2010年8月6日金曜日

ヨーガとアジアの精神性2010(1)

「アジアの精神性とヨーガ」をテーマにしたシリーズです。
先月7月始めの「ソウル編2010」についての話題です。


今年も、日本からバンコクに帰る途中にソウルに4日間立ち寄り、7月3日(土)に、ソウルで1日セミナーを持ちました。      

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「YouTube」にセミナーの様子が上げてあります(1分47秒)。

 
● ヨーガとアジアの精神性

さて、わたしたちは、「ヨーガをテーマとしたインド研究」と「ヨーガとアジアの精神性の探求」をライフワークと考えています。1年の活動期間は、インドでの「研究期間」とバンコクでの「仕事期間」に分かれてます。

例年、12月から6月がインドでの「研究期間」、6月から11月がバンコクでの「仕事期間」になっています。インドの外での「仕事期間」中の具体的な活動は、「アジア(インドを含む)の伝統文化に伝承されて来た、健康の維持増進の方法論の研究と普及活動」という形を取ります。

タイでの活動は2004年に設立された、わたしたちのオフィスである「MCB財団タイ・ヨーガ研究所」が活動のベースですが、うちの母体である「MCB財団」は医療系の財団です。

主な仕事先はバンコクの「シーナカリン・ヴィロート大学(SWU)」の哲学宗教学科ヨーガ研究室ですが、マヒドン大学看護学部や、南タイのプリンス・ソンクラー大学(PSU)の看護学部、また、タイ政府厚生省代替医療局とも連携しています。

インドでの研究生活が始まったのは1990年、そろそろ20年になります。インドでは、「ヨーガとインドの伝統哲学」が中心テーマですが、現在は、「ロナウラ・ヨーガ研究所」で進められている「ヨーガ」の分野の伝統文献のリソース・マネージメントが主な関心事です。

一方では、ここ10年余り、タイの大学で仕事をすることになり、自然と、「アジアの精神性」についての考察も深めることになりました。

特に、この3年くらいは、時間の調整が付くときは、なるべく、インドと日本の中間に展開している「アジア」の国々へ理解を深めるように心がけています。

バンコクでの「仕事期間」中の合間に、各地の歴史的な世界遺産のスポットにフィールド・ワークに出かけたり、バンコクから日本への移動の途中、ソウル、北京、沖縄という、現代の同時進行スポットにも立ち寄るようになりました。

日本人として、インドの伝統文化である「ヨーガ」を研究して行くには、ある段階から、日本を含めた「アジアの精神性」への洞察を深める必要を強く感じて来た、という展開です。

特にソウルには、ロナウラの「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」の卒業生の強力なネットワークがあるので、昨年からは、ソウルでもセミナーを持つようになりました。

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1)「ソウル編2010」

さて、ソウルには、東アジアの気候・風土・文化について良く考察するインスピレーションがあります。

コーリアとも「ヨーガ」が接点ですが、いろいろな面で「日本」に近いながらも、ずれや違いも大きいコーリアを知ることは、自然と、「日本」についての洞察も深めることになります。

このところ、バンコクから日本への移動には、コーリアの航空会社のアシアナ航空を使っています。ソウルにストップ・オーバー出来ますし、ソウルから成田・広島・沖縄など、日本各地に乗り継げる利点があります。

6月に日本に行くときは、バンコクからソウル経由で成田に直行しましたが、7月の日本からの帰りは、実家のある広島(福山)に立ち寄り、広島空港からソウルに向かいました。

飛行機がインチェン空港に着陸し、機内から空港ビルに脚を踏み込んだ瞬間、つんと、キムチの匂いに触れます。その瞬間に、またソウルに来た、と悟ります。

ソウルのインチェン空港は、快適で使いやすい空港と思います。利用客の利便性がよく考えられています。スペースに開放感があり、シンプルだけど必要十分な施設。乗り継ぎで長時間滞在することになっても、滞在快適空間です。

新しいバンコクのスワンナプール空港は空港という名の「免税デパート」、利用客よりも免税店側のビジネスを考えたスペースです。成田空港は、どことなく、閉塞感がありますね。


ソウルの友人のヨーガ・センター

ソウルで訪ねる先は、「キム・ジェチャン(Kim Je-Chang)&キム・ソンジョン(Kim Soon-Jong)」夫妻の運営する
「AOMA YOGA ACADEMY」です。
http://www.aomayoga.co.kr/

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ソウルの東端、漢江の畔、隣の九里市との境界にあります。インチェン空港から、「ヒルトン・ウオーカーズ・ヒル」というホテルを終点とするリムジンで1時間半。そこから歩いて10分。

ソウルを横断する漢江に面したオフィス・ビルの地下1Fです。ロケーション・雰囲気的には「語学学校」みたいな感じです。


最初のコーリア人留学生

「キム・ジェチャン&キム・ソンジョン」夫妻は、「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」のディプロマ・コース(D.Y.Ed)コーリア人の最初の留学生(1996-7年度)でした。最初のコーリアからの留学生ということもあり、隣国の日本人として、わたしたちが公私にわたり、徹底的にガイドしサポートした、という経緯があります。

その後、コーリアからは毎年ロナウラに留学生がやって来て、すでに30名近くの卒業生がいます。ある意味、コーリアは「ヨーガ先進国」ですね。

2人はロナウラで1年間のディプロマ・コースを修了後、わたしたちのアドバイスでプネー大学に進学、キム・ジェチャン氏は哲学科のM.Phil課程、キム・ソンジョンさんは心理学科のM.A.課程に進みました。

インドに来る前に、ジェチャン氏は大学講師(音楽)、ソンジョンさんはカウンセラーという経歴があります。

ロナウラのディプロマ・コースを修了後、インドでの次の勉強計画について相談を受けたのですが、最初、2人はビハールにある「ビハール・スクール・オブ・ヨーガ(BSY)」に進学することを考えていました。

当時、「BSY」は「Deemed University(準大学)」というステータスを得て、「ヨーガ大学」として学生を募集していたのです。しかし、わたしたちは、「いくら大学という名前が付いていても、将来性のあいまいなところに入学してはいけない」と、2人を強く説得、マハーラーシュトラ州立で、全国的な有名校であるプネー大学への進学を勧めたのです。

(その後、「BSY」の「ヨーガ大学」としての課程は廃止になり、 結果的にうちのアドバイスが「正論」であったことで、2人には  たいへん感謝された、という後日談があります)。

プネーで3年間留学生活を続け、コーリアに帰国。ジェチャン氏は3年目にM.Phil論文をプネー大学に提出、その後、Ph.D.課程に登録、8年かけて2008年にPh.D.論文を提出しました。研究テーマは、「上座部仏教のヴィパッサナー瞑想法と韓国仏教の禅瞑想法」の比較研究でした。

ソンジョンさんの方は、5年目にM.A.修了試験に最終的に合格。インドに来たとき、ジェチャン氏は40歳前、ソンジョンさんは40歳を超えていました。


コーリアンのチャレンジ精神

コーリアの人たちのチャレンジ精神と向上心・根性には、目を見張るものがあります。40前後になり、未知の国インドにヨーガ留学を決意し、その後もインドの大学で関連分野の学位を取得する、という積極的な行動パターンは、今の日本人には、ちょっと無理に思えます。

インドでの4年間の留学後、ソウルに帰り自分たちのヨーガ・センター「AOMA YOGA ACADEMY」を開設、センターの運営をしながら毎年インドに来ています。

「ジェチャン&ソンジョン」夫妻に続いて、「ヨーガ」の勉強でインドに来るコーリア組の間には、まず「カイヴァリヤダーマ」のディプロマ・コースに1年間留学し、引き続きプネー大学に進学する、というパターンが確立しています。

実際、ソンジョンさんの姪のリー・ジエン(Lee Ji-Eun)さんも2004-5年度に「カイヴァリヤダーマ」に1年留学、それからプネー大学の哲学科M.A.課程に進学、その後M.Phil課程に進み、最近、M.Phil論文を提出しました。すでに、6年インドに留学中です。これから伯父さんのように、引き続きPh.D.課程に登録する予定です。


インドに染まらないコーリア組

そういう経緯で、コーリア組とは1996年からの付き合いですので、かれこれ15年になります。その間にはいろいろなエピソードがあります。

「インド」という地場で、「ヨーガ」をテーマにして、コーリアンの彼らと、日本人のわたしたちとの、いろいろなドラマがあります。

(比較文化的にも非常に面白いので、整理したいとは思っていますが)。ひとつ言えることは、コーリア組は、「インド」に染まらないのです。

「コーリアン」としての強烈なアイディンティティーがありますので、長くインドにいても、「インド」が皮膚の深くまで浸透しないようです。

あくまでも、「コーリアvs.インド」という対立構造でインドと向き合います。それは、西欧人に近い自我構造のようで、常に要求と対立という態度です(「コーリア」のほうが優位としたいようですが)。コーリアの人口の60%近くはキリスト教徒の人たちです。

それも、彼らがインドに染まらない理由の一つです。プネーにはコーリアン系のキリスト教会があって、日曜日には、自分たちの教会に集まります。ヒンドゥー教には興味がありません(ジェチャン氏は仏教徒、奥さんのソンジョンさんと 姪のリー・ジエンさんはキリスト教徒です)。

その点、わたしたち日本組は、水のように、まわりに同化しますね。わたしたちには、あまり、「日本vs.インド」という対立構造が生じない。そのことに矛盾も感じていない。インドに同化しても平気。ヒンドゥー教文化への好奇心も旺盛。

コーリア組に比べると、わたしたち日本組は、はるかに、自分にこだわらない人たち、と言えると思います。わたしたちは、研究でインドに居るときは、ふつうにインドに同化します。仕事でタイに居るときは、ふつうにタイに同化します。ソウルを訪ねれば、ふつうにソウルに合わせます。

あまり、「オレが、オレが」と張る自我がない。

そして、結局、インドやタイが皮膚の中に染み込んでいるわたしたちが、インドの「ヨーガ」や、タイの上座部仏教の瞑想法について、彼らをガイドする立場にあります。気候・風土・植生が近い、同じ東アジアの隣国同士ですが、意外に、日本とコーリアの間に広がる日本海は、広くて深いようにも思えます。


2)ヨーガに何を期待するか

今回のソウル訪問時のセミナーは土曜日の朝10時から夕方5時までの終日プログラムでした。

ソウルも梅雨で、前日から雨模様でしたが、当日は彼らのセンターのホール一杯の約50名の参加者がありました。8割方が女性です。ほぼ全員「ヨーガ教師」でした。

また、彼らのセンターで主催している「乳ガン患者のためのヨーガ」のプロジェクトの参加者の女性も2・3名ありました。

コーリアでは、日本の「1995年事件」のような壊滅的な「ヨーガ・スキャンダル」がなかったので、全般的に「ヨーガ」の社会的な存在感が強いのです。今では4つの大学で学科レベルのヨーガ・プログラムがあります。

またヨーガ団体も乱立。それぞれの団体が激しい勢力争いの抗争を続けている、というのはコーリアらしいです(ちょっと暴走気味、ということで)。

日本でも、おそらく「1995年事件」が無かったなら、コーリア並みの「ヨーガ」の発展や展開があり、大学レベルで「ヨーガ」を扱う体制が出来ていたように思えるのです。


「ヨーガ」が抱えるねじれ構造

セミナーの前日、プログラムについての打ち合わせをして、バンコクの大学での講義のパワー・ポイント・ファイルのストックから翌日のプレゼンを構成。どこでも同じなのですが、やはり、「ハタ・ヨーガ」の「傾向と対策」が、みんなの弱点なのです。

コーリアン一般の傾向ですが、「やる意欲」はすごいです。セミナー中も、日本やタイでは感じない「熱気」を受けました。しかし、いろいろなスタイルのアーサナを、やり過ぎるくらいやっているのですが、その次に何があるのか、ということが、漠然と曖昧。これは、「ヨーガ」というものの構造的な問題です。

実は、「ヨーガ」には、何重にもねじれ構造と内部矛盾があります。

①伝統的ヨーガとフィットネス系ヨーガのアーサナの手法のねじれ
②「ヨーガ・スートラ」の地位と「ハタ・ヨーガ」の存在場所のねじれ
③ヨーガ哲学とヒンドゥー教神学のヴェーダーンタ哲学とのねじれ

だから、「ヨーガ」というのは、われわれ外国人には、何が何なのか、よく分からないのです。分からなくて当然です。「ヨーガ」自体が、ねじれを何重にも抱えているのですから。

まず、これらの「ヨーガ」の「ねじれ問題」を認識することが、その矛盾の解決法を探る出発点になります。

この構造的な問題を認識しないで、新しいスタイル、別なスタイルの「ヨーガ」を追いかけたり、われわれ外国人が、不用意に異国インドの異教であるヒンドゥー教の宗教的教義に感情移入しようとしても無駄、長続きしない、ということです。

まず、「わたしたちはヨーガに何を期待しているか」vs.「現実にヨーガはわたしたちに何が出来るか」という、正直で客観的な現状確認が、ある段階で、どうしても必要になるのです。


「ヨーガ」を学ぶこと

ヨーガの学習とは、内容的には、「伝統的ヨーガ」の

①ヨーガの理論
②ヨーガの方法論
③ヨーガの技術論

この三本柱を確認する基本作業の繰り返しです。これが基本です。この作業の繰り返しで、「ヨーガ」が抱える「ねじれ構造」の問題が自然に解消して行き、「現実にヨーガはわたしたちに何が出来るか」というテーマに安全に着地することができます。

「カイヴァリヤダーマ研究所付属カレッジ」の卒業生は、カレッジのカリキュラムでこの「伝統的ヨーガ」の3領域を勉強していますが、使いこなして行くには、それなりの研究と精進が必要になります。

ソウルでは「カイヴァリヤダーマ」の理論と技法はよく知られています。従って、わたしがソウルのセミナーでやることは、「伝統的ヨーガ」の背景を強調しながらの、
①ヨーガの理論
②ヨーガの方法論
③ヨーガの技術論
を確認する基本作業です。基本を確認することは、常に歓迎されることです。幸いなことに、今回も、「次はいつソウルに来るのか」という熱烈なフィードバックを参加者から頂きました。

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3)新興ヨーガと伝統的ヨーガ


歴史が古いのが「ヨーガ」ですが、今のように幅広い層の人々に楽しまれるような近代化運動が始まったのは1920年代以降です。

当初は、(異端ではあるが)インドの精神性の伝統の一角を占めている「ハタ・ヨーガ」の技法を合理的に解釈し、一般人のニーズに合わせるプログラムを研究し、普及させる、という展開をとりました。

このように、「ハタ・ヨーガ」のリソースにルーツがあるものが「伝統的ヨーガ」であり、パタンジャリの「ヨーガ・スートラ」が定義する「サマーディ(Samadhi)を追求する活動としてのヨーガ」の本質に根差しているものです。

1970年代以降、ルーツはインドにありながらも、「ハタ・ヨーガ」の伝統とは別系統のインド式身体鍛錬体操が「ヨーガ」という名前で広まるという、「新興ヨーガ」と言うべき現象が主に欧米で展開しました。

いわゆる、BKSアイアンガー系の「アイアンガー・ヨーガ」や、パタヴィー・ジョイス系の「アシュターンガ・ヨーガTM」、あるいは、そこから派生して行った「パワー・ヨーガTM」とか「ホット・ヨーガTM」などの商業系ヨーガです。

これらは広い意味で、「フィットネス・ヨーガ」とでも呼ばれるもので、目的が「フィットネス」に限定されるエクササイズのバリエーションと理解されるものであり、「ヨーガ」の本質とは、ずれがあります。

2000年以降、アメリカのフィットネス業界でビジネス・モデルとして確立した「新興ヨーガ」が、アジアの大都市にも進出して来ることになり、アジアでも「フィットネス・ヨーガ」のブームを作ることになります。

わたしたちの仕事先のバンコクでも、ここ数年、「California WOW」「Planet YOGA」「Absolute YOGA」「Hot Yoga」といった看板を見ます。プロモーション・セールや芸能人を使ったコマーシャルもあります。

こういう展開は、東京でも、ソウルでも、上海でも、タイペイでも、シンガポールでも、同じなのでしょう。大都会で流行する「新興ヨーガ」と、それに集まる人たちに共通する傾向があるように思えます。


「新興ヨーガ」の背景にある地殻変動

確かにバンコクでも、わたしたちがこちらの大学で仕事を始めた10年前から比べると、近年受講生の雰囲気が変わって来ました。年々、みんな疲れて来ている、という傾向です。どの国でも、どの大都市でも、「地殻変動」が起きています。

この10年間というのは、インターネットがわたしたちのライフ・スタイルを劇的に変えて来たプロセスです。その結果、いままで無意識に頼りにしていたものが、地滑り的に崩れて来ている....その頼りなさ、寄る辺のなさ、という気分。

それで、自分自身の土台を強化したいという志向は、まずは、カラダに向きます。自分に一番近くにありながら、なかなか自分の思うようにならないカラダ。

「ヨーガ」で自由自在に操れるような柔軟なカラダに鍛えよう.....そういう動機が、「新興ヨーガ」への関心と盲信へのルーツにあるように思えます。 

ところが、一生懸命続けていても、思うような結果を得れないのがフィットネスを目的としている「新興ヨーガ」の限界です。無理にカラダを酷使しても、思うほど自分自身が成長していると納得出来る効果が持続しない。

「フィットネス・ヨーガ」疲れ。
3年前後「フィットネス・ヨーガ」やって来た人たちに見られる傾向です。昨年くらいから、バンコクのわたしたちのコースにも増えています。一時期のブームが息切れして来ていますね。


「伝統的ヨーガ」への回帰

「伝統的ヨーガ」を知って行くことは、なぜ、自分はヨーガに興味を持ったのか、を再確認するプロセスになります。さまざまなスタイルで流行はしていても、「ヨーガ」の本当の面白さは、まだまだ知られていない段階でしょう。これから面白くなるのでしょうね。

数年「フィットネス・ヨーガ」をやって来て、「こんなはずじゃなかった」という気分のある人には、「ヨーガ・スートラ」と「ハタ・ヨーガ」のコンセプトが良く効くようです。

わたしたちのバンコクの大学でのコースも今年で10年目になります。今までの活動実績と、送り出した受講生のレベルの評価は上々のようです。

健康の追求だけなら、効果的なフィットネス・プログラムはいくらでもあります。なぜ、あえて「ヨーガ」でなければならないか?と、バンコクの受講生に問いかけ続けて来た10年と思います。

どうしても「ヨーガ」でなければならない理由を示すというチャレンジ。

それは、インドのヒンドゥー教の宗教家が説教することの真似事でも、西欧人のインストラクターの体操の猿真似でもない。わたしたちそれぞれのアジアの「文化」の本質に関わり、本質に触れようとすることなのだ、それを「伝統的ヨーガ」という型で追求している、というチャレンジでしょうか。 



4)日本人・コーリア人・タイ人

インド人や西欧人と比べれば、もちろん、アジア人はお互い似ています。

われわれ日本組は知識欲、知ることに対して貪欲ですね。知ると満足する。そして、次のこと、別のこと、新しいことを知りたい。

しかし、「知る」ことで充足するので、「行動」を取らなくなって来ている。

お隣のコーリア組は、行動すること、行為することに貪欲です。知るより、考えるより、行動が優先する、という傾向。そして、同胞の評価に過敏な人たち。そのため、しばしば過剰で先走った行動を取る人たち。

さて、タイ組は?
タイ組は、知識にも行動にも、貪欲がないです。タイのキーワードは「サヌーク(たのしい)、サバーイ(きもちいい)、アローイ(おいしい)」、自己感覚中心の、快感原則優位の人たちです。

そして、そのタイ人の傾向が「瞑想」への親和性となっているようです。

自分を壊しても止まらないのがコーリア組ですが、それは、タイ組ではあり得ないことです。

また、日本組には、自分を犠牲にしてまでも追い求める具体的な目的が無くなったようです。

知れば、それで満足。そういう段階に入っているように思えます。

「ヨーガ」をテーマとしたアジア人の国民性・民族性、そして、その背景にある「精神性」の考察は、興味が尽きないものです。



5)ソウル雑感

韓流葬儀

バンコクと日本の移動の途中なので、毎回、ソウルの滞在日数は短いです。今回も4日間でした。 しかし、短い今回のソウル滞在中に、たいへん興味深い異文化体験に遭遇することになったのです。

コーリアのヨーガ業界の大物が亡くなった、ということで、わが友人夫妻と彼らのセンターのメンバーと、韓流の葬儀に同行することになったのです。

さて、最初「病院に行く」と言われたので?だったのですが、友人は上下黒の喪服できっちり正装。わたしは「上が白なら良い」と言われ、友人の白のシャツを借りて簡易正装。彼らのセンターからタクシーで小一時間、着いてみると、そこはソウル大学付属病院。

その日はセミナーがあった日で、セミナーが終わり、軽く夕食を食べてから出かけたので、到着したのは午後8時過ぎ。

こんな遅い時間に、病院の病室に行くのかな? 故人はまだ病室のベットの上なのかな? 病室で故人に面会するのかな? 他人が病室まで入ってよいのかな?と、いろいろ考えていたのですが、なんと!病院の中に葬儀場!があるのです。

これが韓流らしい。もちろん、病棟とは別棟のビルですが、4階建てのビルに何カ所も葬儀ホールがあるのです。 驚きました。故人が入院していた病院でお葬式、それも2泊3日。

ここ10年くらいの動向らしいのですが、病院で亡くなると、自宅には戻らず、そのまま病院内の葬儀場で葬儀。確かに、ホールの祭壇に棺が安置されています。

まず、受付で記帳し、香典を渡します。そして、飾られている祭壇の棺に近づき、棺の前、膝をついて、棺に深く2回礼拝。そして、側に控えている親族の方々の方に向って、こちらにも、膝をついて1回深く礼拝。夜も遅くなりつつあるのに、参列者は三々五々到着しています。

2泊3日の葬儀期間中に一度顔を出せばよい、というシステムのようです (これはタイも同じです。タイの場合、葬儀はお寺で3日から1週間続きます)。

さて、棺が安置されているコーナーの、通路を挟んだ向いが宴会場。座敷です。そこで2泊3日、徹夜で宴会。愉快に過ごします。

それが、韓流のようです。それが、故人への弔いのようですね。 また、宴会をしながら花札をするのも伝統的な作法だそうです。

さて、われわれも宴会場に座ります。そのまま帰るのは無礼。座敷に座ると、目の前に、ビールとおつまみがさっと置かれます。居酒屋の乗りですね(われわれは酒類は飲みませんが)。

その間も、ひっきりなしに弔問客が訪れています。ヨーガ業界の関係者です。コーリアのヨーガの盛況振りが推し量られます。それだけ、「業界政治」も激しいようですが。

実は、うちの友人は、故人にあまり面識がなかったようです(派閥の関係で)。しかし、同じ業界人として、弔問が仁義。 このあたりは、村社会的な(儒教的?)しきたりが強く生きているようです。

インドでは、葬儀は実にあっさりとしています。 あまり、義理ごと的な縛りもないですね。そのドライさに、拍子抜けするくらいです。「葬儀」も、その国の民族性の背景にある「精神性」を感じるイベントです。


ソウルのデパート事情

さて、翌日曜日は、友人夫妻と近くのロッテ・デパートに行きました。バンコクの、うちのオフィスのスタッフへの土産を買うためです。ソウルからの土産物は、
・キムチ
・各種麺類
・穀類の粉もの
・クルミ・松の実といったナッツ
・干し柿  etc.......

ですね。どれもこれも多彩で上質。ソウル訪問の楽しみでもあります。ロッテ・デパートで驚いたのは、なんと「ユニクロ」に「無印」、それも、どちらも売り場が広いのです!東京と変わらないのです。

また、それにしても....ソウルのお嬢さんたちのスカートの短いこと。東京では「ショート・パンツ+黒ストッキング」の組み合わせをよく見ましたが、ソウルは生足でした。

梅雨の東京とソウルは、同じように蒸し暑い気候でしたが、ソウルのお嬢さんたちに、どことなく生命力の強さを感じました。

ソウルも、興味は尽きませんね.....


(この項続く)

 

 

 

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