイではよくあることです。

英語でのコミュニケーションはいまいちなので、ワニ園への 誘いを受けた時も、もう一人英語が出来る人が付いてくれれば いいかな、と思ったのですが、性格が良いと、だいたいの コミュニケーションでも何とかなります。


○「ワット・アショーカラーム」へ

昼食後は、お寺に行くことになりました。 やっぱり、お寺に行くのか、と納得。

クロコダイル・ファームから遠くないところ、同じくサムットプラカンに ある「ワット・アショーカラーム」というお寺でした。

このお寺は紀元前3世紀頃のインドのマウリア帝国の アショーカ王の由来があるそうですが、詳しくは解りません。



ランジットの「ワット・パンニャーナンダラーム」のように、 近代的設備が整った新しい作りの研修・瞑想寺で、町中にある お葬式のためのふつうのお寺(ワット・タマダーと言います)とは 雰囲気が違います。

私たちのよく知っている「ワット・パンニャーナンダーラーム」と 同じ空気がありました。



この「ワット・アショーカラーム」の歴代のお坊さん方は 瞑想修行に優れ、予知能力がある方もいるそうです。

一つの立派な建物に入ると、そこにはタイの歴代の高僧の 等身大の座像が置かれ、その前に、その高僧の遺骨の一部が 綺麗な宝石入れのような透明の容器に入って置かれていました。

なんと、高僧の博物館!なのです。 驚きました。そして、大いに納得しました。 このような施設があると、仏教の実践も、とても身近に感じられ ます。

仏道修行を続けて行けば、いつかは自分もこのような高僧方の ように「アラハン」と呼ばれる精神が自由な境地に届くのだ、という 「ブッダの教え(ダンマ)」が現実味を持って来ます。

先日亡くなられたマハーブア高僧の像や、タイを代表する 近代の高僧アーチャン・チャーや、その師僧だった アーチャン・マンの座像もありました。

何でも、高僧方の遺骨は、だんだんと色が変化して行って、 クリスタルのように輝いて行くことがある、のだそうです。 確かに、綺麗な容器に入れられて展示されているので、 遺骨とは思えません!

このように、高僧が亡くなられると、その遺骨は各地に分配され、 貴重品として扱われるようです。

ペイさんは、他の用事が無い限り、毎週日曜日にはこのお寺に 来て、法話を聞いたり、瞑想をされるとのこと。 そして、今のSWUコースが終わったら、このお寺でもヨーガの クラスを持つことも決まっているそうです。


○ヨーガの役割


インドでも、タイでも、独身の女性はとても宗教熱心です。

特にタイでは、お寺の活動に参加しながら、社会奉仕活動にも 積極的に参加して行くことが多いです。

生き物の根本的な活動は、子孫を残すことですね。 人間も例外でなく、「結婚をして、子供を生み育てること」が 社会活動の根本にあります。

この枠に入らない人は、そのエネルギーを正しい方向に向けて 行かないと、こころやからだが病んで行くことがあります。

タイでは、積極的にダンマ(ブッダの教え)の枠に入ることで こころとからだのバンラスを取り、独身の人や子供のいない 夫婦の方も、実に幸せな人生を送っている人が多いように思います。

ただ、最近は、バンコクで都会暮らしをしている中産階級の人たちの
生活意識では、いきなり伝統的なお寺で、保守的な仏教の教えの枠に入ることは、そう簡単には出来ないようになっていますね。

なので、まずヨーガに親しむことが、有効なアプローチになっています。 まず、ヨーガでからだと呼吸を整え、瞑想で徐々にこころの準備を 進めて行くことで、ダンマ(ブッダの教え)の枠組みに入り易くなる
ことは、うちの回りのタイのメンバーの実績を見て、確信できます。



4)SWUコースのクリヤー・キャンプ


9月第3週の週末、16日(金)ー18日(日)の2泊3日で SWUコースの第2回目の合宿、クリヤー・キャンプがありました。

このレポートも、バンコクで2ヶ月のインターンシップを過ごされた C.A.さんのフィードバックでも回覧されています。

[lonavla:347]アジアの精神性とヨーガ2011(3)
http://hhyoga.blogspot.com/2011/10/20113.html



○実習するクリヤーの技法


合宿の前の週のクラスでは、みんなでクリヤーの実習写真を 見たりして、受講生のみなさんは大いに期待が高まっていました。

クリヤー・キャンプで実習する項目は、

○ネーティ・ポットを使ったジャラ・ネーティ
○水を使うゲーランダ・サンヒターのカパーラヴァーティ
○フード・チューブ(病院で使うもの)を使ったスートラ・ネーティ
○嘔吐反射を豪快に使うボーマン・ダウウィ
○ろうそくを使った夜のトラータカ
です。




大方のひとは、スートラ・ネーティで片方、または両鼻とも 通すことが出来で、大いに達成感に浸っておられました。

面白かったのは、 今年の受講生に麻酔医の女医さんがいるのですが、 どうもフード・チューブを見ると、職業意識が目覚めるのか(?) 皆の鼻にチューブを差し込む手助けをして回っていました(笑)。

ヴォーマン・ダウティの方も、最初から豪快に嘔吐反射を使って 飲んだ水を吐く人、吐こうと思ってもなかなか吐けない人と、 さまざまでしたが、2日目になると要領を心得てか、気持ちよく 反射を使って吐いていた人が多かったようです。

ハタ・ヨーガの技法は、身体の反射を上手に扱って行きます。 これは、練習して行かないと、なかなか分らないものです。

体内の反射のメカニズムが分って来て、それを自覚的に扱える ようになって来ると、健康の維持増進の観点からも、 効果絶大です。

生徒さんにダウティの体験をしてもらったので、 講義のクラスで、カイヴァリヤダーマ研究所のディプロマの学生 であったK.M.さんがモデルになっているビデオを皆んなで見ました。
http://www.ajamichael.info/movie

ヴォーマン・ダウティ、ダンダ・ダウティ、バストラ・ダウティの 3つのダウティのビデオを見ながら、一部体験済みの皆さんは、 怪訝な顔をしながらも、大いに面白がってビデオを見ていました。

中には、「この合宿で包帯を食べるのはやらないの?」 という人もいて、K.M.さんが簡単に、美味しそう(?)に包帯を 食べるビデオを見て、自分もやってみたくなったのでしょうか。 ビデオの効果あり!ですね。


○複合技の練習へ前進

クリヤーの実習の他、2回目の合宿では、大学のクラスでは 練習しない壁を使ったシルシ・アーサナや、クッションでサポートを 入れたサルヴァーンガ・アーサナやハラアーサナも紹介し、 無理してアーサナをやることは全く無意味!いかに安全に実習を 続けて行くか!ということが強調されました。

そして、アーサナにあまり比重を置かないこと、
からだにこだわりすぎないこと、次の、プラーナーヤーマに進むことの大切さを、ハタ・プラディーピカーを引用しながら説明します。

ハタ・プラディーピカーの1章アーサナの章の終わりの部分と、 2章のプラーナーヤーマの章の始めは、とても大切なところです。

クラスでは、サンスクリット語の原典を読み解きながら、詳しく 解説されています。

プラーナーヤーマでは、この合宿からバストリカーの練習をスタート しました。 バストリカーの実習が入って来ると、その後の瞑想で 一段と集中度が増し、クラス全体の雰囲気が深まって行くのを 感じます。

センターの回りの自然環境と、合宿という条件の相乗効果もあり、 広いホールがし~んと静まりました。

それまでの12週間で学習して来た個別の技法の積み上げが、 複合技のバストリカーやマハー・ムドラーの練習に入ると生きて 来ます。

そうなると、ハタ・ヨーガの洗練された技法の意味が、 実感として判って来て、ますますヨーガの面白さが深まります!



5)ミャンマーの休日

SWUコースも順調に進み、2回目の合宿も終わったので、 私たちの役割は一段落しました。 これからは生徒さんたちのクラス実習も始まり、 うちのタイ・チームの役割の比重が増えます。

それで、9月の最後の週末、9月23日(金)ー26日(月)の 3泊4日で、タイのお隣のミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)に 出かけました。

Picasa上にミャンマー訪問のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011MYANMAR_Yangon




○ミャンマーへの興味

24年前、私たちがヴィパッサナー(Vippasana)を始めた頃、 ビルマ(現ミャンマー)の僧院で伝承されて来た指導法で学んだ のです。

そのヴィパッサナーの指導法は、1980年代以降、インドでも たいへん広まって行きました。ビルマに生まれ、ビルマの先生に 指導を受けたインド人の先生が、インドで教え始めたからです。

すなわち、 「もともとインドのブッダの瞑想法であるヴィパッサナーが、 インドの外で現代にまで継承され、再びインドに還って来た」 という展開です。

それで、私たちも、当時インドのヨーガへの興味と平行して、 ビルマの仏教の教えや瞑想法に興味を持ったのです。

ビルマは日本にもなじみの深い国ですが、1962年の クーデター以降軍事独裁となり、事実上鎖国状態が続いて いましたし、1980年代後半の民主化運動・総選挙の動乱で、 さらに混迷した状況となりました。

1991年には国名もビルマからミャンマーに、 首都名もラングーンからヤンゴンへと変わりました (現首都はネビドー)。

観光旅行での入国でも、ビザ発給の条件が厳しかったり、 外国人は歓迎されていない状況が、長く続いて来ました。

その後、私たちはインドでのヨーガ研究が始まりましたし、 タイでの仕事が始まってからも、なかなかミャンマーを訪ねる
機会はやって来なかったのです。



○念願のミャンマー訪問


しかし、長年停滞して来たミャンマー情勢も、近年ようやく進展が 見られ始めたようです。一応総選挙が行われ、今年の3月から、
ようやく軍政から民政に政府が移行しました。

それで、今年は、ついに私たちもミャンマーを訪れることになった
のです。バンコクからエアー・アジアが就航して、エコノミーに行きやすくなったことも動機ですね。

今回のミャンマー訪問は短期でしたので、ヤンゴンだけにしました。 ヤンゴンのシンボルであるシェラダゴン・パゴダの近くの ゲスト・ハウスに滞在し、シェラダゴン・パゴダ参拝や、国立博物館を 見学することに目的を絞りました。

シェラダゴン・パゴダはゲスト・ハウスから歩いて行ける距離にあり、 私たちの部屋からも、夜ライトアップしたパゴダが美しく見えました。 もちろん日中も、黄金に、ぴかぴかに輝いていました。

初日の23日(金)に、ヤンゴンに到着したのは午後6時過ぎです。 その日は予約しておいたゲスト・ハウスにチェックインしただけで 休みました。


○シェダゴン・パゴダ参拝

翌朝24日(土)に、さっそくシェラダゴン・パゴダに参拝。 長い参道を歩いて、さらに階段を上って行くと、受付カウンターに 座っている人が近づいて来て、入場料1人5ドルを払うよう言われ ました。

入場料を払うと、胸にシールを貼って呉れ、境内に入れます。 シールにはマジックで日付が書いてあり、その日だけ有効。 入場料は外国人だけで、ミャンマーの人は無料のようでした。

女性はもちろん、ここでは男性の服装も、上はワイシャツですが、 下は布を巻く民俗服のロンジーを着ているので、ズボンを はいている私たちは、すぐ服装で外国人と分かります。

参道を登りきったところに中心のパゴダがあり、その周辺にも おびただし数のパゴダが建っています。全体の存在感に 圧倒されました。

シェラダゴン・パゴダは凄いとは聞いていましたが、実際に行って見て、 その規模と偉容に、たいへん驚きました! そして、土曜日でしたが、実に沢山の人々が参詣に訪れていました。

仏像の前で祈る人、仏像に水をかける人、そして仏像の横にある 個室で瞑想する人.... あるいは、広大な境内に数多く建てられているホールの オープン・スペースで休憩したり、お弁当を食べたり、昼寝したり... ミャンマーの人たちにとって、パゴダは祈りの場であり、 憩いの場となっている様子が面白かったです。


○国立博物館


その次の日25日(日)には、ヤンゴンの国立博物館を訪ねました。 観るもの全てが不思議で愉しく、見応えがありました。 駆け足で2時間半、あと2回くらい、余裕で見て回れるくらいの
ボリュームが展示してありました。

そして、博物館のお土産売り場がなかなか充実していました、
と言うより、街中にお土産を売っているお店などを、全く見なかったせいもありますが。

国立博物館で、ミャンマーには沢山の民族の人がいることが
よく解りました。主要な8部族間を治めることが、統一ミャンマーを維持する大きな障害となっているようです。

そういえば、8月にワンサニット・アシュラムに滞在していた時、 丁度アジア人のNGOグループのセミナーがあったのですが、 セミナーが終わって話しかけて来た人に、どこの国ですか?
と尋ねたところ、「クチン」という名前が返って来ました。

私たちは、ワンサニットのスタッフから 「インド、ミャンマー、などの国の人たちのセミナー」と聞いていたので、 「ミャンマーですか?」と聞きなおしても、「クチン」としか 彼は言いませんでした。
(正式にはカチン族のようですが、私にはクチンと聞こえました)。

どうやら、今でもカチン独立運動や、カレン民族開放軍といった
組織があるようで、民族間の問題は根が深いようです。

一方では、最近、ミャンマーの社会状況が変化を見せ始めて
いますね。良いニュースを聞くようになりました。
9月30日には、ミャンマー国会が巨大ダムの建設工事の中断を
決めた、というニュースが入って来ました。
このダムは、中国人による、中国の電源確保のためのダムで、 ミャンマーに環境破壊の犠牲を押しつけるものとして、反対の声が
大きかったのです。

このダム建設中断の決議は、国会を通じた民意の結集として、今後の大きな政策転換への象徴的できごとになることが予想されています。

早く、開かれたミャンマー、平和で繁栄のミャンマーとなることを
祈ります。


○偶然ヴィパッサナー・センターへ、

さて、まったくの偶然だったのですが、
今回泊まったゲストハウスから歩いて10分ほどのところ、大通りから入る次の通りの奥に、なんと「ヴィパッサナー・センター:Dhanma・Joti」があったのです。

これは、私たちも実践している指導法のヴィパッサナーの、 インド人のS.N.ゴーエンカ先生系の瞑想センターなのです。

そして、入り口の受付けには、ゴーエンカ先生の先生、ミャンマー人のサヤジ・ウ・バキン先生の大きな肖像画が掛けられていました。




このセンターは、古くて大きなお寺の敷地の一部に建てられて
いるようです。小さな橋を渡って、ヴィパッサナー・センターのキャンパス内に入ります。

周辺は、まったく普通の住宅地です、というか、村です。
小さな露天のマーケットが立っています。インドの村のようです。センターのオフィスまで行ってみると、上品そうな年配の男性が出てらして、しばらくお話をしました。

今センターでは、10日間コースが進行中で、この後、
45日間コースが始まるとのこと。その方は30日間コースを2回修了したので、今回始めて さらに長いコースに参加する、ということを嬉しそうに話されていました。

やはり、ミャンマーでも、ゴーエンカ先生のヴィパッサナーを
されているのは、中産階級でインテリの方だな、と納得した次第です。


(この項つづく)

 

 

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

2010年8月9日月曜日

パナソム2010秋(1)

みなさん、猛暑の夏を、如何お過ごしでしょうか。
この時期、雨季のバンコクは涼しいです。
日によっては、肌寒いくらいで、冷房はほとんど使わないです。

さて、タイでの秋の合宿セミナーのお知らせです。

10月30日(土)から、11月3日(水)の「文化の日」の祭日の4泊5日のプログラムです。

興味をお持ちの方は、どうぞ、お早めにお問い合わせ下さい。
(下のコメント欄からご連絡ください)。


『パナ・ソム(森のアシュラム)2010秋』





日程:10月30日(土)-11月3日(水)、4泊5日
定員:10名前後(6名以上の参加者でコースは成立します)

対象:ヨーガの初心者からベテラン・指導層まで
内容:南国タイのリトリート・センターでの「スタディ・ホリデー・プログラム」
費用:実費分担+ドネーション


【日程】
10月30日(土)午前日本発、午後バンコク着、「パナ・ソム」チェックイン
10月31日(日)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 1日(月)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 2日(火)終日「パナ・ソム」でセミナー
11月 3日(水)昼食後、「パナ・ソム」チェックアウト (文化の日)


コースの内容は、ヨーガが初めてのエントリー・レベルの方から、ヨーガ歴の長い方・指導層までのベテラン・レベルまで、幅広く対応します。どのレベルの方にも有益な内容です。

テーマは参加者の方のご希望により、
次のモジュールから決めることも可能です。

・「ヨーガの背景」
・「ヨーガの基礎理論」
・「アーサナ考察」
・「プラーナーヤーマ専攻」
・「ヨーガ・スートラ特講」
・「ハタ・ヨーガ総論」
etc.....


定員10名前後の少人数制です。
外国での合宿プログラムですので、なるべく、ご家族やお友達とご一緒の参加をお勧めしています。

「コース参加経費」のお1人の分担分は、「パナ・ソム」の場合、参加者10名前後で、4泊5日分で約3万円です。

コースの講義・実習料の部分は、いつものように、プログラム修了後に参加された方がご自分の満足度で決められる「ダーナ(ドネーション)・システム」です。


『パナ・ソム(森のアシュラム)』について

「パナ・ソム」は伝統的なタイの建築様式を生かした、都会人向けのセミナー・ハウスです。新バンコク空港から車で約1時間の距離、バンコク郊外のノンタブリ・ブッダモントン地区にあります。

「ワンサニット・アシュラム」は「精神性とエコロジー」の実験施設でもあり、ややワイルドな、アウトドアー派の設備ですが、「パナ・ソム」の方は、年配の方や都会暮らしの方にも比較的無理のない環境と設備です(冷房設備もあります)。

「パナ・ソム」での合宿セミナーは、今までに4回実施されています(2008年1月・8月・10月、2009年9月)。

今までの参加者の方のフィードバックはこのブログでまとめて閲覧することができます。
右のカテゴリ欄の
→〔パナソム編〕のところです。

「パナ・ソム(Panasom)」のホームページ
http://panasom-resort.com/
住所:80/2 M.6 Jongthanorm-Watthoncheak Rd.
Bang-Yai Nonthaburi 11140

写真アルバム→
http://picasaweb.google.com/hhyoga/Panasom02

タイランドの「パナ・ソム」での秋の合宿セミナーに興味のある方は、どうぞ、お早めにお問い合わせ下さい。

ご予約をお受けします。
「参加確認」は、1ヶ月前の9月30日前です。

(この項続く)



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2010年8月6日金曜日

ヨーガとアジアの精神性2010(1)

「アジアの精神性とヨーガ」をテーマにしたシリーズです。
先月7月始めの「ソウル編2010」についての話題です。


今年も、日本からバンコクに帰る途中にソウルに4日間立ち寄り、7月3日(土)に、ソウルで1日セミナーを持ちました。      

DSCF2721s 

「YouTube」にセミナーの様子が上げてあります(1分47秒)。

 
● ヨーガとアジアの精神性

さて、わたしたちは、「ヨーガをテーマとしたインド研究」と「ヨーガとアジアの精神性の探求」をライフワークと考えています。1年の活動期間は、インドでの「研究期間」とバンコクでの「仕事期間」に分かれてます。

例年、12月から6月がインドでの「研究期間」、6月から11月がバンコクでの「仕事期間」になっています。インドの外での「仕事期間」中の具体的な活動は、「アジア(インドを含む)の伝統文化に伝承されて来た、健康の維持増進の方法論の研究と普及活動」という形を取ります。

タイでの活動は2004年に設立された、わたしたちのオフィスである「MCB財団タイ・ヨーガ研究所」が活動のベースですが、うちの母体である「MCB財団」は医療系の財団です。

主な仕事先はバンコクの「シーナカリン・ヴィロート大学(SWU)」の哲学宗教学科ヨーガ研究室ですが、マヒドン大学看護学部や、南タイのプリンス・ソンクラー大学(PSU)の看護学部、また、タイ政府厚生省代替医療局とも連携しています。

インドでの研究生活が始まったのは1990年、そろそろ20年になります。インドでは、「ヨーガとインドの伝統哲学」が中心テーマですが、現在は、「ロナウラ・ヨーガ研究所」で進められている「ヨーガ」の分野の伝統文献のリソース・マネージメントが主な関心事です。

一方では、ここ10年余り、タイの大学で仕事をすることになり、自然と、「アジアの精神性」についての考察も深めることになりました。

特に、この3年くらいは、時間の調整が付くときは、なるべく、インドと日本の中間に展開している「アジア」の国々へ理解を深めるように心がけています。

バンコクでの「仕事期間」中の合間に、各地の歴史的な世界遺産のスポットにフィールド・ワークに出かけたり、バンコクから日本への移動の途中、ソウル、北京、沖縄という、現代の同時進行スポットにも立ち寄るようになりました。

日本人として、インドの伝統文化である「ヨーガ」を研究して行くには、ある段階から、日本を含めた「アジアの精神性」への洞察を深める必要を強く感じて来た、という展開です。

特にソウルには、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」の卒業生の強力なネットワークがあるので、昨年からは、ソウルでもセミナーを持つようになりました。

DSCF2722  


1)「ソウル編2010」

さて、ソウルには、東アジアの気候・風土・文化について良く考察するインスピレーションがあります。

コーリアとも「ヨーガ」が接点ですが、いろいろな面で「日本」に近いながらも、ずれや違いも大きいコーリアを知ることは、自然と、「日本」についての洞察も深めることになります。

このところ、バンコクから日本への移動には、コーリアの航空会社のアシアナ航空を使っています。ソウルにストップ・オーバー出来ますし、ソウルから成田・広島・沖縄など、日本各地に乗り継げる利点があります。

6月に日本に行くときは、バンコクからソウル経由で成田に直行しましたが、7月の日本からの帰りは、実家のある広島(福山)に立ち寄り、広島空港からソウルに向かいました。

飛行機がインチェン空港に着陸し、機内から空港ビルに脚を踏み込んだ瞬間、つんと、キムチの匂いに触れます。その瞬間に、またソウルに来た、と悟ります。

ソウルのインチェン空港は、快適で使いやすい空港と思います。利用客の利便性がよく考えられています。スペースに開放感があり、シンプルだけど必要十分な施設。乗り継ぎで長時間滞在することになっても、滞在快適空間です。

新しいバンコクのスワンナプール空港は空港という名の「免税デパート」、利用客よりも免税店側のビジネスを考えたスペースです。成田空港は、どことなく、閉塞感がありますね。


ソウルの友人のヨーガ・センター

ソウルで訪ねる先は、「キム・ジェチャン(Kim Je-Chang)&キム・ソンジョン(Kim Soon-Jong)」夫妻の運営する
「AOMA YOGA ACADEMY」です。
http://www.aomayoga.co.kr/

SANY0016s 

ソウルの東端、漢江の畔、隣の九里市との境界にあります。インチェン空港から、「ヒルトン・ウオーカーズ・ヒル」というホテルを終点とするリムジンで1時間半。そこから歩いて10分。

ソウルを横断する漢江に面したオフィス・ビルの地下1Fです。ロケーション・雰囲気的には「語学学校」みたいな感じです。


最初のコーリア人留学生

「キム・ジェチャン&キム・ソンジョン」夫妻は、「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」のディプロマ・コース(D.Y.Ed)コーリア人の最初の留学生(1996-7年度)でした。最初のコーリアからの留学生ということもあり、隣国の日本人として、わたしたちが公私にわたり、徹底的にガイドしサポートした、という経緯があります。

その後、コーリアからは毎年ロナウラに留学生がやって来て、すでに30名近くの卒業生がいます。ある意味、コーリアは「ヨーガ先進国」ですね。

2人はロナウラで1年間のディプロマ・コースを修了後、わたしたちのアドバイスでプネー大学に進学、キム・ジェチャン氏は哲学科のM.Phil課程、キム・ソンジョンさんは心理学科のM.A.課程に進みました。

インドに来る前に、ジェチャン氏は大学講師(音楽)、ソンジョンさんはカウンセラーという経歴があります。

ロナウラのディプロマ・コースを修了後、インドでの次の勉強計画について相談を受けたのですが、最初、2人はビハールにある「ビハール・スクール・オブ・ヨーガ(BSY)」に進学することを考えていました。

当時、「BSY」は「Deemed University(準大学)」というステータスを得て、「ヨーガ大学」として学生を募集していたのです。しかし、わたしたちは、「いくら大学という名前が付いていても、将来性のあいまいなところに入学してはいけない」と、2人を強く説得、マハーラーシュトラ州立で、全国的な有名校であるプネー大学への進学を勧めたのです。

(その後、「BSY」の「ヨーガ大学」としての課程は廃止になり、 結果的にうちのアドバイスが「正論」であったことで、2人には  たいへん感謝された、という後日談があります)。

プネーで3年間留学生活を続け、コーリアに帰国。ジェチャン氏は3年目にM.Phil論文をプネー大学に提出、その後、Ph.D.課程に登録、8年かけて2008年にPh.D.論文を提出しました。研究テーマは、「上座部仏教のヴィパッサナー瞑想法と韓国仏教の禅瞑想法」の比較研究でした。

ソンジョンさんの方は、5年目にM.A.修了試験に最終的に合格。インドに来たとき、ジェチャン氏は40歳前、ソンジョンさんは40歳を超えていました。


コーリアンのチャレンジ精神

コーリアの人たちのチャレンジ精神と向上心・根性には、目を見張るものがあります。40前後になり、未知の国インドにヨーガ留学を決意し、その後もインドの大学で関連分野の学位を取得する、という積極的な行動パターンは、今の日本人には、ちょっと無理に思えます。

インドでの4年間の留学後、ソウルに帰り自分たちのヨーガ・センター「AOMA YOGA ACADEMY」を開設、センターの運営をしながら毎年インドに来ています。

「ジェチャン&ソンジョン」夫妻に続いて、「ヨーガ」の勉強でインドに来るコーリア組の間には、まず「カイヴァリヤダーマ」のディプロマ・コースに1年間留学し、引き続きプネー大学に進学する、というパターンが確立しています。

実際、ソンジョンさんの姪のリー・ジエン(Lee Ji-Eun)さんも2004-5年度に「カイヴァリヤダーマ」に1年留学、それからプネー大学の哲学科M.A.課程に進学、その後M.Phil課程に進み、最近、M.Phil論文を提出しました。すでに、6年インドに留学中です。これから伯父さんのように、引き続きPh.D.課程に登録する予定です。


インドに染まらないコーリア組

そういう経緯で、コーリア組とは1996年からの付き合いですので、かれこれ15年になります。その間にはいろいろなエピソードがあります。

「インド」という地場で、「ヨーガ」をテーマにして、コーリアンの彼らと、日本人のわたしたちとの、いろいろなドラマがあります。

(比較文化的にも非常に面白いので、整理したいとは思っていますが)。ひとつ言えることは、コーリア組は、「インド」に染まらないのです。

「コーリアン」としての強烈なアイディンティティーがありますので、長くインドにいても、「インド」が皮膚の深くまで浸透しないようです。

あくまでも、「コーリアvs.インド」という対立構造でインドと向き合います。それは、西欧人に近い自我構造のようで、常に要求と対立という態度です(「コーリア」のほうが優位としたいようですが)。コーリアの人口の60%近くはキリスト教徒の人たちです。

それも、彼らがインドに染まらない理由の一つです。プネーにはコーリアン系のキリスト教会があって、日曜日には、自分たちの教会に集まります。ヒンドゥー教には興味がありません(ジェチャン氏は仏教徒、奥さんのソンジョンさんと 姪のリー・ジエンさんはキリスト教徒です)。

その点、わたしたち日本組は、水のように、まわりに同化しますね。わたしたちには、あまり、「日本vs.インド」という対立構造が生じない。そのことに矛盾も感じていない。インドに同化しても平気。ヒンドゥー教文化への好奇心も旺盛。

コーリア組に比べると、わたしたち日本組は、はるかに、自分にこだわらない人たち、と言えると思います。わたしたちは、研究でインドに居るときは、ふつうにインドに同化します。仕事でタイに居るときは、ふつうにタイに同化します。ソウルを訪ねれば、ふつうにソウルに合わせます。

あまり、「オレが、オレが」と張る自我がない。

そして、結局、インドやタイが皮膚の中に染み込んでいるわたしたちが、インドの「ヨーガ」や、タイの上座部仏教の瞑想法について、彼らをガイドする立場にあります。気候・風土・植生が近い、同じ東アジアの隣国同士ですが、意外に、日本とコーリアの間に広がる日本海は、広くて深いようにも思えます。


2)ヨーガに何を期待するか

今回のソウル訪問時のセミナーは土曜日の朝10時から夕方5時までの終日プログラムでした。

ソウルも梅雨で、前日から雨模様でしたが、当日は彼らのセンターのホール一杯の約50名の参加者がありました。8割方が女性です。ほぼ全員「ヨーガ教師」でした。

また、彼らのセンターで主催している「乳ガン患者のためのヨーガ」のプロジェクトの参加者の女性も2・3名ありました。

コーリアでは、日本の「1995年事件」のような壊滅的な「ヨーガ・スキャンダル」がなかったので、全般的に「ヨーガ」の社会的な存在感が強いのです。今では4つの大学で学科レベルのヨーガ・プログラムがあります。

またヨーガ団体も乱立。それぞれの団体が激しい勢力争いの抗争を続けている、というのはコーリアらしいです(ちょっと暴走気味、ということで)。

日本でも、おそらく「1995年事件」が無かったなら、コーリア並みの「ヨーガ」の発展や展開があり、大学レベルで「ヨーガ」を扱う体制が出来ていたように思えるのです。


「ヨーガ」が抱えるねじれ構造

セミナーの前日、プログラムについての打ち合わせをして、バンコクの大学での講義のパワー・ポイント・ファイルのストックから翌日のプレゼンを構成。どこでも同じなのですが、やはり、「ハタ・ヨーガ」の「傾向と対策」が、みんなの弱点なのです。

コーリアン一般の傾向ですが、「やる意欲」はすごいです。セミナー中も、日本やタイでは感じない「熱気」を受けました。しかし、いろいろなスタイルのアーサナを、やり過ぎるくらいやっているのですが、その次に何があるのか、ということが、漠然と曖昧。これは、「ヨーガ」というものの構造的な問題です。

実は、「ヨーガ」には、何重にもねじれ構造と内部矛盾があります。

①伝統的ヨーガとフィットネス系ヨーガのアーサナの手法のねじれ
②「ヨーガ・スートラ」の地位と「ハタ・ヨーガ」の存在場所のねじれ
③ヨーガ哲学とヒンドゥー教神学のヴェーダーンタ哲学とのねじれ

だから、「ヨーガ」というのは、われわれ外国人には、何が何なのか、よく分からないのです。分からなくて当然です。「ヨーガ」自体が、ねじれを何重にも抱えているのですから。

まず、これらの「ヨーガ」の「ねじれ問題」を認識することが、その矛盾の解決法を探る出発点になります。

この構造的な問題を認識しないで、新しいスタイル、別なスタイルの「ヨーガ」を追いかけたり、われわれ外国人が、不用意に異国インドの異教であるヒンドゥー教の宗教的教義に感情移入しようとしても無駄、長続きしない、ということです。

まず、「わたしたちはヨーガに何を期待しているか」vs.「現実にヨーガはわたしたちに何が出来るか」という、正直で客観的な現状確認が、ある段階で、どうしても必要になるのです。


「ヨーガ」を学ぶこと

ヨーガの学習とは、内容的には、「伝統的ヨーガ」の

①ヨーガの理論
②ヨーガの方法論
③ヨーガの技術論

この三本柱を確認する基本作業の繰り返しです。これが基本です。この作業の繰り返しで、「ヨーガ」が抱える「ねじれ構造」の問題が自然に解消して行き、「現実にヨーガはわたしたちに何が出来るか」というテーマに安全に着地することができます。

「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」の卒業生は、カレッジのカリキュラムでこの「伝統的ヨーガ」の3領域を勉強していますが、使いこなして行くには、それなりの研究と精進が必要になります。

ソウルでは「カイヴァリヤダーマ」の理論と技法はよく知られています。従って、わたしがソウルのセミナーでやることは、「伝統的ヨーガ」の背景を強調しながらの、
①ヨーガの理論
②ヨーガの方法論
③ヨーガの技術論
を確認する基本作業です。基本を確認することは、常に歓迎されることです。幸いなことに、今回も、「次はいつソウルに来るのか」という熱烈なフィードバックを参加者から頂きました。

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3)新興ヨーガと伝統的ヨーガ


歴史が古いのが「ヨーガ」ですが、今のように幅広い層の人々に楽しまれるような近代化運動が始まったのは1920年代以降です。

当初は、(異端ではあるが)インドの精神性の伝統の一角を占めている「ハタ・ヨーガ」の技法を合理的に解釈し、一般人のニーズに合わせるプログラムを研究し、普及させる、という展開をとりました。

このように、「ハタ・ヨーガ」のリソースにルーツがあるものが「伝統的ヨーガ」であり、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」が定義する「サマーディ(Samadhi)を追求する活動としてのヨーガ」の本質に根差しているものです。

1970年代以降、ルーツはインドにありながらも、「ハタ・ヨーガ」の伝統とは別系統のインド式身体鍛錬体操が「ヨーガ」という名前で広まるという、「新興ヨーガ」と言うべき現象が主に欧米で展開しました。

いわゆる、BKSアイアンガー系の「アイアンガー・ヨーガ」や、パタヴィー・ジョイス系の「アシュターンガ・ヨーガTM」、あるいは、そこから派生して行った「パワー・ヨーガTM」とか「ホット・ヨーガTM」などの商業系ヨーガです。

これらは広い意味で、「フィットネス・ヨーガ」とでも呼ばれるもので、目的が「フィットネス」に限定されるエクササイズのバリエーションと理解されるものであり、「ヨーガ」の本質とは、ずれがあります。

2000年以降、アメリカのフィットネス業界でビジネス・モデルとして確立した「新興ヨーガ」が、アジアの大都市にも進出して来ることになり、アジアでも「フィットネス・ヨーガ」のブームを作ることになります。

わたしたちの仕事先のバンコクでも、ここ数年、「California WOW」「Planet YOGA」「Absolute YOGA」「Hot Yoga」といった看板を見ます。プロモーション・セールや芸能人を使ったコマーシャルもあります。

こういう展開は、東京でも、ソウルでも、上海でも、タイペイでも、シンガポールでも、同じなのでしょう。大都会で流行する「新興ヨーガ」と、それに集まる人たちに共通する傾向があるように思えます。


「新興ヨーガ」の背景にある地殻変動

確かにバンコクでも、わたしたちがこちらの大学で仕事を始めた10年前から比べると、近年受講生の雰囲気が変わって来ました。年々、みんな疲れて来ている、という傾向です。どの国でも、どの大都市でも、「地殻変動」が起きています。

この10年間というのは、インターネットがわたしたちのライフ・スタイルを劇的に変えて来たプロセスです。その結果、いままで無意識に頼りにしていたものが、地滑り的に崩れて来ている....その頼りなさ、寄る辺のなさ、という気分。

それで、自分自身の土台を強化したいという志向は、まずは、カラダに向きます。自分に一番近くにありながら、なかなか自分の思うようにならないカラダ。

「ヨーガ」で自由自在に操れるような柔軟なカラダに鍛えよう.....そういう動機が、「新興ヨーガ」への関心と盲信へのルーツにあるように思えます。 

ところが、一生懸命続けていても、思うような結果を得れないのがフィットネスを目的としている「新興ヨーガ」の限界です。無理にカラダを酷使しても、思うほど自分自身が成長していると納得出来る効果が持続しない。

「フィットネス・ヨーガ」疲れ。
3年前後「フィットネス・ヨーガ」やって来た人たちに見られる傾向です。昨年くらいから、バンコクのわたしたちのコースにも増えています。一時期のブームが息切れして来ていますね。


「伝統的ヨーガ」への回帰

「伝統的ヨーガ」を知って行くことは、なぜ、自分はヨーガに興味を持ったのか、を再確認するプロセスになります。さまざまなスタイルで流行はしていても、「ヨーガ」の本当の面白さは、まだまだ知られていない段階でしょう。これから面白くなるのでしょうね。

数年「フィットネス・ヨーガ」をやって来て、「こんなはずじゃなかった」という気分のある人には、「ヨーガ・スートラ」と「ハタ・ヨーガ」のコンセプトが良く効くようです。

わたしたちのバンコクの大学でのコースも今年で10年目になります。今までの活動実績と、送り出した受講生のレベルの評価は上々のようです。

健康の追求だけなら、効果的なフィットネス・プログラムはいくらでもあります。なぜ、あえて「ヨーガ」でなければならないか?と、バンコクの受講生に問いかけ続けて来た10年と思います。

どうしても「ヨーガ」でなければならない理由を示すというチャレンジ。

それは、インドのヒンドゥー教の宗教家が説教することの真似事でも、西欧人のインストラクターの体操の猿真似でもない。わたしたちそれぞれのアジアの「文化」の本質に関わり、本質に触れようとすることなのだ、それを「伝統的ヨーガ」という型で追求している、というチャレンジでしょうか。 



4)日本人・コーリア人・タイ人

インド人や西欧人と比べれば、もちろん、アジア人はお互い似ています。

われわれ日本組は知識欲、知ることに対して貪欲ですね。知ると満足する。そして、次のこと、別のこと、新しいことを知りたい。

しかし、「知る」ことで充足するので、「行動」を取らなくなって来ている。

お隣のコーリア組は、行動すること、行為することに貪欲です。知るより、考えるより、行動が優先する、という傾向。そして、同胞の評価に過敏な人たち。そのため、しばしば過剰で先走った行動を取る人たち。

さて、タイ組は?
タイ組は、知識にも行動にも、貪欲がないです。タイのキーワードは「サヌーク(たのしい)、サバーイ(きもちいい)、アローイ(おいしい)」、自己感覚中心の、快感原則優位の人たちです。

そして、そのタイ人の傾向が「瞑想」への親和性となっているようです。

自分を壊しても止まらないのがコーリア組ですが、それは、タイ組ではあり得ないことです。

また、日本組には、自分を犠牲にしてまでも追い求める具体的な目的が無くなったようです。

知れば、それで満足。そういう段階に入っているように思えます。

「ヨーガ」をテーマとしたアジア人の国民性・民族性、そして、その背景にある「精神性」の考察は、興味が尽きないものです。



5)ソウル雑感

韓流葬儀

バンコクと日本の移動の途中なので、毎回、ソウルの滞在日数は短いです。今回も4日間でした。 しかし、短い今回のソウル滞在中に、たいへん興味深い異文化体験に遭遇することになったのです。

コーリアのヨーガ業界の大物が亡くなった、ということで、わが友人夫妻と彼らのセンターのメンバーと、韓流の葬儀に同行することになったのです。

さて、最初「病院に行く」と言われたので?だったのですが、友人は上下黒の喪服できっちり正装。わたしは「上が白なら良い」と言われ、友人の白のシャツを借りて簡易正装。彼らのセンターからタクシーで小一時間、着いてみると、そこはソウル大学付属病院。

その日はセミナーがあった日で、セミナーが終わり、軽く夕食を食べてから出かけたので、到着したのは午後8時過ぎ。

こんな遅い時間に、病院の病室に行くのかな? 故人はまだ病室のベットの上なのかな? 病室で故人に面会するのかな? 他人が病室まで入ってよいのかな?と、いろいろ考えていたのですが、なんと!病院の中に葬儀場!があるのです。

これが韓流らしい。もちろん、病棟とは別棟のビルですが、4階建てのビルに何カ所も葬儀ホールがあるのです。 驚きました。故人が入院していた病院でお葬式、それも2泊3日。

ここ10年くらいの動向らしいのですが、病院で亡くなると、自宅には戻らず、そのまま病院内の葬儀場で葬儀。確かに、ホールの祭壇に棺が安置されています。

まず、受付で記帳し、香典を渡します。そして、飾られている祭壇の棺に近づき、棺の前、膝をついて、棺に深く2回礼拝。そして、側に控えている親族の方々の方に向って、こちらにも、膝をついて1回深く礼拝。夜も遅くなりつつあるのに、参列者は三々五々到着しています。

2泊3日の葬儀期間中に一度顔を出せばよい、というシステムのようです (これはタイも同じです。タイの場合、葬儀はお寺で3日から1週間続きます)。

さて、棺が安置されているコーナーの、通路を挟んだ向いが宴会場。座敷です。そこで2泊3日、徹夜で宴会。愉快に過ごします。

それが、韓流のようです。それが、故人への弔いのようですね。 また、宴会をしながら花札をするのも伝統的な作法だそうです。

さて、われわれも宴会場に座ります。そのまま帰るのは無礼。座敷に座ると、目の前に、ビールとおつまみがさっと置かれます。居酒屋の乗りですね(われわれは酒類は飲みませんが)。

その間も、ひっきりなしに弔問客が訪れています。ヨーガ業界の関係者です。コーリアのヨーガの盛況振りが推し量られます。それだけ、「業界政治」も激しいようですが。

実は、うちの友人は、故人にあまり面識がなかったようです(派閥の関係で)。しかし、同じ業界人として、弔問が仁義。 このあたりは、村社会的な(儒教的?)しきたりが強く生きているようです。

インドでは、葬儀は実にあっさりとしています。 あまり、義理ごと的な縛りもないですね。そのドライさに、拍子抜けするくらいです。「葬儀」も、その国の民族性の背景にある「精神性」を感じるイベントです。


ソウルのデパート事情

さて、翌日曜日は、友人夫妻と近くのロッテ・デパートに行きました。バンコクの、うちのオフィスのスタッフへの土産を買うためです。ソウルからの土産物は、
・キムチ
・各種麺類
・穀類の粉もの
・クルミ・松の実といったナッツ
・干し柿  etc.......

ですね。どれもこれも多彩で上質。ソウル訪問の楽しみでもあります。ロッテ・デパートで驚いたのは、なんと「ユニクロ」に「無印」、それも、どちらも売り場が広いのです!東京と変わらないのです。

また、それにしても....ソウルのお嬢さんたちのスカートの短いこと。東京では「ショート・パンツ+黒ストッキング」の組み合わせをよく見ましたが、ソウルは生足でした。

梅雨の東京とソウルは、同じように蒸し暑い気候でしたが、ソウルのお嬢さんたちに、どことなく生命力の強さを感じました。

ソウルも、興味は尽きませんね.....


(この項続く)

 

 

 

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