2009年4月2日木曜日

プネーの近況2009年3月

ナマステ!みなさんお元気でお過ごしですか。
日本も今年は冬が短く、春を迎えるのが早いようですね。

桜の花が満開!となっている所もあるようですが、
みなさんの町では如何ですか。

日本が春爛漫の頃、プネーは夏全開です。

日差しが日に日に強くなり、
太陽を受ける木々にも力があります。

では、「プネーの近況・3月」の報告を致します。

目次

1)自然療法体験プログラム
2)カイヴァリヤダーマ研究所での合宿セミナー
3)ヴェーダーンタの合宿に参加
4)アーユルヴェーダの主治医を訪ねて
5)4月は北インドへ研究旅行

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1)自然療法体験プログラム

今年は2月・3月に、プネー郊外のウルリカンチャンにある
『ニサルゴプチャール(自然療法)・アシュラム』で、インドの自然療法の体験プログラムが組まれました。

インドでは、ヨーガと自然療法は切り離せない関係にあります。なので、ヨーガを学ぶ人は、自然療法についても学ぶことが推奨されています。

幸いなことに、ロナウラやプネーから近いウルリカンチャンに、インドで初めて設立された自然療法のアシュラムがあります。

わたしたちは、そこの現在のディレクターのニサル先生と親しくしていただいていることもあり、タイ組のスタディ・ツアーでは必ずウルリカンチャンも訪れることにしています。

それで、今年は日本のみなさんにも、ウルリカンチャンの自然療法のアシュラムに滞在し、ジュース断食などのいろいろな自然療法を体験するプログラムを提供してみました。

すでに2月組のフィードバックは掲載いたしましたが、3月組のフィードバックは、これから「インドで自然療法」のシリーズで順次掲載されますので、楽しみにしていて下さい。


● 移動日に一気に日本からプネーまで

3月組は関西・名古屋グループの4名と、1・2月にロナウラの『カイヴァリヤダーマ研究所』で6週間コースを受講された2名がウルリカンチャンでの自然療法研修にも参入されることになり、メンバーは総勢6名となりました。

関西・名古屋グループの4名は、2月28日(土)に関空・中京空港からタイ航空でバンコク経由でムンバイに到着、そのまま迎えの車で一気にデッカン高原のプネーまで上がり、プネーのホテルに1泊。

ムンバイからプネーは200キロの距離です。やや強行軍になりますが、日本を午前中出発し、その日のうちにプネーまで辿り着くことが出来ます。バンコク乗り継ぎは比較的楽です。

ムンバイ到着への出迎え、研修期間中の通訳・現地コーディネートはプネーの『サンディーシュ日本語サービス(JLS)』のチャンドラシェカール・ラトール氏が担当しました。

車はロナウラの『J.K.トラベル』が手配した6人乗りのRV車です。

プネーではデッカン地区のアプテ通りにある『ホテル・シュレーヤス』が宿泊先です。わたしたちのプログラムでは、プネーでの定番の宿になっています。

ファミリー・ホテルで、インドのふつうな雰囲気が良いのです。マハーラーシュトラ料理の名物レストランも併設されています。


● プネー市内探訪

翌日3月1日(日)朝、関西・名古屋グループの方は、ホテルをチェック・アウト後、わたしたちの家のあるアウンド地区に来てもらい、わたしたちと合流、それからプネー市内のご案内をしました。

まず、うちの前のD.P通りを少し散策。近所のインド菓子屋さんやうちがいつも買い物するお店などを探検。そして、うちの近所にある「ガネーシュ寺院」に参拝しました。

「ガネーシュ」は像の顔の人気のヒンドゥーの神様です。
プネーは「ガネーシュ」の町なので、町中に「ガネーシュ寺院」が溢れています。

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「ガネーシュ」は「障碍を取り除く方」と考えられており、インドでは
何か事を始める前には、まず、「ガネーシュ」にご加護を依頼します。

なので、わたしたちも、今回の「インド研修」が無事完遂することを「ガネーシュ」さんにお願いしておきました。

それから、プネー市の中心部にある、旧ペーシュワ王国時代の宮廷跡である「シャニワール・ワダ(土曜宮殿)」を訪問。お城跡を見学しました。

「シャニワール・ワダ(土曜宮殿)」はプネーのシンボルであり、プネーの
訪問者は必ず訪れる重点スポットです。

それから、自然療法アシュラムで必要となる簡単な服やタオルを調達。
まず、旧市街にあるカッディー専門店(マハートマ・ガンディーの推奨した手紡ぎ・手織りの綿製品)で、みなさんナチュラルな素材のブラウスやバスタオルを購入。

次に、最近プネーにも建ち始めた新型ショッピング・センターの「プネー・セントラル」でショッピング。こちらには、洋服とインド服の中間のデザインの、都会的に洗練されたドレスが豊富にあります。

昼食は「プネー・セントラル」最上階にあるフード・コートで。

バンコクではふつうにある食事処の風景ですが、最近インドにもフード・コート・スタイルのレストランが出来はじめています。北インド料理・南インド料理・インド式スナックなどの窓口がいくつか並んで居ますが、味もなかなかのレベルです。


● 世界遺産の探訪

さて、「フード・コート」での昼食後(みなさん食欲旺盛でした)、みなさんは日本語ガイド・現地コーディネーターのラトール氏と一緒に、『J.K.トラベル』の車でオーランガバードの町へ向かいました。

今回は、自然療法の研修を始める前に、2泊3日で世界遺産の「エローラ・アジャンター遺跡」探訪の旅をする、というプランです。

3月1日(日)・2日(月)はプネーから250キロあるオーランガバード
で2泊、エローラとアジャンターの遺跡を探訪し、それから3日(火)の夕方にウルリカンチャンの自然療法アシュラムにチェックインします。

このルートは、わたしたちのタイ組のスタディ・ツアーでも採用しているパターンで、文化遺跡訪問も組み入れることで、バランスの良い研修プログラムになっています。

では、3月組の「インドで自然療法」の成果はどうだったか?これから回覧されて行く参加者の方のフィードバックの続きで
ご覧下さい。



2)『カイヴァリヤダーマ研究所』での合宿セミナー


さて、わたしたちは、「インドで自然療法」組がエローラ・アジャンターの
世界遺産の旅に出かけてから、翌日3月2日(月)から5日間、ロナウラの『カイヴァリヤダーマ研究所』で、東京から来られたグループ16名の合宿セミナーの仕事がありました。

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これは、東京の某旅行会社の企画です。昨年も1月にも同じ旅行会社 の企画で、30名のグループが『カイヴァリヤダーマ』に5日間滞在され、わたしたちが日本語での講義の部分を担当しました。

以前、10年程前、『カイヴァリヤダーマ』で日本から来られたヨーガ団体の合宿セミナーをいくつか実施したことがあります。その後、そのようなプログラムは続かなかったのですが、昨今の「ヨーガ・ブーム」の余波でしょうか。昨年あたりから風向きが変わったように思います。

リシケーシュと並んで、ロナウラのことも日本にもっと知られるようになると良いですね。


● 東京のヨーガ・グループ

昨年は東京のフィットネス系のグループで、リーダーのY先生は体育系の女性の方でした。今年は東京のヨーガ団体のグループで、リーダーはヨーガ歴40年以上になる60代半ばのI先生、それとI先生のスタッフの方と、メンバーの生徒さんで、なかなかまとまった感じのグループでした。

また、事前に連絡メールで自己紹介や顔写真を送ってもらっていたので、初対面ではありましたが、比較的和やかな雰囲気での顔合わせとなりました。

『カイヴァリヤダーマ』での研修日程は4泊5日と短いスケジュール
でしたが、多忙な日本の日常を離れ、インドの近代ヨーガの発祥地に滞在しながらの体験学習が、みなさんにとって実り多いものとなったことを願います。


● 合宿セミナーの日課

みなさんは3月1日(日)に日本出発、成田からシンガポール航空でシンガポール乗り継ぎでムンバイ着、ムンバイ空港近くのホテルに1泊。

翌3月2日(月)、朝食後ホテルをチェック・アウト、バスでロナウラに移動、お昼前にには『カイヴァリヤダーマ』にチェック・インされました。

次に、合宿セミナーの日課を簡単に述べます。

1日目
昼食後にオリエンテーション・ミーティング。キャンパス内の施設をご案内。夜は「ヘルス・ケア・センター」の2階の図書室でミーティングの続き。

2日目
午前
5:30 起床、モーニング・ティー
6:30 クリア(浄化法)を見学
7:00-8:30 アーサナ・クラス見学参加
9:00 朝食
10:30-12:00 講義(1)
12:00 昼食
午後
1:30 センター専属医によるチェック・アップ
3:00 ハーブ・ティー
3:30-4:15 科学的研究ラボ訪問・研究スタッフの講義(通訳付)
4:30-5:30 アーサナ・クラス見学参加
6:00 自由行動
7:00  夕食
8:00-9:30 サット・サンガ(インドの文化背景・哲学について)
10:00 寝床

3日目・4日目も上記の日課とほぼ同じでした。基本的なスケジュールは滞在先の「ヘルス・ケア・センター」の日課に従って進みます。


● 実習と講義

実習については、1日目と2日目は「ヘルス・ケア・センター」の一般のアーサナ・クラスに他のインド人ビジターと混ざって見学参加。

3日目からは別なホールで、日本人グループだけの特注クラスをわたしたちが担当。
 
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講義は1日2回。
午前中は日本語でヨーガの概論。午後はキャンパス内の各部門を訪ね、研究スタッフ・講師陣による講義。わたしたちが日本語通訳を担当。

・2日目:科学的研究ラボ(SRD)
・3日目:哲学・文献学研究室(PLRD)
・4日目:付属カレッジ

2日目の午後はSRDのオーク先生(心理学)、3日目の午後はPLRDのシャルマ先生(サンスクリット学)。4日目はカレッジで学生のアーサナを指導しているシン先生とサッディア先生に面会、校長先生のボガル先生(心理学)からは、カレッジのことや、瞑想についての講義をして貰いました。

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また、昼食後の自由時間は、自然療法センターに行き、自然療法の

いろいろなセラピー体験をする時間や、外出してロナウラの町の探訪を楽しむ時間に充てられました。

夕方は、いつもですと研究所の精神的代表のスワーミー(修行僧)の
クティ(修行所)で行われる毎日のプージャー(お祈りの儀式)に参加するのですが、あいにくスワーミーが外出されていて、この期間不在でした。

『カイヴァリヤダーマ』はヨーガの学術的研究所で、宗教色はありませんが、精神的代表はスワーミーが務めることになっています。スワーミーは研究所のキャンパスの外のクティにひとりで住んでいます。スワーミーのクティでの毎日のプージャーも、完全自由参加です。

スワーミーの不在中は、カレッジのシン先生が代行で毎日のプージャー
を行っていました。シン先生は普段から夕方のプージャーの常連で、サンスクリット語のお祈りのマントラを大きな声でリードをしています。シン先生が執り行うプージャーも、なかなか男らしくて様になっていました。

4日目の夕方はグループのみなさんと、シン先生の代行プージャーに
参加し、ヒンドゥーの宗教儀式への参加体験もしてもらいました。


● 日本人の特性


今回のグループのみなさんについて、わたしたちは、
同じ先生の指導を長く受けている方々なので、とてもまとまりがあり、礼儀正しく、日本人的な良い面を持ったとても良い方々、という感想を持ちました。

また、指導スタッフの方々は、日本ではなかなか分からないインドの
背景や、今まではっきりしなかった部分なども解消し、ヨーガへの全体的な理解を深められたようでした。

アーサナに関しても、一見簡単に見える「基本が大切」と言うことも再確認されたようでした。夜の「サット・サンガ」の時間は、質疑応答などの時間に充てられました。また、現在カレッジ在籍中の日本人留学生によるキャンパス・ライフの説明も組まれました。

「サット・サンガ」では主に指導スタッフの方から来る質問に、うちの宏先生の答えがいろいろな方面に発展して、なかなか終わらず、熱心な人は一生懸命に聞かれていましたが、眠くなっている人もいたようでした。


● 定期的にインドで合宿セミナー


5日目の朝にみなさんは『カイヴァリヤダーマ』をチェックアウト。
プネー経由で世界遺産の「エローラ・アジャンター」探訪に向かわれました。

わたしたちもプネーまでみなさんのバスに便乗させて頂き、プネーのうちのフラットのビルの近くで降りて、みなさんとお別れしました。

旅行会社が企画される「インド・ヨーガ・ツアー」に参加される方々とは、わたしたちはあまり接点が無いのですが、そういう幅広い層のみなさんにもロナウラの『カイヴァリヤダーマ研究所』について知って頂くことは意味のあることに思います。

とかく、日本では、「ヨーガ=リシケーシュ」といった、誤った情報が広まっているようです。

リシケーシュに行っても、ヒンドゥー教の聖地としてアシュラムがあるだけで、ヨーガを体系的に勉強する場所はないので、外国人はますますヨーガについて混乱や誤解を深めることになるようです。

インドでヨーガを学ぶには、ロナウラに来ることが最短コースです。

昨年と今年の経験を踏まえて、『カイヴァリヤダーマ』でも日本人の方対象の合宿セミナーを実施することを考えています。2月・3月はロナウラは良いシーズンなので、その時期ですね。

『カイヴァリヤダーマ』での1週間程度の合宿セミナーを含めて、日本から10日間程度のプログラムに収まると思います。詳細は、また「メールグループ」でお知らせいたします。
http://groups.google.co.jp/group/lonavla/



3)「ヴェーダーンタ」の合宿に参加

例年、12月から5月はインドでの「研究期間」ですが、その期間中にインドの伝統哲学である「ヴェーダーンタ」の勉強に時間が充てられます。


「哲学する」文化

「瞑想する」こともインドの文化ですが、
「哲学する」こともインドの文化です。
インドの人たちは論理的な探究や議論が好きです。

インドの場合、哲学はひとの生き方を方向付けるものですから、老若男女、年齢や教育レベルと関係なく、「哲学するこころ」が尊ばれます。

それで、インドには大学などのアカデミックな研究機関とは別に、伝統的なインド哲学の研究や指導を専門にやっているアシュラムがありますし、伝統哲学の師匠と言うべき先生方やスワーミーが居ます。

だから、インドの伝統音楽や伝統舞踊と同じ感覚での、
「伝統文化」としての伝統哲学でしょうか。

プネーのわたしたちの先生の「スワーミー・サットスワルーパーナンダ」先生も、そのようなインドの伝統哲学(ヴェーダーンタ)の師匠のひとりです。 

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わたしたちは1996年からサットスワルーパーナンダ先生の指導を
受けていますので、もう13年になります。現在は「チャンドーギャ・ウパニシャド」や「ヨーガ・ヴァシスタ」といったテキストのクラスに参加しています。

ヴェーダーンタのテキストはいろいろありますが、基調テーマはどれも同じですね。

「わたしとは、何か?」です。

そして、それを探究するための、インド的な考え方の訓練です。

よく、子どもの頃、鏡を見て、「わたしって、何だろう?」と考えることは、誰にでもあると思います。

成長するにつれ、おとなになるにつれ、そういう素朴な疑問は忘れるものですが、子どものときに鏡をのぞいた気分は、どこか、こころの奥底に眠っているものではないでしょうか。

インドの文化は、「子どものときに鏡をのぞいた気分」を大切にするようですね。

インドでは、それが洗練された伝統文化まで高められていますし、むしろ、それこそが、インド文化の精髄になっている、かのようです。


● プネーの先生の先生

また、インドの「研究期間」中に、わたしたちのサットスワルーパーナンダ先生の先生である「スワーミー・ダヤーナンダ」先生のアシュラムで開講される短期・中期のコースにも定期的に参加して来ました。

北インドのリシケーシュと南インドのコインバトールと、マハーラーシュトラ州のナグプールに「ダヤーナンダ・アシュラム」があります。伝統的なヴェーダーンタの研究・指導の専門アシュラムです。

2001年にコインバトールのアシュラムでダヤーナンダ先生の指導による「カタ・ウパニシャッド」の3ヶ月コースを受講したのですが、それは、その後のわたしたちのインドでの研究方向や、仕事の方向性を決定づけるようなインパクトがあったと思います。

それは、「子どものときに鏡をのぞいた気分」をいつも忘れないことが、人生の謎を解く鍵であり、人生を生きて行く方向、ということでしょうか。


● ダヤーナンダ・アシュラムの変遷

その後も毎年、プネーの先生の指導と平行して、リシケーシュやコインバトール、ナグプールのアシュラムにも行く期間を確保して、ヴェーダーンタのテキストの勉強を進めて来ました。

今は、2006年と2007年と続けて「ヴェーダーンタ」の重要テキストである『ブラフマ・スートラ』のコースに出て、一応一段落ついた段階です。

わたしたちがヴェーダーンタのことを知った1994年当時は、「ダヤーナンダ・アシュラム」は、とても敷居が高かったのです。当時はダヤーナンダ先生の直接指導による3年間の長期コースだけが運営されており、厳しい「神学校」のような雰囲気でした。

「人生をヴェーダーンタに捧げる覚悟が出来た者だけが来るように」というポリシーでしたし、最初からかなりのレベルのサンスクリット語の基礎教養も要求されていました。

2000年以降、中期・短期コースも開講されるようになり、ヴェーダーンタに深い興味を持つ一般人にも解放されるようになったのです。

近年の「ダヤーナンダ・アシュラム」のプログラムは、コースのトピックもますます親しみやすいものとなり、期間も1週間ー2週間と短期で、大勢の見知らぬ人が行き交う、「まるで駅のプラットフォーム」という状態になりました。

これもインドの時代の変化ですね。1990年代にはあれほど高かった敷居が、今は無いと同然です。


● 新しいセンターでの合宿

先月2月23日に、プネーのサットスワルーパーナンダ先生のクラスの最後に、異例の通知があったのです。

同じマハーラーシュトラ州のアンボリーと言うところに、
ダーヤーナンダ先生の新しいセンターが出来たのですが、そこで
合宿がある(3月9日ー13日)、ということでした。

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このセンターは、シンディー人の実業家の方が小規模のセミナー・ハウスとして2年前に設立し、ダヤーナンダ先生の運営する教育財団に寄付したものです。

シンディー人とは、今のパーキスターンに住んでいたヒンドゥーの人たちです。60年前、イギリスから独立するときに、ヒンドゥー中心のインドとイスラム中心のパーキスターンに分離されたことで、シンディー人は難民としてインドに逃げて来たのです。

分離独立で故郷を失った、という悲劇がありますが、シンディー人はビジネスに長け、強力なシンジケートを持つ裕福で有力なコミュニティーです。

さて、アンボリーの新しいセンターは収容人員は30名程度。それに、アンボリーは避暑地として有名なところです。

それは、良いプログラムだな、と、家に帰って、早速、場所は何処にあるのか?どうやって行くか?をインターネットで調べて、列車の時刻と予約状況も調べました。

プネー駅から最寄りのベルガオン駅まで急行列車で8時間の距離。また、何と、行きの3月8日の夜行列車と、帰りの13日の夜行列車の予約が取れそうではないですか。

これは、呼ばれているのかな?

インドの国鉄は3ヶ月前から予約がスタートします。これから始まる
4月・5月の夏休みシーズンには、インド人の民族大移動!があり、里帰りや家族旅行の切符を手に入れるため、駅の予約カウンターには長い長い列が出来ます。


● センターのスタッフ

さて、ラッキーにも列車の切符は取れました。交通手段が確保出来たので、それではと、センターの方に連絡を取り、コースの予約状況を問い合わせ。

このセンターの運営を任されているのはギリ夫妻です。30代後半でしょうか。彼らはナグプールの「ダヤーナンダ・アシュラム」で勉強したカップルで、わたしたちとも面識があります。

実は、ギリ夫妻は以前、別なヴェーダーンタの団体のアシュラムで勉強し、その団体のスタッフであった期間が8年あります。

「スワーミー・パールターサラティー」という先生の主催する
『ヴェーダーンタ・アカデミー』という団体で、アシュラムはロナウラの『カイヴァリヤダーマ研究所』の近くにあります(ロナウラにはいろんな団体の研究所やアシュラムがあるのです)。

こちらの団体では、主宰の先生がロンドン大学で経済学を勉強した方であるという背景もあり、ヴェーダーンタに対してモダンなアプローチを取り、西洋哲学との比較研究もします。インドではそういうアプローチへの支持者も多い、と言うことです。

ギリ夫妻はある段階で、そのモダンなアプローチに物足りなくなり、もっと伝統的なヴェーダーンタを深めたい、という意図を持ち、ダヤーナンダ先生の門を叩いた、という経緯があります。

ちなみに、ギリ夫妻の奥さんの方はパルーシー(拝火教徒)です。むかしむかし、中近東や中央アジアは拝火教(別名ゾロアスター教)で、インドはバラモン教でした。イスラム教が勃興してからは、拝火教は駆逐されてほぼ消滅、僅かにインドに逃げて来た人たちがグジャラート州やマハーラーシュトラ州に住んでいます。

有名なインドのタタ財閥の創始者一族はパルーシー(拝火教徒)です。昨年11月のテロ攻撃で、タタ財閥のシンボルであるムンバイの「タージマハル・ホテル」がイスラム・テロリストによる殺戮の場とされましたが、それはパルーシーの文明がイスラムに破壊されたことの再現でもあり、パルーシーは今だにイスラムに追われているかのようです。

さて、ギリ夫妻によると、収容人員は30人という小規模なセンターで、部屋の方は6人部屋のベッドは空きがあるけど、2人用の個室はすでに一杯であるとのこと。

その代り、センターの方で、すぐ近くにあるホテルに部屋を取って
くれるとのこと。1泊900ルピーに10%のディスカウントで、センターの部屋に滞在した場合のコース運営経費の分担分とあまり変わらない設定になります。

じゃあ、それでお願いしよう、と。

思いもよらず、プネーの近くで、しかも、小グループで、ダヤーナーンダ先生の直接指導が受けられる、というのは、かなりの幸運!日頃の良い行ないのご褒美ですね!!


● 夜行列車でアンボリーへ

アウンドの家を出発したのは8日夜9時半。うちの大家さんのゴレさんがオーナーであるリキシャーに来てもらい、プネー駅へ。

うちの大家のゴレさんは、プネー大学の教授ながら、川向こうの村の
方に住んでいますが、ソシアル・ワークーの一環として、リキシャーを一台買い、村のひとに生計手段としてリースして運営させています。

それで、うちも夜や早朝に出かけるときは、そのリキシャーを頼みます。運転手をよく知っているので、安全で安心です。

プネー駅まで約20分。午後11時頃出発の夜行列車に乗り、南へ。翌朝8時前にお隣のゴア州に近い、ベルガオン駅に着きました。

ベルガオンはマハーラーシュトラ州とカルナータカ州の州境の町で、カルナータカ州側にあります。そこからカルナータカ州営業のローカル・バスに揺られ揺られて、1時間半。お昼前には山間の小さな町のアンボリーのバス・スタンドに着きました。

わたしたちの滞在先となるホテルはバス・スタンドの少し手前の
「JRDインターナショナル」。庭付きのバンガローやプールもあるリゾートホテルでした。

センターはバス・スタンドの裏手の道を上った丘の頂上にありました。ホテルから歩いて10分ほど。

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周辺には造成中のプロットが点在し、アンボリーは、ロナウラのような
別荘地・リゾート地にするべく開発中、というように見受けられました。

到着日のプログラムは、夕方にオリエンテーション・ミーティング。それまではホテルの方で、ランチ&休憩。ここはアラビア海に近いので、魚カレーのメニューもありました。カツオのカレーです。

4時半にホテルを出て歩いてセンターへ。車道を通ると10分はかかり
ますが、丘を上る近道を通ると5分で行くことが出来ました。

センターは、車道から入る門を中間に、丘の中腹に展開しています。下の方にキッチンや宿泊用のコテッジ、頂上にホールと1人用の小さいコテッジ。
 

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道や階段は溶岩のブロックで作られ、また、沢山の貝殻が散らばって
いました。大昔はこのあたりは火山があり、海の底だったのですね。

『カイヴァリヤダーマ』のあるロナウラと同じような地形で、雨の多い気象条件もそっくりです。ロナウラも雨季の雨量が多いのですが、アンボリーはロナウラの倍雨が降るのです。想像を絶しますね。

それで、雨季が始まると沢山の滝も出来、雨を楽しみに来る観光客で賑わうのがアンボリー、とのことです。

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● 参加メンバー

30名前後の参加者はムンバイやプネーから来られた方が多く、
予想通り、シンディー人のビジネスマンとその家族中心でした。年代は50-60代ですね。

このセンターは、主にシンディー人のネットワークで使われる、ということですね。アメリカで40年以上働き、昨年定年退職したシンディー人の女性もいました。アメリカに家がありますが、プネーにも家を買ったそうです。退職し、これからは精神性の探究をする、というお話しでした。

また、2月にリシケーシュのアシュラムで行われた短期コースに参加した外国人も2名居ました。終わってから又リシケーシュに戻り、次の短期コースに参加するとのこと。この時期は外国人ツーリストも出入りする期間です。

ダヤーナンダ先生は夕食時間には到着される予定。カルナータカ州でのソシアル・ワークのプロジェクトの式典に参加された後のようです。

「ただ今車で移動中」ということで、みなさんとダヤーナンダ先生をお待ちしていましたが、「遅くなるので今晩はベルガオンの町に宿泊、明朝アンボリー入り」という連絡が入りました。

それではと、わたしたちも夕食を食べて解散、となりました。

帰りはセンターからバス・スタンドに向かう車道を、懐中電灯で照らし
ながら、そろそろと降りました。ちょうど、3月11日のホーリーの満月に向かう3日前です。夜空に月が輝き、月明かりを頼りに、星空を眺めながら、途中建築中の家の街灯の明かりにも助けられながら、無事にホテルに戻ることが出来ました。

次の日、早朝のヒンヤリとした新鮮な空気の中を歩いてセンターに。

7時半過ぎ、ダヤーナンダ先生の車が到着。車はそのままホールに横付けされ、先生が出て来られました。

お会いするのは約2年振りです。年齢的には79歳。健康問題もいろいろあるのですが、すいぶんお元気そうで、2年前よりお元気な様子に驚いたくらいです。

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席に着かれて、簡単なご挨拶と場所の感想を述べられた後、
直ぐにプログラム開始。最初の「瞑想(メディテーション)」のクラスの指導が始まりました。

1日目は少し遅いスタートでしたが、コース中の5日間のスケジュール
は次の通りです。

午前
6:00             モーニングティー
7:00-7:30     瞑想(メディテーション)
7:45-8:30    アーサナ・クラス
8:30        朝食
9:30-10:45    講義(1)
10:45              ティー・タイム
11:45-12:00  講義(2)
午後
12:00                 昼食・休憩
16:00                 ティー・タイム
17:15-18:30  講義(3)
19:00                 夕食
20:30-21:45  サット・サンガ(質疑応答)
22:00                 就寝


1日3回のダヤーナンダ先生の講義と、夜のサット・サンガ(質疑応答)が中心です。

リシケーシュやコインバトールのアシュラムのコースですと、これに加えてサンスクリット語の学習クラスや、ヴェーダのマントラの読誦練習(チャンティング)のクラスもあり、結構忙しいですが、今回はヴェーダーンタの講義がメインです。

午後の休憩時間が長いので、わたしたちは歩いてホテルの部屋に帰っていました。ヴェーダーンタはあたまをよく使うので、休憩時間にあたまを良く休ませる必要があります。

また、夜のサット・サンガが終わるのは10時過ぎになるので、夜は
センターから車でホテルに送ってもらうことになりました。

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● インド哲学の奥義の奥義

「ウパニシャッド」は、日本語では、よく「奥義書」と訳されていますね。確かに、インド的なコンセプトのルーツはウパニシャドにあるので、ここまで行かないと、全体像がわかりにくい、と思います。

さて、今回のアンボリーでの合宿は『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』の第2章をテーマにしたものでした。そこに、「ブラフマン」の定義が出てきます。そして、なぜ、ブランマンは探究されるべきか、という解答ですね。

ここは、インド哲学の奥義の奥義の部分で、すごくタフなのですが、「存在=意識」までに理解が届くと、空間と時間、生と死、他者との
関係性と言った、わたしたちを限定している条件が解除されるのです。

それで、
「これがわかれば、すべてがわかったと同然」と言われるものです。

もちろん、たいへんな形而上学です。具体的なものとして理解できる領域を超えたものですから。

それでも、ダヤーナンダ先生の講義は、ほんとうに面白いのです。こんな難解なインド哲学の形而上学のお話しを、とてもおもしろ可笑しく、わかりやすく、言葉で目の前にありありと、淡々と描写されるのです。コミュニケーションの天才なのでしょうね。

あたかも名人の落語家が、おそばを食べる様子を目の前にありありと、淡々と描写するような名人芸、と同じような味わいでしょうか。

わたしたちも『タイッティリーヤ・ウパニシャッド』の講義を受けるのは3回目でしたので、内容はよく知っているのですが、やはり、何度聞いても、ますます面白いですね。また聞きたくなります。


● 歩く「ダクシュナ・ムルティー」

実際、インド広しと言えども、ヴェーダーンタの講義をさせたら、この方ダヤーナンダ先生が押しも押されぬ第一人者、と言われる、知る人ぞ知る、という存在です。

それでいながら、誰とも、同じ目線で、長年の友だちのような親しい、自然な距離感を作ることが出来る、不思議な人物でもあります。

人間の知性と感性とユーモアとコミュニケーション力は、ここまで統合され、ここまで拡張されうるのか、という、生きた実例でしょうか。多くの人が、ダヤーナンダ先生のことを、「歩くダクシュナ・ムルティー」と考えています(「ダクシュナ・ムルティー」はヒンドゥーの知識・学問の神様です)。

それは、何も特別なことではなくて、「子どものときに鏡をのぞいた気分」を、どこまでも、どこまでもしなやかに伸ばして行った延長にある境地で、そのコツがわかれば、誰にでも手が届く境地、に思えるのです。 

(だから、わたしたちは、まだインドで研究を続けているのでしょうか)。

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4)アーユルヴェーダの主治医を訪ねて

さて、インドでの「研究期間」中のテーマに、「ヴェーダーンタ」の他に、自分たちの健康管理を兼ねたインドの伝統医学の「アーユルヴェーダ」の勉強があります。

先月は日本の外務省の「巡回医師団による健康相談」プログラムで派遣されて来られた、日本の医師の健康診断をプネーで受けましたが、3月はインドの伝統医学の「アーユルヴェーダで健康診断」でした。


● ニュー・ジェネレーションのアーユルヴェーダ医

わたしたちの主治医であるジャガディーシュ先生とは2000年からのお付き合いです。プネー大学のアーユルヴェーダ学部を卒業されていますが、インド政府厚生省主導のアーユルヴェーダの規格化・標準化政策の第一期生でもあり、ニュー・ジェネレーションのアーユルヴェーダ医です。

現在は、2年前に『カイヴァリヤダーマ』に開設されたアーユルヴェーダ・センターでも「パンチャ・カルマ」の指導を担当していますので、『カイヴァリヤダーマ』で一緒に仕事をすることもあります。

わたしたちのアーユルヴェーダ歴は9年です。その前は1993年にウルリカンチャンで自然療法を勉強して以来、ずっと自然療法派でした。今も自然療法もよく理解し、実践もしていますが、興味や研究の対象は、アーユルヴェーダの方です。

インドでは自然療法もアーユルヴェーダも盛んなのですが、両者はまったく異なる理論と手法を持つもので、混同することなく、別々に勉強する必要があります。

今期はお互いにスケジュールの調整がなかなか付かなくて、3月第1週の『カイヴァリヤダーマ』での日本組合宿セミナー中に、ジャガディーシュ先生からのかんたんな定期検診を受けて以来、そのままになっていました。

それで、アンボリーでの「ヴェーダーンタ」の合宿から戻ってから、プネーの先生のクリニック(自宅兼)に行くことになりました。『カイヴァリヤダーマ』ではとかく忙しいので、自宅のクリニックの方で昼食を挟んで、ゆっくりと時間を取って、講義を兼ねたコンサルティングをするのが、わたしたちとの定番プログラムになっています。

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● クリニックへの長い道程

プネーのジャガディーシュ先生の自宅兼クリニックは、プネー市の北側にあります。プネー市の西端に位置するわが家からは15-16キロと、かなり離れています。

市営バスで行くには乗り継ぎがたいへんですし、リキシャーで行くには少し距離がありすぎなのです。ですから、いつも、クリニックに行く途中に、他の用事もすることにしています。

この日は、うちから10キロほどの「サラス・バーグ」という公園にある有名な「ガネーシュ寺院」と、その近くの「ラクシュミー寺院」を訪ねて参拝しました。

「ラクシュミー」はヒンドゥーの富・繁栄の女神で、参拝客が絶えません。参拝後、別なリキシャーでクリニックへ向かいました。

さて、ジャガディーシュ先生はラージャスターン州出身です。お父さんが
仕事の関係でプネーに移住しました。ジャガディーシュ家はプネーでもラージャスターン州出身者が集まった地区にあります。

自宅兼クリニックは3階建てのビルです。1階にクリニックがあります。
ロナウラに行かない日は自宅クリニックでも臨床をします。

クリニックには、いろいろな生薬や、器具が雑然と置かれています。前回カイヴァリヤダーマで、かんたんに脈を診てもらいましたが、今回は、更に詳しく身体の状態について診断を受けました。


● ポテト食べ過ぎ症状

わたしたち二人はどちらもヴァータ系と言われる、やせ形タイプで、
風の性質が優性な体質です。

脈診を取ったあとで、「少しアマ(不純物)が溜っている」と言われました。

そして、「そうかナー?」と考えていると、
「あなたたちの体質では、消化に重いポテトがアマを作りやすい・・・」
と言われて、あーそうか、思い当たることがあるある!

今回はインドに戻って、ポテトをよく食べていました!!

前からポテトはわたしちには消化に重いので「あまり意味がない」と
言われていて、それほど食べていませんでした。それに1年の半分近くを過ごすタイでは、収穫量が少ないのか?ポテトはほとんど見ないし、口にすることもありません。

しかし、今回インドに帰って来てから、冬場に市場でポテトが妙に
美味しそうに見えたので、今期はポテトを良く食べたのです。

また、今期から電磁調理器を導入して、圧力鍋もステンレス製に買い換え、ポテト類の調理がし易くなった、こともあります。圧力鍋で調理するポテトは美味しいですね。

ですから、先生が言われた通り、最近少しポテトを摂りすぎていたようです。


● 尿検査の結果

2月の「巡回医師団による健康相談」で、日本から派遣されて来たお医者さんに、わたしは尿の再検査を指示されていたので、『カイヴァリヤダーマ』滞在中に、『カイヴァリヤダーマ』のラボで尿検査をしていました。

その結果を持って、アーユルヴェーダのクリニックに行ったのですが、「尿検査」の結果は、少し腎臓に石が溜る傾向が出ている!とのこと。

これは、わたしの母方の遺伝で、祖母がこの病気を持っていたので、わたしも注意はしていました。

それで、今回は細かい食事指導がありました。例えば、ほうれん草は食べない。トマト、グアヴァ(フルーツ)も避ける。キュウリもタネは食べない。当面はインドのミルク菓子やアイスクリームも控える(これからの暑い時期、コレが一番美味しい季節なのに残念!)。

また、当面2週間分のアーユルヴェーダ薬の処方があり、2週間後に経過を見る。また、3ヶ月後に再び「尿検査」をして確認をする、という方針になりました。

さて、主人の方は、脈拍数が多い傾向があるので、いつも心臓への負担が指摘されます。2月の「巡回医師団による健康相談」でもその点を指摘されました。ヴァータ系は心臓注意ですね。

実は、ジュガディーシュ先生もヴァータ系でやせ形です。主人と近い体型・体質なので、問題の起きやすい傾向がよくわかるようです。

実際、6年前にヨーロッパ出張中のセミナー中に、心臓で倒れたことがあります。その時は、アーユルヴェーダの方法論に従い、1年掛けてご自分で回復されました。今は絶好調、前よりエネルギッシュです。

主治医というのは、自分と近い体型・体質のひとが有利のようです。そうでないと、お互いのことが、よく分からないのでないでしょうか。検査データばかりでは、わからないことの方が多いと思います。

主人の方は、今回も真珠や鉱物が入っている錠剤が2種類出ました。そして、「PCの前を離れる時間を取るように!」とのアドバイスでした。

アーユルヴェーダの先生は、検査のデータを元に、その人の生活全般、食生活や日常の過ごし方などに関してアドバイスをします。 ですから、処方されたお薬を飲むだけではなく、先生のアドバイスに出来るだけ添うような努力が要請されるわけです。


● 銅製品ブーム

インドでは、「銅の容器に水を入れて飲むと身体によい、特に心臓に良い!」とよく言われます。

これにはもっと深い話しがあり、銅製品に入れた水を一晩外に出し月光に晒す。翌朝その水を飲む。それが、たいへん心臓に良い!と言います。

最近心臓病が増えているのは、その習慣が無くなったからだ、と。

アーユルヴェーダの先生からも、度々この話しを聞いていましたし、自然療法でも銅製品を推奨します。それで、3月の日本の方の「自然療法」研修プログラムの一環で、プネーの銅製品のお店に立ち寄ることにしました。

最近、インドでは銅製品のリバイバル・ブームのようですね。銅製品を良く見かけるのです。主に銅の水差しや銅のカップです。

さて、訪ねたお店はプネーの旧市街地の職人街の一角にある
小さな銅の製造販売店です。まず、5リットルくらい水が入る大きい容器がありました。

わたしはもう少し小さい容器が欲しいと言うと、2リットルくらいの
容器は今、製造途中で、来週完成するとのことでした。他にもいろいろな形の銅製の容器があり、興味を引いたのは大きいお湯を沸かす道具?などで、その可愛いミニチュアも飾ってありました。

銅製品は、実用ものとしても、部屋のインテリアとしても、 なかなかですね。とりあえず、わたしは小さな銅カップを買いました。後日、2リットルの容器を入手しました。700グラムで350ルピー(約700円)でした。値段は銅の重さで決まります。

他の日本の方も小さいカップを買われましたが、ひとりの方は少し考えられて、大きい5リットルの容器を買って、日本へ持ち帰られました。

早速、わが家では、一晩銅のカップに入れた水を、朝一番に飲んでいます。

日本でも、銅製品のリバイバル・ブームにならないでしょうか?


5)4月は北インドへ研究旅行

4月に入って、プネーの気温は38度・39度と上がってきました。 今年は40度を超える日が、プネーでは何日あるでしょうか?


やはり、気温が体温を超えると、チョットきついですね。コンピューターも動きがおかしくなり、気温が上がったのが分かります。
コンユーターは正直ですね。

わたしのPCは午後3時は以降使えなくなってしまいました。下に冷却ファンを置いたり、「アイスノン」(冷却ジェル)を置いて
冷やしているのですが・・・

メイン・コンピューターは何とか動いていますので、大丈夫です。

4月はプネーの暑さから逃れるということもあり、今年は北インドに行こうと思います。リシケーシュの「ダヤーナンダ・アシュラム」に滞在する予定です。コースはありませんが、自主研究を続けます。

来月は北インドのレポートを書きます。
では、日本の満開の桜や、木々や木の芽の彩りをお楽しみ下さいませ。


(「プネーの近況2009年4月」に続く)

相方ひでこ
H&H

 

 

 

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