2010年8月14日土曜日

バンコクの近況2011(2)


バンコクの近況2011年8月・9月(5)

1)今年はオフィスから運河ボートで通勤  
2)南タイのソンクラーでニダーさんと再会!
3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファームへ
4)SWUコースのクリヤー・キャンプ
5)ミャンマーの休日
  
  Picasa上にバンコクの近況のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011BKK

    相方ひでこ

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



Sawasdee kha !  皆さん、こんにちは。

10月に入りましたが、いかがお過ごしでしょうか? バンコクの近況2011・8月9月編です。

今年のバンコクの「仕事期間」も前半が終わり、後半に向かうところです。これから、日本の方との合宿セミナーが3つあります。

8月・9月にも、日本から4名の方がバンコクに見えられ、楽しく、有意義な経験をされて行きました。

その様子は、「アジアの精神性とヨーガ2011」のシリーズの
フィードバックで回覧されています。

日本のみなさんが、より広い世界に行動範囲を広げられ、異なる国の文化や人々について知る努力をされることへの支援も、
私たちの仕事期間中の活動です。



1)今年はオフィスから運河ボートで通勤

8月に続き9月も、日本は台風の接近・上陸で、被害を受けた所が多く出たようですが、みなさんの所は、無事に台風をやり過ごすことが出来ましたでしょうか。

台風の影響を受けられた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風が去った後は、一気に秋の気配が深まりますね!

毎日見ているiGoogle(ニュース)の気温のところで、東京の表示が今までずーと30度代だったのが、22度となっていたので、「アレ!何かの間違いかな??」と、しばし疑いの目で見ていました(笑)。

7・8月そして9月のお天気欄は、バンコクとプネーには曇りと傘マークばかりで、東京は太陽のお天気マークばかりでした。気温の数字も、東京がインドやタイに勝っていました!

例年バンコクの仕事期間中、ある期間、私たちはSWUコースのために大学のキャンパス内のゲストルームに入りますが、今年はラームカムヘーン通りのタイ・ヨーガ研究所(TYI)のオフィスから通勤しています。

バンコクの西部、新空港寄りのラームカムヘーン通りは、交通渋滞でも悪名が高く、もしバスで通勤するとしたら、渋滞状況を考え早めにオフィスを出なければなりません。

ヨーガ副専攻の学部生のクラスに出るときは午前・午後ですが、夕方からの社会人対象のヨーガ講座・SWUコースのクラスは午後5時半から8時です。

バンコクの主要な通りは、学校が終わる午後4時を過ぎると渋滞モードです。しかし、幸いなことに、うちのオフィスのあるラームカンヘーン地区はバンコクを横断するセンセーブ運河を走る運河ボートが使えるので、今回はほとんど運河ボートで大学に通っています。

オフィスで1日の仕事をして、午後4時10分頃にオフィスの前で、通りを往復しているソンテーオ(乗り合い車)に乗り、
表通りのラームカムヘーン通りへ、そこからさらに歩いて最寄りのボート乗り場、ワット・クラン船着き場へ。

4時半頃に、バンコクの中心部へ向う運河ボートはガラガラです。乗っている人が少ないし、途中の船着き場での乗り降りも少ないので、100人は乗れる運河ボートは、ビュンビュンとスピードを上げ、モーターボート状態です!

その代りに、運河の水しぶきも激しくかかるので、帽子をかぶり、下を向いて水しぶきを浴びないようにして、インターシップでバンコクに来たロナウラの後輩のC.A.さんと一緒に3人で大学に
通いました。

センセーブ運河はスクンヴィット地区にあるSWUの真裏を通っており、裏門の目の前が船着き場です。

普通でしたら、運河ボートでの所要時間は25ー30分くらいですが、午後の時間帯は15分くらいで到着します。

人文学部は裏門から一番近いビルで、すぐ近くです。ビルの3階が哲学宗教学科で、ヨーガ研究室もその階にあります。
ヨーガで使っている講義室は6階です。





もしバスで大学まで行くとしたら、冷房車に乗れて快適ですが、3時頃にはオフィスを出ないと渋滞にかかり、クラスに
間に合わなくなってしまいます。いつも触れていることですが、大都会バンコクの大問題は、移動手段のやり繰りです。

徒歩、車、タクシー、ソンテーウ、バス、ボート、地下鉄、高架鉄道、最近開通した空港鉄道など、あらゆる交通手段を行き先と時間帯に合わせて、上手く組み合わせるのがバンコク式ですね!



2)南タイのソンクラーで、ニダーさんと再会!

8月19日(金)-21日(日)の週末2泊3日で、南タイのハジャイにあるソンクラー大学(PSU)看護学部への出張がありました。

昨年は、日帰りで博士課程の学生さんへの講義だけだったので、主人が1人で行きましたが、今年は2泊3日で実習指導も組まれていたので、私も同行することになりました。また、バンコク・インターンシップ中だった後輩のC.A.さんも
同行することになり、日本人3人組での南タイ紀行となりました。

ソンクラー大学でのプログラムについては、すでにC.A.さんのフィードバックでも回覧されています。
[lonavla:346]【お知らせ】ワンサニット追加プログラム
[lonavla:347]アジアの精神性とヨーガ2011(3)

ここでは、大学のプログラム以外の出来事についてお話します。


○オフ時間の外出

8月20日(土)はフリー・タイムがあったので、ハジャイの隣の港町ソンクラーに出かけることになりました。

私たちの案内役をしてくれたのは、ソンクラー大学看護学部博士課程在籍中のタパラットさん(女性)です。

昨年11月から4ヶ月間、インドにフィールドワークに来られ、プネーのプナー大学に2ヶ月間滞在した後、ロナウラの
カイヴァリヤダーマ研究所の1月・2月の6週間コース(CCY)を受講されました。

タパラットさんは30代後半、現在ハジャイから80キロ離れた町の病院勤務ですが、博士課程を修了したらソンクラー大学のスタッフになるか、ハジャイ市内の病院に転勤する予定です。




ソンクラー大学の看護学部では、ヨーガは重点研究課題として、博士課程の学生さんには、ヨーガをテーマとした研究が推奨されています。

それで、タパラットさんも「ヨーガとライフスタイル」をテーマに、ヨーガ実習者のライフ・スタイルがどのように変化したかを、
文化人類学的な手法で研究されています。

さて、朝、大学のゲストハウスに迎えに来てくれた彼女の車で、まず、前日に電話で連絡をしておいた、旧友のニダーさん(女性)のソンクラーの家を訪問することになりました。


○ニダーさんについて

ニダーさん(ニダー・ティラクルさん)のことについて少しお話します。

私たちが、バンコクでヨーガ活動をするようになったのは
1998年からですが、ニダーさんは、その最初期の生徒さんであり、当時の私たちのバンコクでの滞在先の世話をして呉れていたひとです。

ニダーさんは、バンコク空港近くのチェンワッタナー通りで、
友人のゲイソンさん(女性)と小さい警備保障会社や、近くの教育大学の女子学生さんの女子寮・男子寮を運営されていました。

当時の私たちの活動は、シーロム通りにあるサンサエン・アルン財団
でのヨーガ・セミナーから始まったのですが、そのひとつにお2人が参加されたのです。

そして、翌年の1999年からは、私たちに女子寮の1部屋と、会社のオフィスの机を使わせて呉れることになったのです。

当時はニダーさんもゲイソンさんも、寮に自分の部屋を持って管理人として住んでいました。社長はゲイソンさんの方で、やはり南タイ出身、太っ腹な方でした。

ただ、ゲイソンさんも1997年のタイのバブル崩壊と通貨危機の時に、株で大損をされたようです。そのショックからか、からだにも不調感があったようで、日曜日には、よく地方の有名な気功治療師のところに通われていました。

一方、ニダーさんには持病の甲状腺問題があり、手術もされていて、定期的に検査で病院に通っていました。バブル崩壊で、タイも経済が冷え込んでいた時期です。

さて、不景気で暇になったこともあり、サンサエン・アルン財団でのヨーガ・セミナーには、もともと健康問題があった会社の経営者や、
失業中のビジネスマンといった人たちがヨーガに興味を持ち、よく参加されていたのです。

ニダーさんはヨーガが良く合ったようで、熱心に練習を続けた結果、見違えるように健康になられました。近所の人や友達の間で、
「最近ニダーさんはずいぶん健康そうだが、どうしたのか」と、噂になったようです。

それで、知り合いの紹介で、ラームカンヘーン大学で週2回ヨーガのクラスを持つことにもなり、時々、私たちもニダーさんのクラスに登場していました。


○「パンニャーナンダ・ラーム」でヨーガ・クラス

また、その頃から、ニダーさんはよくお寺に通っていました。チェンワタナー通りの先にあるパクレットという町にある、
高僧の「パンニャーナンダ・ビク」のお寺が、ニダーさんの行く
お寺でした。




当時は、高僧パンニャーナンダ・ビクが、バンコク郊外の
ランジット地区に、新しい瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」を開くプロジェクトが始まった頃でした。

そのお寺をご存知の方も多いと思います!「ワンサニット・アシュラム」での合宿セミナーがあるの時に
立ち寄るところです。高僧パンニャーナンダのもと、政府から認定された研修寺でもあり、いつも多くの研修グループで賑わっています。

ニダーさんは、「ワット・パンニャーナンダラーム」のプログラムに
ヨーガを紹介することにも尽力されました。よく私たちも、「お坊様にもヨーガを指導してほしい」と頼まれて、一緒に週末にお寺に泊まり込みで出かけて行ったものです。

その後、ニダーさんは土・日の週末にお寺に来る一般の人向けのヨーガ・クラスを定期的に続け、タイの瞑想寺でヨーガ・クラスを
併設という、新しいトレンドの走りとなりました。






○ニダーさんの引退準備

さて、その後、2002年にゲイソンさんは肝臓ガンで亡くなられました。

1年くらい前から、体調がかなり悪そうで、毎日のように
タイ古式マッサージを受けておられましたが、私たちがインドに帰っていたときに「亡くなった」という知らせを受けました。

そのため、会社の事業も縮小、女子寮は手放すことになり、私たちの滞在部屋も翌年の2003年から、女子寮から
同じチェンワタナー通りの住宅地に買ってあったニダーさんとゲイソンさんの家に移りました。

長年の仕事パートナーを失ったこともあり、ニダーさんは
身辺整理と引退準備を始められました。よく、深く考え込んでいる姿を見かけたものです。会社や家や愛車の年代物のフォルクス・ワーゲンを人に譲ることを考え、身軽になり、お寺に入り晩年を過ごす準備を始められたのです。

2005年には家が売りに出されて、ちょうど買い手の目処が
付いた頃、現在TYIのオフィスになっているラームカンヘーン通りの家が購入されたので、2007年からは新オフィスが私たちのバンコクでの滞在先になりました。

事業を縮小した会社の方は、主にもう1人の同僚に任せ、
家や会社からほぼ自由の身になったニダーさんは、お寺で過ごす時間が多くなり、郷里のソンクラーにもよく帰るようになりました。

「ワット・パンニャーナンダラーム」だけでなく、南タイにある
有名な瞑想寺「スーワン・モッカ」にも長く滞在され、そこでも
ヨーガのクラスを担当されながら、仏道修行を深めて行かれました。

そして、私たちも新オフィスでの活動も軌道に乗って来ましたし、直接バンコクでニダーさん会う機会もなくなり、電話で年に1・2回話をするくらいになりました。

その後、7人兄弟の長女で独身であるニダーさんは、高齢になった郷里のお母さんの面倒を見ることになって、南タイのソンクラーに帰られました。

ニダーさんがソンクラーに帰った後も、ランジットの瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」のヨーガ・クラスは、うちのTYIのメンバーによって継続されています。


○ソンクラーで再会

今回ハジャイの滞在中に、自由な時間が取れることになった
ので、それではと、ソンクラーのニダーさんに電話をして、
ソンクラー大学に仕事で来ていることを伝え、ニダーさんの家を訪ねることにしたのです。

ハジャイからソンクラーまでは、30キロほどです。タパラットさんにニダーさんの家の住所を伝え、
車が広い通りから小道に入った時に、ニダーさんに電話をしました。

ニダーさんは「OK、まっすぐに!」と言うので、前方を見ていると、女性が立っているのが見えました?いやー、女性というか、頭を丸めたメイチー(尼さん)になっているニダーさんを見ました!!




久しぶりに会いましたが、やはりニダーさんは、メイチーに
なられましたか!

お母さんの家の近くのお寺でメイチーになられたそうです(メイチーとは、こちらの仏教で女性の仏道修行者のことです)。

昔、チェンワタナー通りの女子寮に部屋をもらっていた頃、「私も55歳になるから、徳を積んで準備をしなければ...」
とニダーさんが言われていたことを、良く憶えています。

86歳になるお母さんは痴呆の症状が出て来て、24時間誰かの
付き添いが必要な状態です。本当は、ニダーさんは、余生はお寺で修行生活を送るつもりだったのですが、今はお母さんの介護があるので、家に居ながらお寺のような規則正しい生活を送っています。

健康状態はすこぶる良好で、もう定期検診で病院に行くことは
なくなったそうです。庭では健康野菜やフルーツを作り、ヨーガと瞑想で規則正しい生活のリズムを維持し、ダンマ(ブッダの教え)の道を歩かれているニダーさんを、人生の先輩として、とても誇らしく思いました。

ニダーさんは、ヨーガを切っ掛けとして、見事に人生のステップを先に進められたケースですね!





○タイの人たちの仏教的生き方

敬虔な仏教国のタイには、会社や仕事のことで一生懸命生きて
来ても、ある時期からは自分の生き方を振り返り、人生の後半は熱心にダンマ(ブッダの教え)の道を歩き始める、という人たちがいます。

私たちの周りのTYIのスタッフにも、40歳前後で会社を退職し、SWUでヨーガ・コースを受講し、ヨーガ指導を始めながらも、定期的に瞑想寺や瞑想センターに入り、だんだん瞑想をしている
時間が長くなって行く人が多いです。

つまり、ヨーガをステップとして、本来のタイ人らしい精神性の
世界に、無理なく進んで行くケースです。このような生き方は、タイの人たちの仏教的人生観によるものなのでしょうね....

タイ人と私たち日本人は、似ているところも多いのですが、
どこか根本的に違った発想や行動があり、それがとても興味深く、タイの人たちにヨーガを指導して行くことで、いつも良い影響を受けています。

と同時に、こちらで私たちのヨーガの活動が上手く行っているのも、タイの文化には、この様な仏教的精神性の基盤がしっかりと
社会に根付いているからだろうと思うのです。

このような、同じアジア人のタイの人たちの精神性の深さに
触れることは、日本でヨーガに興味のあるみなさんにも、とてもプラスな影響になると思われます。

どうぞ、ご都合の付く方はタイに来られて、こちらの瞑想センターで
瞑想体験を積まれたり、ワンサニット・アシュラムでのヨーガ合宿にご参加下さい。歓迎いたします。


☆☆☆☆☆


さて、ニダーさんの家を出た後は、ソンクラー市内を探訪、海岸のレストランで美味しい地元の魚料理をいただきました。
食事の後は、マーメイドという人形の像がある所まで、3人でぶらぶらと裸足で海岸を歩いて、海の風を楽しみました。
タイは、どこに行っても美味しい食べ物が豊富ですね!



(この項続く)


☆☆☆☆☆

 


3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファーム(ワニ園)へ行く

9月2週目の日曜日の11日に、今年度のSWUコースの受講生さんに 車でバンコクの南部、サムットプラカンにあるクロコダイル・ファーム (ワニ園)へ連れて行って貰いました。

http://www.youtube.com/watch?v=tG2kpcjkab0&feature=mfu_in_order&list=UL



○バンコク名物のワニ園


朝7時半にオフィスに迎えに来てもらい、出発。

途中道を間違えたりしましたが、8時半には目的地に到着しました。 まだ人もまばらで、9時からの「ワニのショー」もまだ始まらず、 園内のワニや他の動物・鳥を見て歩くことにしました。

話には聞いていましたが、いるいる、池の回りに這いつくばって、 じっとして動かないワニがごまんと!



よく洪水の時期に、池の水があふれ、ワニが逃げ出し、 近所の家の風呂場にいるのを見つけられて、警察や係りの人が 呼び出される!と言うニュースを耳にしますが、 起こりそうなことだな、と納得しました。

どうも、ワニはお腹さえ満足していれば、 無害で、おとなしい性格なのではないでしょうか? ワニのショーの時でも、ジーっとしているのを無理やり 水から引っ張り出して、開いているワニの口に手や顔を入れて 見ているお客さんとハラハラさせます。

また、ワニ使いのお兄さんが、ワニと闘っているような 大げさ演技で、お客さんの喜びそうなことをして見せます。 どう見ても、ワニは迷惑そうです。

それにしても、「ワニの口は閉まらないのだ!」と、 解っていても、開いたワニの口の中に頭を顔を入れるのは、 あまり見たくなかったですね。

ここでも、観光客の多くは中国人で、ワニ使いのお兄さんも 少し中国語を話して、大いに受けていました。

うちのオフィスの近所の中級ホテルでも、連日中国人観光客を 満載した観光バスが横付けしています。同じアジア人ですが、 違いは一目で分ります。

どうやら、タイの観光客の主力は、すでに中国人に移行して いますね。バンコク空港にも中国人が溢れ、中国の空港の ようですよ。


○受講生のぺイさん

さて、クロコダイル・ファームの見学の後は、チャオプラヤー河が タイ湾に流れ込む河口近くのシーサイド・レストランで、
海を眺めながらの昼食になりました。

バンコクのクロントーイ港の方から、貨物船が外国に向って 出て行くのを見ながら、タイ料理を楽しみました。

今日案内してくれたペイさん(女性)は、そのクロントーイ港の 税関に勤務されている税関職員さんです。40代前半で独身です。

今回のシーナカリンヴィロード大学のヨーガ・コースの受講には、 コース修了後に職場でヨーガ指導をする、という条件で、 職場からも全面的な支援を受けられています。

クラスのある日は早退が許され、早めに大学の講義室に
来られています。 ペイさんは、ややふっくらした体形で、性格円満、いつもニコニコされています。タイではよくあるキャラクターです。

クラスにバナナやお菓子を持って来て呉れて、 「アーチャン(先生)にあげます」と、やたらと気前がよいのです。 これも、タイではよくあることです。

英語でのコミュニケーションはいまいちなので、ワニ園への 誘いを受けた時も、もう一人英語が出来る人が付いてくれれば いいかな、と思ったのですが、性格が良いと、だいたいの コミュニケーションでも何とかなります。


○「ワット・アショーカラーム」へ

昼食後は、お寺に行くことになりました。 やっぱり、お寺に行くのか、と納得。

クロコダイル・ファームから遠くないところ、同じくサムットプラカンに ある「ワット・アショーカラーム」というお寺でした。

このお寺は紀元前3世紀頃のインドのマウリア帝国の アショーカ王の由来があるそうですが、詳しくは解りません。



ランジットの「ワット・パンニャーナンダラーム」のように、 近代的設備が整った新しい作りの研修・瞑想寺で、町中にある お葬式のためのふつうのお寺(ワット・タマダーと言います)とは 雰囲気が違います。

私たちのよく知っている「ワット・パンニャーナンダーラーム」と 同じ空気がありました。



この「ワット・アショーカラーム」の歴代のお坊さん方は 瞑想修行に優れ、予知能力がある方もいるそうです。

一つの立派な建物に入ると、そこにはタイの歴代の高僧の 等身大の座像が置かれ、その前に、その高僧の遺骨の一部が 綺麗な宝石入れのような透明の容器に入って置かれていました。

なんと、高僧の博物館!なのです。 驚きました。そして、大いに納得しました。 このような施設があると、仏教の実践も、とても身近に感じられ ます。

仏道修行を続けて行けば、いつかは自分もこのような高僧方の ように「アラハン」と呼ばれる精神が自由な境地に届くのだ、という 「ブッダの教え(ダンマ)」が現実味を持って来ます。

先日亡くなられたマハーブア高僧の像や、タイを代表する 近代の高僧アーチャン・チャーや、その師僧だった アーチャン・マンの座像もありました。

何でも、高僧方の遺骨は、だんだんと色が変化して行って、 クリスタルのように輝いて行くことがある、のだそうです。 確かに、綺麗な容器に入れられて展示されているので、 遺骨とは思えません!

このように、高僧が亡くなられると、その遺骨は各地に分配され、 貴重品として扱われるようです。

ペイさんは、他の用事が無い限り、毎週日曜日にはこのお寺に 来て、法話を聞いたり、瞑想をされるとのこと。 そして、今のSWUコースが終わったら、このお寺でもヨーガの クラスを持つことも決まっているそうです。


○ヨーガの役割


インドでも、タイでも、独身の女性はとても宗教熱心です。

特にタイでは、お寺の活動に参加しながら、社会奉仕活動にも 積極的に参加して行くことが多いです。

生き物の根本的な活動は、子孫を残すことですね。 人間も例外でなく、「結婚をして、子供を生み育てること」が 社会活動の根本にあります。

この枠に入らない人は、そのエネルギーを正しい方向に向けて 行かないと、こころやからだが病んで行くことがあります。

タイでは、積極的にダンマ(ブッダの教え)の枠に入ることで こころとからだのバンラスを取り、独身の人や子供のいない 夫婦の方も、実に幸せな人生を送っている人が多いように思います。

ただ、最近は、バンコクで都会暮らしをしている中産階級の人たちの
生活意識では、いきなり伝統的なお寺で、保守的な仏教の教えの枠に入ることは、そう簡単には出来ないようになっていますね。

なので、まずヨーガに親しむことが、有効なアプローチになっています。 まず、ヨーガでからだと呼吸を整え、瞑想で徐々にこころの準備を 進めて行くことで、ダンマ(ブッダの教え)の枠組みに入り易くなる
ことは、うちの回りのタイのメンバーの実績を見て、確信できます。



4)SWUコースのクリヤー・キャンプ


9月第3週の週末、16日(金)ー18日(日)の2泊3日で SWUコースの第2回目の合宿、クリヤー・キャンプがありました。

このレポートも、バンコクで2ヶ月のインターンシップを過ごされた C.A.さんのフィードバックでも回覧されています。

[lonavla:347]アジアの精神性とヨーガ2011(3)
http://hhyoga.blogspot.com/2011/10/20113.html



○実習するクリヤーの技法


合宿の前の週のクラスでは、みんなでクリヤーの実習写真を 見たりして、受講生のみなさんは大いに期待が高まっていました。

クリヤー・キャンプで実習する項目は、

○ネーティ・ポットを使ったジャラ・ネーティ
○水を使うゲーランダ・サンヒターのカパーラヴァーティ
○フード・チューブ(病院で使うもの)を使ったスートラ・ネーティ
○嘔吐反射を豪快に使うボーマン・ダウウィ
○ろうそくを使った夜のトラータカ
です。




大方のひとは、スートラ・ネーティで片方、または両鼻とも 通すことが出来で、大いに達成感に浸っておられました。

面白かったのは、 今年の受講生に麻酔医の女医さんがいるのですが、 どうもフード・チューブを見ると、職業意識が目覚めるのか(?) 皆の鼻にチューブを差し込む手助けをして回っていました(笑)。

ヴォーマン・ダウティの方も、最初から豪快に嘔吐反射を使って 飲んだ水を吐く人、吐こうと思ってもなかなか吐けない人と、 さまざまでしたが、2日目になると要領を心得てか、気持ちよく 反射を使って吐いていた人が多かったようです。

ハタ・ヨーガの技法は、身体の反射を上手に扱って行きます。 これは、練習して行かないと、なかなか分らないものです。

体内の反射のメカニズムが分って来て、それを自覚的に扱える ようになって来ると、健康の維持増進の観点からも、 効果絶大です。

生徒さんにダウティの体験をしてもらったので、 講義のクラスで、カイヴァリヤダーマ研究所のディプロマの学生 であったK.M.さんがモデルになっているビデオを皆んなで見ました。
http://www.ajamichael.info/movie

ヴォーマン・ダウティ、ダンダ・ダウティ、バストラ・ダウティの 3つのダウティのビデオを見ながら、一部体験済みの皆さんは、 怪訝な顔をしながらも、大いに面白がってビデオを見ていました。

中には、「この合宿で包帯を食べるのはやらないの?」 という人もいて、K.M.さんが簡単に、美味しそう(?)に包帯を 食べるビデオを見て、自分もやってみたくなったのでしょうか。 ビデオの効果あり!ですね。


○複合技の練習へ前進

クリヤーの実習の他、2回目の合宿では、大学のクラスでは 練習しない壁を使ったシルシ・アーサナや、クッションでサポートを 入れたサルヴァーンガ・アーサナやハラアーサナも紹介し、 無理してアーサナをやることは全く無意味!いかに安全に実習を 続けて行くか!ということが強調されました。

そして、アーサナにあまり比重を置かないこと、
からだにこだわりすぎないこと、次の、プラーナーヤーマに進むことの大切さを、ハタ・プラディーピカーを引用しながら説明します。

ハタ・プラディーピカーの1章アーサナの章の終わりの部分と、 2章のプラーナーヤーマの章の始めは、とても大切なところです。

クラスでは、サンスクリット語の原典を読み解きながら、詳しく 解説されています。

プラーナーヤーマでは、この合宿からバストリカーの練習をスタート しました。 バストリカーの実習が入って来ると、その後の瞑想で 一段と集中度が増し、クラス全体の雰囲気が深まって行くのを 感じます。

センターの回りの自然環境と、合宿という条件の相乗効果もあり、 広いホールがし~んと静まりました。

それまでの12週間で学習して来た個別の技法の積み上げが、 複合技のバストリカーやマハー・ムドラーの練習に入ると生きて 来ます。

そうなると、ハタ・ヨーガの洗練された技法の意味が、 実感として判って来て、ますますヨーガの面白さが深まります!



5)ミャンマーの休日

SWUコースも順調に進み、2回目の合宿も終わったので、 私たちの役割は一段落しました。 これからは生徒さんたちのクラス実習も始まり、 うちのタイ・チームの役割の比重が増えます。

それで、9月の最後の週末、9月23日(金)ー26日(月)の 3泊4日で、タイのお隣のミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)に 出かけました。

Picasa上にミャンマー訪問のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011MYANMAR_Yangon




○ミャンマーへの興味

24年前、私たちがヴィパッサナー(Vippasana)を始めた頃、 ビルマ(現ミャンマー)の僧院で伝承されて来た指導法で学んだ のです。

そのヴィパッサナーの指導法は、1980年代以降、インドでも たいへん広まって行きました。ビルマに生まれ、ビルマの先生に 指導を受けたインド人の先生が、インドで教え始めたからです。

すなわち、 「もともとインドのブッダの瞑想法であるヴィパッサナーが、 インドの外で現代にまで継承され、再びインドに還って来た」 という展開です。

それで、私たちも、当時インドのヨーガへの興味と平行して、 ビルマの仏教の教えや瞑想法に興味を持ったのです。

ビルマは日本にもなじみの深い国ですが、1962年の クーデター以降軍事独裁となり、事実上鎖国状態が続いて いましたし、1980年代後半の民主化運動・総選挙の動乱で、 さらに混迷した状況となりました。

1991年には国名もビルマからミャンマーに、 首都名もラングーンからヤンゴンへと変わりました (現首都はネビドー)。

観光旅行での入国でも、ビザ発給の条件が厳しかったり、 外国人は歓迎されていない状況が、長く続いて来ました。

その後、私たちはインドでのヨーガ研究が始まりましたし、 タイでの仕事が始まってからも、なかなかミャンマーを訪ねる
機会はやって来なかったのです。



○念願のミャンマー訪問


しかし、長年停滞して来たミャンマー情勢も、近年ようやく進展が 見られ始めたようです。一応総選挙が行われ、今年の3月から、
ようやく軍政から民政に政府が移行しました。

それで、今年は、ついに私たちもミャンマーを訪れることになった
のです。バンコクからエアー・アジアが就航して、エコノミーに行きやすくなったことも動機ですね。

今回のミャンマー訪問は短期でしたので、ヤンゴンだけにしました。 ヤンゴンのシンボルであるシェラダゴン・パゴダの近くの ゲスト・ハウスに滞在し、シェラダゴン・パゴダ参拝や、国立博物館を 見学することに目的を絞りました。

シェラダゴン・パゴダはゲスト・ハウスから歩いて行ける距離にあり、 私たちの部屋からも、夜ライトアップしたパゴダが美しく見えました。 もちろん日中も、黄金に、ぴかぴかに輝いていました。

初日の23日(金)に、ヤンゴンに到着したのは午後6時過ぎです。 その日は予約しておいたゲスト・ハウスにチェックインしただけで 休みました。


○シェダゴン・パゴダ参拝

翌朝24日(土)に、さっそくシェラダゴン・パゴダに参拝。 長い参道を歩いて、さらに階段を上って行くと、受付カウンターに 座っている人が近づいて来て、入場料1人5ドルを払うよう言われ ました。

入場料を払うと、胸にシールを貼って呉れ、境内に入れます。 シールにはマジックで日付が書いてあり、その日だけ有効。 入場料は外国人だけで、ミャンマーの人は無料のようでした。

女性はもちろん、ここでは男性の服装も、上はワイシャツですが、 下は布を巻く民俗服のロンジーを着ているので、ズボンを はいている私たちは、すぐ服装で外国人と分かります。

参道を登りきったところに中心のパゴダがあり、その周辺にも おびただし数のパゴダが建っています。全体の存在感に 圧倒されました。

シェラダゴン・パゴダは凄いとは聞いていましたが、実際に行って見て、 その規模と偉容に、たいへん驚きました! そして、土曜日でしたが、実に沢山の人々が参詣に訪れていました。

仏像の前で祈る人、仏像に水をかける人、そして仏像の横にある 個室で瞑想する人.... あるいは、広大な境内に数多く建てられているホールの オープン・スペースで休憩したり、お弁当を食べたり、昼寝したり... ミャンマーの人たちにとって、パゴダは祈りの場であり、 憩いの場となっている様子が面白かったです。


○国立博物館


その次の日25日(日)には、ヤンゴンの国立博物館を訪ねました。 観るもの全てが不思議で愉しく、見応えがありました。 駆け足で2時間半、あと2回くらい、余裕で見て回れるくらいの
ボリュームが展示してありました。

そして、博物館のお土産売り場がなかなか充実していました、
と言うより、街中にお土産を売っているお店などを、全く見なかったせいもありますが。

国立博物館で、ミャンマーには沢山の民族の人がいることが
よく解りました。主要な8部族間を治めることが、統一ミャンマーを維持する大きな障害となっているようです。

そういえば、8月にワンサニット・アシュラムに滞在していた時、 丁度アジア人のNGOグループのセミナーがあったのですが、 セミナーが終わって話しかけて来た人に、どこの国ですか?
と尋ねたところ、「クチン」という名前が返って来ました。

私たちは、ワンサニットのスタッフから 「インド、ミャンマー、などの国の人たちのセミナー」と聞いていたので、 「ミャンマーですか?」と聞きなおしても、「クチン」としか 彼は言いませんでした。
(正式にはカチン族のようですが、私にはクチンと聞こえました)。

どうやら、今でもカチン独立運動や、カレン民族開放軍といった
組織があるようで、民族間の問題は根が深いようです。

一方では、最近、ミャンマーの社会状況が変化を見せ始めて
いますね。良いニュースを聞くようになりました。
9月30日には、ミャンマー国会が巨大ダムの建設工事の中断を
決めた、というニュースが入って来ました。
このダムは、中国人による、中国の電源確保のためのダムで、 ミャンマーに環境破壊の犠牲を押しつけるものとして、反対の声が
大きかったのです。

このダム建設中断の決議は、国会を通じた民意の結集として、今後の大きな政策転換への象徴的できごとになることが予想されています。

早く、開かれたミャンマー、平和で繁栄のミャンマーとなることを
祈ります。


○偶然ヴィパッサナー・センターへ、

さて、まったくの偶然だったのですが、
今回泊まったゲストハウスから歩いて10分ほどのところ、大通りから入る次の通りの奥に、なんと「ヴィパッサナー・センター:Dhanma・Joti」があったのです。

これは、私たちも実践している指導法のヴィパッサナーの、 インド人のS.N.ゴーエンカ先生系の瞑想センターなのです。

そして、入り口の受付けには、ゴーエンカ先生の先生、ミャンマー人のサヤジ・ウ・バキン先生の大きな肖像画が掛けられていました。




このセンターは、古くて大きなお寺の敷地の一部に建てられて
いるようです。小さな橋を渡って、ヴィパッサナー・センターのキャンパス内に入ります。

周辺は、まったく普通の住宅地です、というか、村です。
小さな露天のマーケットが立っています。インドの村のようです。センターのオフィスまで行ってみると、上品そうな年配の男性が出てらして、しばらくお話をしました。

今センターでは、10日間コースが進行中で、この後、
45日間コースが始まるとのこと。その方は30日間コースを2回修了したので、今回始めて さらに長いコースに参加する、ということを嬉しそうに話されていました。

やはり、ミャンマーでも、ゴーエンカ先生のヴィパッサナーを
されているのは、中産階級でインテリの方だな、と納得した次第です。


(この項つづく)

 

 

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