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2012年5月13日日曜日

バンコクの近況2012(2)

3)タイのヒンドゥー遺跡(パノムルン歴史公園)
4)スリンでワークショップ

Sawadee kha !
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
『 バンコクの近況2012(1)』の続きです。

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3)タイのヒンドゥー遺跡(パノムルン歴史公園)

5月3日(木)-9日(水)、東北タイのスリンへ出張がありました。バンコクから車で6時間、隣国のカンボジアと接している県です。

その週末はタイも3連休なので、スリンで3日間のヨーガのワークショップの予定が入ったのです。しかし、私たちがスリンに出かけた動機は、久しぶりの地方でのヨーガのプロモーションの仕事もありますが、むしろ、その地区に点在している中世クメール時代のアンコール遺跡を訪ねることの方が大きかったですね。

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今はタイ国内ですが、9-13世紀頃は、シーサケット、スリン、ブーリラム、ナコーン・ラーチャシーマーの一帯は、シェムリアップに首都があったクメール帝国の周辺国であったところです。

昨年12月にはナコーン・ラーチャシーマーのピーマイにある「ピーマイ歴史公園」を訪ねました。11ー12世紀にヒンドゥー寺院として造営され、後にクメール最盛期の仏教王(菩薩王)であった13世紀のジャヤバルマン7世によって大乗仏教寺院に改修された遺跡があります。

13世紀にアンコール・トムの都城を築いたジャヤバルマン7世は、世界で一番多くの石を動かした王、と言われています。私たちが現在アンコール遺跡として目にしている遺跡群は、ジャヤバルマン7世時代のものです。それ以降、クメール帝国は衰退、大規模な石造建築は行われていないのです。

「ピーマイ歴史公園」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%A4%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%AC%E5%9C%92

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今回訪ねたのは、スリンの隣のブーリラムにある「パノムルン歴史公園」と、その近くのムアンタム遺跡でした。どちらも11-12世紀のアンコール時代のシヴァ寺院で、特にパノムルンは丘の上の本格的なクメール遺跡で、驚きました。

「パノムルン歴史公園」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%8E%E3%83%A0%E3%83%AB%E3%83%B3%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%85%AC%E5%9C%92

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Picasaにフォトアルバムが作成してあります。
https://picasaweb.google.com/103061544163066016927/2012SIAMSurinPhnomrung?authkey=Gv1sRgCID40O3x0NbCvwE

実は、昨年12月に「アンコール編2011」の企画があったのです。2部構成で、第1部は東京の旅行代理店から依頼されたプログラムで、「ワンサニット・アシュラム」で4泊5日の合宿セミナーの後、カンボジアに移動して2泊3日で世界遺産のアンコール遺跡探訪。第2部は、グループの帰国後に私たちはシュムリアップに留まり、日本から来られる少人数の方たちとアンコール探訪を続ける、というものでした。

しかし、「アンコール編2011」は昨年10月・11月の「バンコク大洪水」の余波で延期。企画自体はたいへん面白いので、今年5月の連休後に実施、という予定だったのですが、これも再延期となっていたのです。

じゃあ、また自分たちだけで、またタイ領内のヒンドゥーの遺跡を訪ねようか、と考えていたところに、タイミング良くスリンでの仕事の話が来たのです。

昨年12月に「アンコール編2011」が延期になったときには、自分たちでナコーン・ラチャシーマーのピーマイ遺跡(ヴィマヤナガラ)を訪ねました。ピーマイの町の中心に歴史公園として整備してあって、アクセスは問題なかったです。

ふつうのタイの田舎町のど真ん中に中世のヒンドゥー/大乗仏教空間が出現している、という異質なコンビネーションがピーマイの面白いところです。突然、現在から中世の異次元空間に迷い込む幻惑観があります。

一方、パノムルン遺跡の方は、アクセスに問題があります。近くの町から離れた山の上にあるのです。出張セミナーのあったスリンの町からは60キロくらい(車で1時間弱)離れており、さて、交通手段が問題でした。

しかし、上手く行くときは上手く行くもので、幸運にも、スリンでのプログラムの主催者のメーオ(ブンラード・ニヨントン)さんの地元の友達で、カンボジア国境地帯の子供の教育支援のNGOを運営されているレックさん(男性)が、パノムルンまで車を出してくれることになりました。


さて、5月5日(土)ー7日(月)で3日間のセミナーをやった後、8日(火)の午前中にパノムルンに出かけたのです。

タイは地方に行っても道路網が良く整備されています。それで、みんな平気で時速100キロー120キロで車を飛ばします。道は広いのですが、ちょっと、こわいですね。

スリンの町からカンボジアの国境まで40キロ、国境を越えたカンボジア側も最近ハイウエイが整備されて、アンコールの首都であったシェムリアップまで200キロ、2時間ほどです。スリンからシェムリアップまで車で日帰りも可能です。

中世には、ジャヤバルマン7世が整備した道路網(王道)がアンコールの地方都市を結んでいました。それぞれの王道はアンコール・トム都城の中心に建立されたバイヨン寺院(観世音菩薩がご本尊)が終点でした。

パノムルン遺跡はスリンの隣の県のブーリラムにあります。スリンの町から60キロほどです。パノムルン遺跡のある町に入ると、レックさんの車が一軒のお店の前で止まりました。レックさんが指を差して、「この奥の家が私の両親の家です、今は誰も住んでいませんが」と言われたので、驚きました。

なるほど、実は、遺跡のある町で生まれた人に案内してもらう巡り合わせになっていたのですね!!

パノムルンは小高い死火山の上にあります。遺跡のある頂上まで車道が整備されていて、駐車場やレストラン、お土産物屋さんがひしめいています。思ったより観光地でした。

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ちょうど雨季入りしたばかりなので、幸いお天気も曇り気味で、思っていたほど暑くもなく、よく整備された遺跡公園をゆっくり1時間ほどかけて見学することが出来ました。

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パノムルンは中規模の本格クメール遺跡でした。期待していた以上で、びっくりしました。これなら、山の上までわざわざ見学に来る価値ありますね。カンボジアのアンコールまで行かなくても、十分、タイ領内で中世のアンコール気分に浸れます。

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本堂はシヴァ寺院です。中心にシヴァ・リンガムが安置され、シヴァの乗り物のナンディの像も残っています。

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寺院内のそれぞれの浮き彫りのテーマは、マハーバーラタであったり、ラーマヤナであったり、プラーナのクリシュナ神話であったりします。当時の人々はこのような浮き彫りを見ながら、ヒンドゥーの神々の世界にこころを向けて、宇宙と神々と共に生きていたのでしょうか。

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一番印象に残ったのは、「Five Yogis」と書かれた浮き彫りです。シヴァ派のパシュパタ派の5人のヨーギーの坐像、と説明がありました。アンコールにはシヴァ派のヨーギーの集団が存在していた、という記録があります。このパノルムルン界隈にもヨーギーやサドゥーが住んでいて、ヨーガ修行をしていたのでしょう。ハタ・ヨーガも行われていたはずです。

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また、本堂の入り口の浮き彫りが「ヨーガ・ダクシュナムルティ」で、これも、驚きました。ダクシュナムルティの形を取ったシヴァです。現代インドではマイナーな神様ですが、アドヴァイタ・ヴェーダーンタの教師であり、言わば「学問の神・知識の神」です。私たちにも身近な「ダクシュナムルティ」さんと、タイ領内のクメール遺跡で対面することになり、不思議な驚きと感激がありました。

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強大なクメール帝国の基盤を築いた9世紀のインドラヴァルマン王はシャンカラ・チャーリア派の師(グル)からアドヴァイタ・ヴェーダーンタ(不二一元論)を学んだ学識の高い賢王であった、と伝わっています。

中世までの東南アジアには、いくつものヒンドゥー・大乗仏教王国が存在していました。カンボジアのクメール王国、南タイのドヴァーラヴァティー王国、ベトナムのチャンパ王国、インドネシアのシュリーヴィジャヤ王国などです。

今の「インド共和国」で「インド」を考えると、大きな錯覚を起すと思います。かってのインド世界は、現在のベトナムからインドネシアまで広がっていました。


さて、パンムルン遺跡は丘の上にありますが、近くのムアンタム遺跡の方は下の平地にあります。規模は小さいですが、よく整備され、遺跡の周りはきれいな公園となっています。タイの観光客の人たちも楽しんでいました。

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パノムルンは砂岩で造られていますが、ムアンタムの方は煉瓦造りでした。これも、シヴァ寺院ですが、東西南北の4つのお堂は残っていますが、肝心の中心の本堂が崩落しており、シヴァ・リンガムやナンディは見かけませんでした。

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13世紀頃まで、このあたりには有力なクメールの周辺国があったようです。その後、台頭して来たタイ族のスコータイ王国に押され、クメール王国は衰退して行きました。スコータイ王国はスリランカ伝来の上座部仏教を信奉したので、それ以降、タイは上座部仏教化し、クメール系のヒンドゥー・大乗仏教は消滅して行きました。


☆☆☆☆☆

からだをストレッチするだけでなく、こころのストレッチもヨーガのトレーニングです。

無限な宇宙に向かって開かれている中世ヒンドゥー世界の不思議空間にこころを遊ばせ、こころを異次元に同期させて行くことは、こころのバランス効果絶大のようです。

それで、今後、タイの「ワンサニット・アシュラム」でプログラムを組む場合、タイ領内の「ピーマイ&パノムルン」のアンコール遺跡探訪も組み合わせようと、という計画を立てています。

タイにあるアンコール遺跡の不思議空間に浸るのは、こころのストレッチ効果への条件満載ですね。バンコクから1泊2日で組むことが出来ます。
今年は11月に「ワンサニット秋合宿2012」を予定していますので、早速、それに組み合わせて見ようと思います。

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「ワンサニット秋合宿2012+タイ領内のクメール遺跡探訪」
日程:2012年10月28日(日)-11月3日(土)
定員:6名以上でプログラム成立
対象:ヨーガの初心者からベテラン・指導層まで
内容:ワンサニット5泊6日+クメール遺跡1泊2日
目的:伝統的ヨーガの理論と技術/歴史的背景への洞察深化
施設:アウトドアー派のエコロジー実験施設(冷房・温水シャワー無)
食事:タイ料理式ベジタリアン
費用:実費分担+ドネーション

「ワンサニット秋合宿2012+」に興味のある方は、どうぞ、ご連絡下さい。


4)スリンでワークショップ

さて、スリンでは、私たちの古い友人のメーオさん(Boonlerd Niyomthongさん)の主催で3日間のヨーガ+自然療法のセミナーがありました。

メーオさんは、筋金入りの国際派ベテラン・ソシアルワーカーで、自由を愛するひとです。タマサート大学卒業後、1980年代のカンボジア難民キャンプ時代からNGO活動に参加。

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タイ人ですが、中味はクメール系で、クメール語が母語です。スリンなどの国境地帯にはクメール系の人たちの人口が多いのです。

メーオさんはイギリス留学歴もあり、タイ語・クメール語・英語が堪能です。長年プノンペンでも活動して来られ、今でも、プノンペンに本部のあるカンボジアの仏教系のNGOの活動にも参加されています。

メーオさんと知り合ったのは、最初に私たちをタイに招聘した故スパポーン・ポンプリックさんのNGO仲間であったことが切っ掛けです。ソシアル・ワーカーはハードな仕事なので、一定の年齢になると健康問題が出て来ます。メーオさんも2005年頃から、ヨーガや自然療法、ヴィパッサナーに関心が深くなり、インド人の自然療法医を招聘してタイやカンボジアに自然療法を紹介するワークショップを企画する活動を始めました。

2007-8年にはインドを訪ね、ケララの自然療法センターに長期滞在、またロナウラのカイヴァリヤダーマ研究所で6週間コース(CCY)を受講されています。

また、インドのゴーエンカ先生系のVipassanaも熱心に続けられ、英語が堪能なのでタイのセンターでボランティアー・スタッフの「ダンマ・ワーカー」の仕事をよくされています。タイのセンターで日本人の参加者がいる時に、メーオさんにお世話を頼むこともあります。

昨年からメーオさんはスリン郊外の実家のある村に、自宅兼コミュニティー・センターの建築を始めているところです。今後は自分の出身地の村をベースとした活動もしたい、ということで、自然療法やヨーガのプロモーション活動を試みているところです。

 
バンコクは連日40度を越える猛暑でしたが、すでにスリンでは雨季到来、夜中に雨が降ったりと、バンコクよりは涼しかったです。バンコクから夜行の寝台列車でスリンに行きましたが、バンコクのファランポーン駅を出発したのが午後9時過ぎ、スリンに着いたのが翌朝8時頃、およそ11時間の列車の旅でした(高速バスなら6時間なのですが)。

メーオさんの村は、スリン市内から車で20分ほど行ったところで、それはそれは閑静な南国ヴィレッジでした。メーオさんは11人兄弟の末っ子、周りの家はほとんどメーオさんの親族の家です。お父さんはシェムリアップのトンレサープ湖で取れる魚をスリンに卸す仕事をされていたそうです。

私達が泊まったメーオさんの家にもニワトリ、アヒルが走り回り、犬も5匹くらいが遊びに来て、木のそばの地面を掘って昼寝をしたりしていました。
近くには牛小屋もあり、お姉さん達が交代で牛を外に連れ出したり、夕方連れ戻したりと世話をしていました。最近は水牛が減って牛が増えているそうです。水牛は農耕に使われていましたが、いまは農業は機械化、代わりに肉牛の飼育が盛んなようです。
 

参加者の人たちは延べ7名、全員女性でした。スリン市内や隣のブーリラムの人たちで、年齢は20代から50代、ヨーガが始めての人、CDで練習したことのある人、テレビや雑誌でヨーガのことを見たり聞いたりしたことがある人、という面々でした。

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さすがに、スリンにはまだヨーガ・スタジオはありませんが、公共の健康ウエルネス・プログラムで、ヨーガのようなストレッチ体操を経験したことがある人もいました。

他、自然療法の料理を作るメーオさんの友だちスタッフが2名、またメーオさんのオランダ人の友人でチェンライに住んで英語を教えているモニカさん、そして、私たちの友だちで、バンコク在住の日本人のM.I.さん(女性)が会社の連休を利用してこのセミナーに参加されました。

日中は日が照ると家の中がとても暑くなるので、昼間は庭の木の下にマットを敷いて講義や実習をしました。呑気なプログラムでした。

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最初タイに来た頃は、このような田舎でのプログラムもよくやったのです。
「Promotion of Yoga in Asian Countries(アジア諸国でのヨーガのプロモーション活動)」というのが、当初の私たちの活動主旨でした。

ここ10年くらいはバンコクの大学でのコースに集中していたので、私たちにとっては、久々の南国の田舎でのヨーガ・セミナーとなり、大いに楽しかったです。

バンコクの都会の人たちと比べて、身体は健康で頑強な人たちですが、やはりそれなりの健康問題はあるので、健康のためのヨーガや自分で工夫できる自然療法への関心が高まっているのは間違いないですね。

最近は、地方へのヨーガのプロモーション活動は、うちが所属するMCB財団の仕事として、うちのタイ・スタッフが担当しています。地方の公立病院との1年間契約での仕事などがあります。

今回は、長年の友人のメーオさんの個人的な依頼であり、私たちも国境近くのクメール遺跡を訪ねたい、という希望があったので、みんなにプラスになった楽しいプログラムになりました。

上手く行くときは、なぜか、上手く行くようです。

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(この項続く)


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



2012年5月3日木曜日

バンコクの近況2012(1)

1)タイのお葬式に出席
2)タイの新年ソンクラーン

Sawadee kha!
皆さんいかがお過ごしでしょうか?

日本は桜の季節から、新緑の季節へと移っている頃でしょうか?
皆さんの大型連休を有効に活用されて下さい。

こちらバンコクは、例年の夏よりも暑さが厳しく、連日の猛暑が続いています。バンコク都内は最高気温が40度を越えています。最低気温が30度前後から、下がらないのがキツイですね。

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インドのプネーも4月の気温は40度以上に上がりますが、最低は20度まで下がるので、助かります。この時期プネーのフラットのテラスで寝ると、夜は冷たい風が吹き、天然のクーラーとなり、かなり快適に寝ることが出来ます!

バンコクでは、住民のみなさんは、夜はクーラーの良く効いたショッピング・センターに集まります。夕涼みですね(笑)。40度近くの猛暑になると、バンコク名物の、ビルや乗り物の中の極冷えクーラーが、それほど冷たく感じません。

私たちのバンコクでの住居は、タイ・ヨーガ研究所(TYI)のオフィスの2階で、午前中はエアコンをつけずに何とか過ごし、午後からエアコンを使う、というポリシーにしています。

昼間の設定温度は28度、夜は30度にしていますが、こんな高めの設定は、私たち日本人だけのようです。(ふつうのタイの人たちはもっと低めで、ガンガン冷やしていますね!)

1階のオフィスにはエアコンはないので、スタッフの3人の女の子たちも、さすがにふうふう言っています。ヨーガ・ピープルはナチュラル派なので、エアコン嫌いが大勢ですが、この時期エアコンなしで1日中オフィス仕事はキビシイですね。勤務時間が終わるとすぐ帰宅しています。

私たち日本人では、エアコンが無いと3日でダウンするでしょう!(笑)
でも、1週目・2週目と過ぎて行くと、からだは徐々にバンコクの暑さにの順応して来るのを感じます!

インドのプネーから下旬にバンコクに移ってから、H2は東京へ一時帰国、H1は今年もカトマンドゥーにフィールドワークに出かけたりと、別行動がありましたが、4月・5月のバンコクの近況報告をお伝えします。


1)タイのお葬式に出席

先月、タイのお寺のタイ式のお葬式に参列しました。

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うちのオフィスのディレクターのカヴィー氏の義理のお兄さんが、腰の痛みで病院へ行ったところ、すでに全身に転移した末期のガンと判明。即マヒドン大学の大学病院に入院、余命3週間と言われていましたが、腎臓の機能不全で入院の翌日に急逝されたのです。

カヴィー氏が言うに、義理のお兄さんは(享年68歳)は、からだは丈夫な方で、特に病歴もなかったのですが、甘い物好きで、好きな食べ物食べ放題で、あまりからだや健康のことには関心を持っていなかった人、だったようです。

しかし、一族の中では頼られていた人物で(カヴィー家の長女の旦那さん)、早くに父親が無くなったので長男として他の兄弟姉妹を父親代わりに面倒を見た苦労人で、それもあってクリスチャンに改宗していた、という経緯もあったそうです。

カヴィー氏のお父さんの認知症(痴呆)が進行して、暴力的になった頃は、主にその義兄がお父さんなだめ役として、話を聞きに来て呉れていたようです。

その義兄さんがガンで入院した話を聞いた次の日に、急に亡くなった、と聞いて、私たちも驚きました。

それまで普通の生活をしていたのに、ガンと診断されて、見る見るうちに生気が無くなって行ったようです。国立大学の大学病院なので、余分な延命治療はしないので、アッと言う間の人生の終焉でした。

実は、その義兄の奥さん、つまりカヴィー氏の姉さんも最近認知症の傾向があり、身の回りの事態の急変が理解できていなかったようですね(子供さんたち、つまりカヴィー氏の甥姪が認知症を疑い、病院に診断に連れて行こうとして、本人がはげしく抵抗していた段階です)。

カヴィー氏のお父さんは数年間に亡くなりましたが、晩年認知症。実は、お母さんも認知症、ここ12年くらいで段階的に症状が進行して、今は寝たきりの植物人間状態です。

最初の数年は暴力的な傾向が出て、家族が持て余しました。末っ子のカヴィー氏は結婚しても両親の家に同居していたのですが、お母さんの認知症による人格崩壊で家を出て独立した、という経緯です。

ここ数年はからだの運動機能も失われて行き、今は胃ろうの処置もされていて、介護人が24時間付きっ切りです。1日2回、流動食を直接胃に流し込んでいます。もう家族の記憶も消えており、最初の子供である長女の顔にだけ、少し反応するようです。

介護人はラオス人の人です。タイ人では、もう家政婦をしたり、高齢者の介護人をする人がみつからない、と言います。その層は、周辺国のラオスやミャンマーからの出稼ぎの人たちが担っています。

昨年11月までスクンヴィット通りにある自宅で介護されていましたが(娘の家族が同居)、昨年のバンコク大洪水騒動で、万が一浸水被害があると対応困難ということで、ラームカンヘーン通りのカヴィー氏の家に引き取られ、今はそのままカヴィー氏宅で面倒を見ています。

バンコクの華僑系の人にも、認知症は多いです。カヴィー氏の場合、両親は大陸から移民して来て、バンコクでそれなりの財をなした第1世代です。異国のタイで過酷で勤勉な生活を送った世代は、晩年認知症になるケースが多いようです。華僑系の人たちは大家族制ですので、お年寄りも家族で支えます。

しかし、タイも高齢社会化が進んでいます。次世代は少子化です。カヴィー氏も7人兄弟姉妹ですが、本人は結婚はしていても子供なしです。私たちの回りのタイ組は、高学歴子供なしが大半です。社会の高齢化問題はどこも共通ですね。タイも高齢者の介護問題を抱えて来ています。

さて、義兄さんはキリスト教に入信していましたが、お葬儀はふつうにお寺で、仏式でやってくれ、という遺志でした。義兄さん以外は皆仏教徒ですから(東南アジアの華僑系でキリスト教徒、という人たちは良くいますね)。

さて、ふつうのタイのお葬式は、病院や自宅から遺体をお寺に運び、通夜から葬儀、火葬まで、お寺で執り行われます。葬儀の期間は3日・5日・7日の日程で選ばれます。これは、故人の社会的地位や経済力で決まります。だいたい庶民の場合は5日間前後ですが、VIPの場合は3ヶ月も続くこともあります。

ちなみに、王族方の場合は1年間、国家行事としての盛大な葬儀となります。近年では、2008年12月と先月に王族方の葬儀が王宮広場で執り行われました。1年に及ぶ殯(もがり)の期間の後、古式ゆかしく特設の豪華な櫓で火葬が行われます。故人を天界に送る、という荘厳な儀式で、タイの伝統文化イベントとも言える行事です。

王族方の火葬の櫓はヒマラヤのカイラーシャ山(メルー山・須弥山)を模したもので、アユタヤ時代の有力な王の葬儀の時には、100メートルを越える高さの櫓が組まれた、という記録があります。

The Royal Pyre as Mount Meru


さて、お葬式の知らせを受けると、故人に縁の会った人はお寺での葬儀期間中に一度夕方お寺に行き、夕方1時間の読経に参加するのがタイ式です。家族に香典を渡しておくやみを述べて、ご家族と一緒に僧侶によるパーリ語の読経を拝聴します。

つまり、お寺での葬儀の期間中に、都合の良い日に一度顔を出せば義理は果たせる、というシステムです。

親族や特に縁の近い人たちは、最終日の火葬にも参列して、火葬の儀式に参加します。タイでは火葬場はお寺の中にあります。建物のデザインはやはりカイラーシュ山(須弥山)をモデルにしたものです。王族方の火葬場のミニチュア版ですね。

火葬の参列者は薄く削った木で作った造花をお棺に添えます。これは、むかしは親戚や近所の人たちが故人を火葬する薪を持ち寄った習わしに従うものです。今は紙のように薄く削った木で作った造花が薪の代わりになっています。仏教的なのですが、タイ的に成熟している文化です。

私たちも1日、スクンヴィット通りのエカマイにあるお寺に夕方、カヴィー夫妻と一緒に出かけました。一等地にある大きなお寺で、アクセスも便利なため、葬儀寺として有名なお寺だそうです。

お寺に入ると、敷地内では幾つもの葬儀も平行して行われていました。葬儀会場は20くらいあるようです。何とペットの葬儀場もありました!(それも、日本語で案内が出ていました、需要があるのですね!)。

義理のお兄さんの葬儀場(エアコンのよく効いたホール)に入り、奥さんや(カヴィー氏のお姉さん)や息子さんたちにご挨拶をして、棺が安置されている祭壇へ行き、手を合わせてお参りをします。それから会場の椅子に座って待って、お坊様が来られるのを待ちます。特に、焼香に相当するような儀礼はなかったです。

一応、服装は白か黒です。特に、フォーマルな喪服というルールはないですが、下が黒のズボンかスカート、上が白のシャツやブラウスであれば失礼にはならないようです。

そのうち、三々五々人々がやって来て、同じように遺族に挨拶し、祭壇の棺にお参りして、椅子に座っておしゃべりをしていました。その日は日曜日だったので、参列者も多かったようです。

午後7時から読経が始まります。お坊様方が4人入場、パーリ語のお経が始まりました。お坊様は最低4名がしきたりのようです。タイのお寺はお坊様がたくさん住んでおられますので、数に不自由はないですね。お坊様は数が揃えば良いようで、毎日違うメンバーだそうです。

読経は20分くらいで終わりました。その間、みんな合掌して聴きます。合掌はしますが、こちらでは数珠というものはありません。親族は前のソファー席で、私たちはふつうの椅子です。

その日の読経が終わると、お坊様方は早々に引き上げられます。そして、参列者には食事が振舞われます。シンプルですが、洗練された味の汁麺の容器が回されて来ました。別に精進ではなく肉も入っていました(私たちは肉は避けますが)。

午後8時にはすべて終わりました。予想していたより、あっさりでした。出された食事もあっさりでした。大都会のバンコクでは、葬儀も都市化・合理化・簡略化されて来ています。地方では、もっとハデで大がかりなようですが。

外に出ると、同じ境内の別な葬儀も終わっていて、人の流れや車で混雑状態でした(スクンヴィット通りに面して、大きな駐車場が境内に確保してあります)。

義理のお兄さんの葬儀は5日間コースでした。私たちは3日目の夜に行ったことになります。ガンと診断され、その前の週の水曜日に入院、翌日木曜日に急死、金曜日からこのお寺で5日間の葬儀、翌火曜日に火葬でした。

遺灰の扱いはいろいろのようです。チャオプラヤー河に流す場所があり、そこで海に向かって流すのが一般的だそうです。また、あるお寺と縁がある場合、そのお寺の納骨堂に納めて貰うこともあるようです。

お墓はありません。タイの仏教には先祖供養という習慣はありませんので、お寺に納骨しても、お墓の管理や法事ごとで遺族がお寺に縛られる、ということもないです。そもそもお寺自体が出家者の修行の場ですから、お坊様は自分の修行のために一時的にそのお寺に所属しているだけ、というのが仏教の原点です。

他の国の葬儀に参列してみるのは、とても貴重な文化体験ですね。インドのヒンドゥー教の場合、日本とはまったく異なる宗教文化であり、別世界なのですが、東南アジアのタイですと、日本と同じ仏教の伝統なので、同じところもあり、違うところもある、という発見があり、とても勉強になります。

上座部系のタイ仏教は、パーリ語の教典に残されているブッダの言葉に従った仏教的伝統ですので、「生・老・病・死」という人生の真実が全面に出ます。また、完全に自力本願ですので、自分の努力だけが、自分を苦悩から救う、と考えます。

タイの仏教は、同じ仏教でも、日本の気候風土で最適化されて来た日本的大乗仏教とは、かなり異なったものです。近年、日本でも上座部仏教への関心が高まっているのも当然と思います。日本仏教の現状から見ると、いろいろ新鮮な発見や驚きがあるでしょう。

実は、私たちもタイでお葬式に出たのは、今回が初めてのことでした。良い経験をさせて貰いました。いろいろな発見があり、考えることも多くありました。

先日、日本の宮内庁から、天皇陛下が火葬での簡略な葬儀を望んでおられる、という発表がありましたが、実はタイでは王族方の葬儀は、国家行事としてのタイ文化の発揚の機会でもあり、膨大な国家予算も使われますが、それが伝統文化の保護・振興にもなっています。

2008年12月に王族方の葬儀があったときは、ちょうどタイは政治紛争の真っ最中で、空港占拠・閉鎖までエスカレートした時期でした。しかし、葬儀期間中は、政治的に争う両陣営もぴたりと休戦、国を挙げて葬儀にこころを向ける、という一体感があり、タイの伝統が持つ「文化力」に大いに感心した次第です。そして、王室の葬儀が終わると、また政治的なデモ行動を再開。

現世的な政治経済での利害対立より、仏教の宗教性や伝統文化は高い次元にあり、それが社会全体の統合を保つ、というモデル・ケースに立ち会ったわけです。ある意味、タイの人たちのこころの豊かさを見たような気がしました。

何でも簡略化・合理化というのは、確かに便利かも知れませんが、いつの間にか、こころを貧しくするようにも思えます。

他の国の文化への見聞を広める機会を持つことは、これから、ますます大切になると思えるのです。

わたしたちのタイでの「仕事期間」中に、どうぞ、タイに来られることを歓迎いたします。いろいろとアレンジも出来ます。

特に、アジアの仏教文化に興味のある方には、タイには豊富なリソースがあります。ヨーガについて考えるにも、タイは最適な環境です。


2)タイの新年ソンクラーン

昨年に続いて、今年も4月にタイに居ることになりましたので、今年もタイの新年に当たる4月13日(金)~15(日)のソンクラーンをバンコクで過ごすことになってしまいました!

通称「水掛け祭り」で、外に出て、お互いにハデに、手桶やバケツや水鉄砲やホースで水を掛け合います。ソンクラーンの3日間は、バンコクも、ちょっとした水掛け合戦の「戦闘状態」に入ります。キケンな3日間なのです!

この時期を新しい年の始まりとする考え方は、太陽の動きで決まっているもので、インド起源です。現代インドではもっぱら他の時期を新年として、4月新年はあまり聞きませんが、ネパールではこの時期が新年です。

また、タイだけでなく、お隣のカンボジアもこの時期が新年です。かってインド文明の一部であった東南アジアで、どれだけこの時期を新年とする慣習が残っているのか、また調べてみます。

タイのソンクラーンは、インド起源ですがタイの文化として発展・定着しています。たぶん、ふつうのタイの人たちは、ソンクラーンの

起源がインドとは知らないと思います。酷暑の時期なので、タイではお互い水を掛けて遊ぶ、という側面が強調されて来たようですね。

伝統的には、この時期は、目上のひとを訪ねて、手に水を掛けて、尊敬と感謝の思いを伝える、という、厳かな行事を執り行う時期です。

私たちも、ソンクラーンの時期にタイに居る場合は、道で水知らすの若い子に水をざぶりと掛けられるだけでなく、大学のヨーガ・コースの修了生が訪ねて来て、厳かに手に水を掛ける儀式をして呉れたりします。

今年は4月13日(金)の午前中に、昨年のシュリナカリン・ヴィロード大学(SWU)の人文学部でのコースの生徒さんで、1月にスタディー・ツアーでロナウラにも来られたパエさん(税関職員)がオフィスにやって来て、手に水を掛けてくれました!

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こちらは伝統の形式に従って、ボールを下に置き、その上で合掌した私の手の上にジャスミンの花輪を掛け、花びらを浮かせたお水を掛けます。


ソンクラーンのお祭りは、タイの旧正月・新年であって、おめでたい行事なのですが、インドの「ホーリー祭」同様、私たちにとってはちょっと危険な日です。

昨年4月は、もう大丈夫と思って最終日に外出をして、ざぶりと水を掛けられましたので、今年は特に慎重に行動をとりました。

うちのオフィスのあるソイ(小道)から大通りのラームカムヘーン通りに出る右側コーナーでは、ドラム缶や、ホースをもって常時10人くらいの若い子たちが待機していて、3日間、車や人が通る度にじゃぶじゃぶ水を掛けていました。

反対の左側も、少し行ったバス停のところで、若い子たちが5~6人水を用意して戦陣を張っています。その先の「セブン・イレブン」や屋台のお店には近づけません。

中日の14日(土)は、夕方6時過ぎに外に出て、若いソンクラーン戦士の目を盗んで、手前のガソリンスタンドの奥にあるロータスの小型スーパーに滑り込むことができました。

15日(日)の最終日も、やはり6時過ぎにオフィスを出て、水掛軍団を距離を取りながら素早く歩道橋を渡りバス停到達、運良くすぐにバス(エアコン無しのバスなので窓が開いています)に乗れました。

しかし、このバスの中が大変でした!!

バスも外から水攻撃を受けます。バスの中には、それに応戦するための大型バケツと、応戦要員が2名乗り込んでいます。

バスの床はもちろん水でびしょ濡れ、あちこち歩道で待ち受けている水掛け軍団から容赦ない水攻撃。開いている窓やドアから水がざぶりと入って来ます。そして、それにバスの中からも応戦。

私たちも素人ではないので、窓が閉めてある座席に座り、キケンなコーナーが近付いて来たのを察知すると、さっと身をかがめ、水を避けます。目的地の「モール」まで5分くらいの乗車なので、何とか水をかぶらずに乗り切りました。


しかし、何でこんなことになるのでしょうね??どうも、本来の意味からかけ離れて、単なる馬鹿騒ぎの無礼講ということになっているようですが・・・

本来の「ソンクラーン」は、家族が一堂に集まって、仏像のお清めをしたり、年長者を敬う期間だったようです。

私たちのタイでの仕事が始まった頃(1998年)、有名な高僧のおられるお寺に連れて行かれ、みなさんと一緒に、そのお坊様の手に水を掛ける儀式に参加したことがあります。

当時は何をしているかも、そのお坊様が誰かも、よく知りませんでしたが、後でいろいろタイの文化が解ってきました。

まあ、何とか今年も無事にソンクラーンを乗り切ることが出来ました。猛暑はまだまだ続いていますが!



(この項続く)

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


2011年10月14日金曜日

バンコクの近況2011(2)

1)今年はオフィスから運河ボートで通勤  
2)南タイのソンクラーでニダーさんと再会!
3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファームへ
4)SWUコースのクリヤー・キャンプ
5)ミャンマーの休日

相方ひでこ
 
 
☆☆☆☆☆

Sawasdee kha !  皆さん、こんにちは。
バンコクの近況2011・8月9月編です。

Picasa上に「バンコクの近況2011」のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011BKK


今年のバンコクの「仕事期間」も前半が終わり、後半に向かうところです。これから、日本の方との合宿セミナーが3つあります。

8月・9月にも、日本から4名の方がバンコクに見えられ、楽しく、有意義な経験をされて行きました。その様子は、「アジアの精神性とヨーガ2011」のシリーズで掲載されています

 
日本のみなさんが、より広い世界に行動範囲を広げられ、異なる国の文化や人々について知る努力をされることへの支援も、
私たちの仕事期間中の活動です。


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1)今年はオフィスから運河ボートで通勤

8月に続き9月も、日本は台風の接近・上陸で、被害を受けた所が多く出たようですが、みなさんの所は、無事に台風をやり過ごすことが出来ましたでしょうか。

台風の影響を受けられた方々には、心よりお見舞いを申し上げます。

台風が去った後は、一気に秋の気配が深まりますね!

毎日見ているiGoogle(ニュース)の気温のところで、東京の表示が今までずーと30度代だったのが、22度となっていたので、「アレ!何かの間違いかな??」と、しばし疑いの目で見ていました(笑)。

7・8月そして9月のお天気欄は、バンコクとプネーには曇りと傘マークばかりで、東京は太陽のお天気マークばかりでした。気温の数字も、東京がインドやタイに勝っていました!

例年バンコクの仕事期間中、ある期間、私たちはSWUコースのために大学のキャンパス内のゲストルームに入りますが、今年はラームカムヘーン通りのタイ・ヨーガ研究所(TYI)のオフィスから通勤しています。

バンコクの西部、新空港寄りのラームカムヘーン通りは、交通渋滞でも悪名が高く、もしバスで通勤するとしたら、渋滞状況を考え早めにオフィスを出なければなりません。

ヨーガ副専攻の学部生のクラスに出るときは午前・午後ですが、夕方からの社会人対象のヨーガ講座・SWUコースのクラスは午後5時半から8時です。

バンコクの主要な通りは、学校が終わる午後4時を過ぎると渋滞モードです。しかし、幸いなことに、うちのオフィスのあるラームカンヘーン地区はバンコクを横断するセンセーブ運河を走る運河ボートが使えるので、今回はほとんど運河ボートで大学に通っています。

オフィスで1日の仕事をして、午後4時10分頃にオフィスの前で、通りを往復しているソンテーオ(乗り合い車)に乗り、
表通りのラームカムヘーン通りへ、そこからさらに歩いて最寄りのボート乗り場、ワット・クラン船着き場へ。

4時半頃に、バンコクの中心部へ向う運河ボートはガラガラです。乗っている人が少ないし、途中の船着き場での乗り降りも少ないので、100人は乗れる運河ボートは、ビュンビュンとスピードを上げ、モーターボート状態です!

その代りに、運河の水しぶきも激しくかかるので、帽子をかぶり、下を向いて水しぶきを浴びないようにして、インターシップでバンコクに来たロナウラの後輩のC.A.さんと一緒に3人で大学に
通いました。

センセーブ運河はスクンヴィット地区にあるSWUの真裏を通っており、裏門の目の前が船着き場です。

普通でしたら、運河ボートでの所要時間は25ー30分くらいですが、午後の時間帯は15分くらいで到着します。

人文学部は裏門から一番近いビルで、すぐ近くです。ビルの3階が哲学宗教学科で、ヨーガ研究室もその階にあります。ヨーガで使っている講義室は6階です。
 
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もしバスで大学まで行くとしたら、冷房車に乗れて快適ですが、3時頃にはオフィスを出ないと渋滞にかかり、クラスに間に合わなくなってしまいます。いつも触れていることですが、大都会バンコクの大問題は、移動手段のやり繰りです。

徒歩、車、タクシー、ソンテーウ、バス、ボート、地下鉄、高架鉄道、最近開通した空港鉄道など、あらゆる交通手段を行き先と時間帯に合わせて、上手く組み合わせるのがバンコク式ですね!



2)南タイのソンクラーで、ニダーさんと再会!

8月19日(金)-21日(日)の週末2泊3日で、南タイのハジャイにあるソンクラー大学(PSU)看護学部への出張がありました。

昨年は、日帰りで博士課程の学生さんへの講義だけだったので、主人が1人で行きましたが、今年は2泊3日で実習指導も組まれていたので、私も同行することになりました。また、バンコク・インターンシップ中だった後輩のC.A.さんも同行することになり、日本人3人組での南タイ紀行となりました。 
  

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ソンクラー大学でのプログラムについては、すでにC.A.さんのフィードバックでも掲載されています。
http://hhyoga.blogspot.com/2011/10/20113.html

ここでは、大学のプログラム以外の出来事についてお話します。


○ オフ時間の外出

8月20日(土)はフリー・タイムがあったので、ハジャイの隣の港町ソンクラーに出かけることになりました。

私たちの案内役をしてくれたのは、ソンクラー大学看護学部博士課程在籍中のタパラットさん(女性)です。

昨年11月から4ヶ月間、インドにフィールドワークに来られ、プネーのプナー大学に2ヶ月間滞在した後、ロナウラのカイヴァリヤダーマ研究所の1月・2月の6週間コース(CCY)を受講されました。

タパラットさんは30代後半、現在ハジャイから80キロ離れた町の病院勤務ですが、博士課程を修了したらソンクラー大学のスタッフになるか、ハジャイ市内の病院に転勤する予定です。 
 

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ソンクラー大学の看護学部では、ヨーガは重点研究課題として、博士課程の学生さんには、ヨーガをテーマとした研究が推奨されています。

それで、タパラットさんも「ヨーガとライフスタイル」をテーマに、ヨーガ実習者のライフ・スタイルがどのように変化したかを、文化人類学的な手法で研究されています。

さて、朝、大学のゲストハウスに迎えに来てくれた彼女の車で、まず、前日に電話で連絡をしておいた、旧友のニダーさん(女性)のソンクラーの家を訪問することになりました。
 
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○ ニダーさんについて

ニダーさん(ニダー・ティラクルさん)のことについて少しお話します。

私たちが、バンコクでヨーガ活動をするようになったのは
1998年からですが、ニダーさんは、その最初期の生徒さんであり、当時の私たちのバンコクでの滞在先の世話をして呉れていたひとです。

ニダーさんは、バンコク空港近くのチェンワッタナー通りで、
友人のゲイソンさん(女性)と小さい警備保障会社や、近くの教育大学の女子学生さんの女子寮・男子寮を運営されていました。

当時の私たちの活動は、シーロム通りにあるサンサエン・アルン財団
でのヨーガ・セミナーから始まったのですが、そのひとつにお2人が参加されたのです。

そして、翌年の1999年からは、私たちに女子寮の1部屋と、会社のオフィスの机を使わせて呉れることになったのです。

当時はニダーさんもゲイソンさんも、寮に自分の部屋を持って管理人として住んでいました。社長はゲイソンさんの方で、やはり南タイ出身、太っ腹な方でした。

ただ、ゲイソンさんも1997年のタイのバブル崩壊と通貨危機の時に、株で大損をされたようです。そのショックからか、からだにも不調感があったようで、日曜日には、よく地方の有名な気功治療師のところに通われていました。

一方、ニダーさんには持病の甲状腺問題があり、手術もされていて、定期的に検査で病院に通っていました。バブル崩壊で、タイも経済が冷え込んでいた時期です。

さて、不景気で暇になったこともあり、サンサエン・アルン財団でのヨーガ・セミナーには、もともと健康問題があった会社の経営者や、
失業中のビジネスマンといった人たちがヨーガに興味を持ち、よく参加されていたのです。

ニダーさんはヨーガが良く合ったようで、熱心に練習を続けた結果、見違えるように健康になられました。近所の人や友達の間で、
「最近ニダーさんはずいぶん健康そうだが、どうしたのか」と、噂になったようです。

それで、知り合いの紹介で、ラームカンヘーン大学で週2回ヨーガのクラスを持つことにもなり、時々、私たちもニダーさんのクラスに登場していました。


○ 「パンニャーナンダ・ラーム」でヨーガ・クラス

また、その頃から、ニダーさんはよくお寺に通っていました。チェンワタナー通りの先にあるパクレットという町にある、高僧の「パンニャーナンダ・ビク」のお寺が、ニダーさんの行く
お寺でした。 
 
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当時は、高僧パンニャーナンダ・ビクが、バンコク郊外の
ランジット地区に、新しい瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」を開くプロジェクトが始まった頃でした。
 
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そのお寺をご存知の方も多いと思います!「ワンサニット・アシュラム」での合宿セミナーがあるの時に
立ち寄るところです。高僧パンニャーナンダのもと、政府から認定された研修寺でもあり、いつも多くの研修グループで賑わっています。
 
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ニダーさんは、「ワット・パンニャーナンダラーム」のプログラムに
ヨーガを紹介することにも尽力されました。よく私たちも、「お坊様にもヨーガを指導してほしい」と頼まれて、一緒に週末にお寺に泊まり込みで出かけて行ったものです。

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その後、ニダーさんは土・日の週末にお寺に来る一般の人向けのヨーガ・クラスを定期的に続け、タイの瞑想寺でヨーガ・クラスを
併設という、新しいトレンドの走りとなりました。 

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○ ニダーさんの引退準備

さて、その後、2002年にゲイソンさんは肝臓ガンで亡くなられました。

1年くらい前から、体調がかなり悪そうで、毎日のように
タイ古式マッサージを受けておられましたが、私たちがインドに帰っていたときに「亡くなった」という知らせを受けました。

そのため、会社の事業も縮小、女子寮は手放すことになり、私たちの滞在部屋も翌年の2003年から、女子寮から
同じチェンワタナー通りの住宅地に買ってあったニダーさんとゲイソンさんの家に移りました。

長年の仕事パートナーを失ったこともあり、ニダーさんは
身辺整理と引退準備を始められました。よく、深く考え込んでいる姿を見かけたものです。会社や家や愛車の年代物のフォルクス・ワーゲンを人に譲ることを考え、身軽になり、お寺に入り晩年を過ごす準備を始められたのです。

2005年には家が売りに出されて、ちょうど買い手の目処が
付いた頃、現在TYIのオフィスになっているラームカンヘーン通りの家が購入されたので、2007年からは新オフィスが私たちのバンコクでの滞在先になりました。

事業を縮小した会社の方は、主にもう1人の同僚に任せ、
家や会社からほぼ自由の身になったニダーさんは、お寺で過ごす時間が多くなり、郷里のソンクラーにもよく帰るようになりました。

「ワット・パンニャーナンダラーム」だけでなく、南タイにある
有名な瞑想寺「スーワン・モッカ」にも長く滞在され、そこでもヨーガのクラスを担当されながら、仏道修行を深めて行かれました。

そして、私たちも新オフィスでの活動も軌道に乗って来ましたし、直接バンコクでニダーさん会う機会もなくなり、電話で年に1・2回話をするくらいになりました。

その後、7人兄弟の長女で独身であるニダーさんは、高齢になった郷里のお母さんの面倒を見ることになって、南タイのソンクラーに帰られました。

ニダーさんがソンクラーに帰った後も、ランジットの瞑想寺「ワット・パンニャーナンダラーム」のヨーガ・クラスは、うちのTYIのメンバーによって継続されています。


○ ソンクラーで再会

今回ハジャイの滞在中に、自由な時間が取れることになった
ので、それではと、ソンクラーのニダーさんに電話をして、ソンクラー大学に仕事で来ていることを伝え、ニダーさんの家を訪ねることにしたのです。

ハジャイからソンクラーまでは、30キロほどです。タパラットさんにニダーさんの家の住所を伝え、
車が広い通りから小道に入った時に、ニダーさんに電話をしました。

ニダーさんは「OK、まっすぐに!」と言うので、前方を見ていると、女性が立っているのが見えました?いやー、女性というか、頭を丸めたメイチー(尼さん)になっているニダーさんを見ました!! 
 
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久しぶりに会いましたが、やはりニダーさんは、メイチーに
なられましたか!

お母さんの家の近くのお寺でメイチーになられたそうです(メイチーとは、こちらの仏教で女性の仏道修行者のことです)。

昔、チェンワタナー通りの女子寮に部屋をもらっていた頃、「私も55歳になるから、徳を積んで準備をしなければ...」とニダーさんが言われていたことを、良く憶えています。

86歳になるお母さんは痴呆の症状が出て来て、24時間誰かの
付き添いが必要な状態です。本当は、ニダーさんは、余生はお寺で修行生活を送るつもりだったのですが、今はお母さんの介護があるので、家に居ながらお寺のような規則正しい生活を送っています。

健康状態はすこぶる良好で、もう定期検診で病院に行くことは
なくなったそうです。庭では健康野菜やフルーツを作り、ヨーガと瞑想で規則正しい生活のリズムを維持し、ダンマ(ブッダの教え)の道を歩かれているニダーさんを、人生の先輩として、とても誇らしく思いました。

ニダーさんは、ヨーガを切っ掛けとして、見事に人生のステップを先に進められたケースですね!
 
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○ タイの人たちの仏教的生き方

敬虔な仏教国のタイには、会社や仕事のことで一生懸命生きて
来ても、ある時期からは自分の生き方を振り返り、人生の後半は熱心にダンマ(ブッダの教え)の道を歩き始める、という人たちがいます。

私たちの周りのTYIのスタッフにも、40歳前後で会社を退職し、SWUでヨーガ・コースを受講し、ヨーガ指導を始めながらも、定期的に瞑想寺や瞑想センターに入り、だんだん瞑想をしている
時間が長くなって行く人が多いです。

つまり、ヨーガをステップとして、本来のタイ人らしい精神性の
世界に、無理なく進んで行くケースです。このような生き方は、タイの人たちの仏教的人生観によるものなのでしょうね....

タイ人と私たち日本人は、似ているところも多いのですが、
どこか根本的に違った発想や行動があり、それがとても興味深く、タイの人たちにヨーガを指導して行くことで、いつも良い影響を受けています。

と同時に、こちらで私たちのヨーガの活動が上手く行っているのも、タイの文化には、この様な仏教的精神性の基盤がしっかりと
社会に根付いているからだろうと思うのです。

このような、同じアジア人のタイの人たちの精神性の深さに
触れることは、日本でヨーガに興味のあるみなさんにも、とてもプラスな影響になると思われます。

どうぞ、ご都合の付く方はタイに来られて、こちらの瞑想センターで
瞑想体験を積まれたり、ワンサニット・アシュラムでのヨーガ合宿にご参加下さい。歓迎いたします。


☆☆☆☆☆


さて、ニダーさんの家を出た後は、ソンクラー市内を探訪、海岸のレストランで美味しい地元の魚料理をいただきました。
 
食事の後は、マーメイドという人形の像がある所まで、3人でぶらぶらと裸足で海岸を歩いて、海の風を楽しみました。
 
タイは、どこに行っても美味しい食べ物が豊富ですね! 
 
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3)SWUコースの生徒さんとクロコダイル・ファーム(ワニ園)へ行く

9月2週目の日曜日の11日に、今年度のSWUコースの受講生さんに 車でバンコクの南部、サムットプラカンにあるクロコダイル・ファーム (ワニ園)へ連れて行って貰いました。
http://www.youtube.com/watch?v=tG2kpcjkab0&feature=mfu_in_order&list=UL 
 

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○ バンコク名物のワニ園

 
朝7時半にオフィスに迎えに来てもらい、出発。
 
途中道を間違えたりしましたが、8時半には目的地に到着しました。 まだ人もまばらで、9時からの「ワニのショー」もまだ始まらず、 園内のワニや他の動物・鳥を見て歩くことにしました。

話には聞いていましたが、いるいる、池の回りに這いつくばって、 じっとして動かないワニがごまんと! 
 
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よく洪水の時期に、池の水があふれ、ワニが逃げ出し、 近所の家の風呂場にいるのを見つけられて、警察や係りの人が 呼び出される!と言うニュースを耳にしますが、 起こりそうなことだな、と納得しました。

どうも、ワニはお腹さえ満足していれば、 無害で、おとなしい性格なのではないでしょうか?

ワニのショーの時でも、ジーっとしているのを無理やり 水から引っ張り出して、開いているワニの口に手や顔を入れて 見ているお客さんとハラハラさせます。

また、ワニ使いのお兄さんが、ワニと闘っているような 大げさ演技で、お客さんの喜びそうなことをして見せます。 どう見ても、ワニは迷惑そうです。

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それにしても、「ワニの口は閉まらないのだ!」と、 解っていても、開いたワニの口の中に頭を顔を入れるのは、 あまり見たくなかったですね。

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ここでも、観光客の多くは中国人で、ワニ使いのお兄さんも 少し中国語を話して、大いに受けていました。

うちのオフィスの近所の中級ホテルでも、連日中国人観光客を 満載した観光バスが横付けしています。同じアジア人ですが、 違いは一目で分ります。

どうやら、タイの観光客の主力は、すでに中国人に移行して いますね。バンコク空港にも中国人が溢れ、中国の空港の ようですよ。
 
 
○受講生のぺイさん

さて、クロコダイル・ファームの見学の後は、チャオプラヤー河が タイ湾に流れ込む河口近くのシーサイド・レストランで、
海を眺めながらの昼食になりました。

バンコクのクロントーイ港の方から、貨物船が外国に向って 出て行くのを見ながら、タイ料理を楽しみました。

今日案内してくれたペイさん(女性)は、そのクロントーイ港の 税関に勤務されている税関職員さんです。40代前半で独身です。

今回のシーナカリンヴィロード大学のヨーガ・コースの受講には、 コース修了後に職場でヨーガ指導をする、という条件で、 職場からも全面的な支援を受けられています。

クラスのある日は早退が許され、早めに大学の講義室に
来られています。 ペイさんは、ややふっくらした体形で、性格円満、いつもニコニコされています。タイではよくあるキャラクターです。

クラスにバナナやお菓子を持って来て呉れて、 「アーチャン(先生)にあげます」と、やたらと気前がよいのです。 これも、タイではよくあることです。

英語でのコミュニケーションはいまいちなので、ワニ園への 誘いを受けた時も、もう一人英語が出来る人が付いてくれれば いいかな、と思ったのですが、性格が良いと、だいたいの コミュニケーションでも何とかなります。


○ 「ワット・アショーカラーム」へ

昼食後は、お寺に行くことになりました。 やっぱり、お寺に行くのか、と納得。
 
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クロコダイル・ファームから遠くないところ、同じくサムットプラカンに ある「ワット・アショーカラーム」というお寺でした。

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このお寺は紀元前3世紀頃のインドのマウリア帝国の アショーカ王の由来があるそうですが、詳しくは解りません。 
 
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ランジットの「ワット・パンニャーナンダラーム」のように、 近代的設備が整った新しい作りの研修・瞑想寺で、町中にある お葬式のためのふつうのお寺(ワット・タマダーと言います)とは 雰囲気が違います。

私たちのよく知っている「ワット・パンニャーナンダーラーム」と 同じ空気がありました。 
 
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この「ワット・アショーカラーム」の歴代のお坊さん方は 瞑想修行に優れ、予知能力がある方もいるそうです。

一つの立派な建物に入ると、そこにはタイの歴代の高僧の 等身大の座像が置かれ、その前に、その高僧の遺骨の一部が 綺麗な宝石入れのような透明の容器に入って置かれていました。

なんと、高僧の博物館!なのです。 驚きました。そして、大いに納得しました。 このような施設があると、仏教の実践も、とても身近に感じられ ます。

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仏道修行を続けて行けば、いつかは自分もこのような高僧方の ように「アラハン」と呼ばれる精神が自由な境地に届くのだ、という 「ブッダの教え(ダンマ)」が現実味を持って来ます。

先日亡くなられたマハーブア高僧の像や、タイを代表する 近代の高僧アーチャン・チャーや、その師僧だった アーチャン・マンの座像もありました。

何でも、高僧方の遺骨は、だんだんと色が変化して行って、 クリスタルのように輝いて行くことがある、のだそうです。 確かに、綺麗な容器に入れられて展示されているので、 遺骨とは思えません!

このように、高僧が亡くなられると、その遺骨は各地に分配され、 貴重品として扱われるようです。

ペイさんは、他の用事が無い限り、毎週日曜日にはこのお寺に 来て、法話を聞いたり、瞑想をされるとのこと。 そして、今のSWUコースが終わったら、このお寺でもヨーガの クラスを持つことも決まっているそうです。


○ ヨーガの役割


インドでも、タイでも、独身の女性はとても宗教熱心です。

特にタイでは、お寺の活動に参加しながら、社会奉仕活動にも 積極的に参加して行くことが多いです。

生き物の根本的な活動は、子孫を残すことですね。 人間も例外でなく、「結婚をして、子供を生み育てること」が 社会活動の根本にあります。

この枠に入らない人は、そのエネルギーを正しい方向に向けて 行かないと、こころやからだが病んで行くことがあります。

タイでは、積極的にダンマ(ブッダの教え)の枠に入ることで こころとからだのバンラスを取り、独身の人や子供のいない 夫婦の方も、実に幸せな人生を送っている人が多いように思います。

ただ、最近は、バンコクで都会暮らしをしている中産階級の人たちの
生活意識では、いきなり伝統的なお寺で、保守的な仏教の教えの枠に入ることは、そう簡単には出来ないようになっていますね。

なので、まずヨーガに親しむことが、有効なアプローチになっています。 まず、ヨーガでからだと呼吸を整え、瞑想で徐々にこころの準備を 進めて行くことで、ダンマ(ブッダの教え)の枠組みに入り易くなる
ことは、うちの回りのタイのメンバーの実績を見て、確信できます。
 
 
 
4)SWUコースのクリヤー・キャンプ
 
9月第3週の週末、16日(金)ー18日(日)の2泊3日で SWUコースの第2回目の合宿、クリヤー・キャンプがありました。

このレポートも、バンコクで2ヶ月のインターンシップを過ごされた C.A.さんのフィードバックでも掲載されています。 
http://hhyoga.blogspot.com/2011/10/20113.html

 
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○ 実習するクリヤーの技法


合宿の前の週のクラスでは、みんなでクリヤーの実習写真を 見たりして、受講生のみなさんは大いに期待が高まっていました。

クリヤー・キャンプで実習する技法は次のようなものです。
・ネーティ・ポットを使ったジャラ・ネーティ
・水を使うゲーランダ・サンヒターのカパーラヴァーティ 
・フード・チューブ(病院で使うもの)を使ったスートラ・ネーティ
・嘔吐反射を豪快に使うボーマン・ダウウィ
・ろうそくを使った夜のトラータカ 
  
大方のひとは、スートラ・ネーティで片方、または両鼻とも 通すことが出来で、大いに達成感に浸っておられました。

面白かったのは、 今年の受講生に麻酔医の女医さんがいるのですが、 どうもフード・チューブを見ると、職業意識が目覚めるのか(?) 皆の鼻にチューブを差し込む手助けをして回っていました(笑)。

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ヴォーマン・ダウティの方も、最初から豪快に嘔吐反射を使って 飲んだ水を吐く人、吐こうと思ってもなかなか吐けない人と、 さまざまでしたが、2日目になると要領を心得てか、気持ちよく 反射を使って吐いていた人が多かったようです。
 
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ハタ・ヨーガの技法は、身体の反射を上手に扱って行きます。 これは、練習して行かないと、なかなか分らないものです。

体内の反射のメカニズムが分って来て、それを自覚的に扱える ようになって来ると、健康の維持増進の観点からも、 効果絶大です。

生徒さんにダウティの体験をしてもらったので、 講義のクラスで、カイヴァリヤダーマ研究所のディプロマの学生 であったK.M.さんがモデルになっているビデオを皆んなで見ました。
http://www.ajamichael.info/movie

ヴォーマン・ダウティ、ダンダ・ダウティ、バストラ・ダウティの 3つのダウティのビデオを見ながら、一部体験済みの皆さんは、 怪訝な顔をしながらも、大いに面白がってビデオを見ていました。

中には、「この合宿で包帯を食べるのはやらないの?」 という人もいて、K.M.さんが簡単に、美味しそう(?)に包帯を 食べるビデオを見て、自分もやってみたくなったのでしょうか。 ビデオの効果あり!ですね。 
 
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○ 複合技の練習へ前進

クリヤーの実習の他、2回目の合宿では、大学のクラスでは 練習しない壁を使ったシルシ・アーサナや、クッションでサポートを 入れたサルヴァーンガ・アーサナやハラアーサナも紹介し、 無理してアーサナをやることは全く無意味!いかに安全に実習を 続けて行くか!ということが強調されました。

そして、アーサナにあまり比重を置かないこと、
からだにこだわりすぎないこと、次の、プラーナーヤーマに進むことの大切さを、ハタ・プラディーピカーを引用しながら説明します。

ハタ・プラディーピカーの1章アーサナの章の終わりの部分と、 2章のプラーナーヤーマの章の始めは、とても大切なところです。

クラスでは、サンスクリット語の原典を読み解きながら、詳しく 解説されています。

プラーナーヤーマでは、この合宿からバストリカーの練習をスタート しました。 バストリカーの実習が入って来ると、その後の瞑想で 一段と集中度が増し、クラス全体の雰囲気が深まって行くのを 感じます。

センターの回りの自然環境と、合宿という条件の相乗効果もあり、 広いホールがし~んと静まりました。

それまでの12週間で学習して来た個別の技法の積み上げが、 複合技のバストリカーやマハー・ムドラーの練習に入ると生きて 来ます。

そうなると、ハタ・ヨーガの洗練された技法の意味が、 実感として判って来て、ますますヨーガの面白さが深まります!
 
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5)ミャンマーの休日


SWUコースも順調に進み、2回目の合宿も終わったので、 私たちの役割は一段落しました。 これからは生徒さんたちのクラス実習も始まり、 うちのタイ・チームの役割の比重が増えます。

それで、9月の最後の週末、9月23日(金)ー26日(月)の 3泊4日で、タイのお隣のミャンマーのヤンゴン(旧ラングーン)に 出かけました。

Picasa上にミャンマー訪問のアルバムがあります
https://picasaweb.google.com/hhyoga/2011MYANMAR_Yangon

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○ ミャンマーへの興味

24年前、私たちがヴィパッサナー(Vippasana)を始めた頃、 ビルマ(現ミャンマー)の僧院で伝承されて来た指導法で学んだ のです。

そのヴィパッサナーの指導法は、1980年代以降、インドでも たいへん広まって行きました。ビルマに生まれ、ビルマの先生に 指導を受けたインド人の先生が、インドで教え始めたからです。

すなわち、 「もともとインドのブッダの瞑想法であるヴィパッサナーが、 インドの外で現代にまで継承され、再びインドに還って来た」 という展開です。

それで、私たちも、当時インドのヨーガへの興味と平行して、 ビルマの仏教の教えや瞑想法に興味を持ったのです。

ビルマは日本にもなじみの深い国ですが、1962年の クーデター以降軍事独裁となり、事実上鎖国状態が続いて いましたし、1980年代後半の民主化運動・総選挙の動乱で、 さらに混迷した状況となりました。

1991年には国名もビルマからミャンマーに、 首都名もラングーンからヤンゴンへと変わりました (現首都はネビドー)。

観光旅行での入国でも、ビザ発給の条件が厳しかったり、 外国人は歓迎されていない状況が、長く続いて来ました。

その後、私たちはインドでのヨーガ研究が始まりましたし、 タイでの仕事が始まってからも、なかなかミャンマーを訪ねる
機会はやって来なかったのです。
 
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○ 念願のミャンマー訪問

 
しかし、長年停滞して来たミャンマー情勢も、近年ようやく進展が 見られ始めたようです。一応総選挙が行われ、今年の3月から、
ようやく軍政から民政に政府が移行しました。

それで、今年は、ついに私たちもミャンマーを訪れることになった
のです。バンコクからエアー・アジアが就航して、エコノミーに行きやすくなったことも動機ですね。

今回のミャンマー訪問は短期でしたので、ヤンゴンだけにしました。 ヤンゴンのシンボルであるシェラダゴン・パゴダの近くの ゲスト・ハウスに滞在し、シェラダゴン・パゴダ参拝や、国立博物館を 見学することに目的を絞りました。

シェラダゴン・パゴダはゲスト・ハウスから歩いて行ける距離にあり、 私たちの部屋からも、夜ライトアップしたパゴダが美しく見えました。 もちろん日中も、黄金に、ぴかぴかに輝いていました。

初日の23日(金)に、ヤンゴンに到着したのは午後6時過ぎです。 その日は予約しておいたゲスト・ハウスにチェックインしただけで 休みました。 

  
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○ シェダゴン・パゴダ参拝


翌朝24日(土)に、さっそくシェラダゴン・パゴダに参拝。 長い参道を歩いて、さらに階段を上って行くと、受付カウンターに 座っている人が近づいて来て、入場料1人5ドルを払うよう言われ ました。

入場料を払うと、胸にシールを貼って呉れ、境内に入れます。 シールにはマジックで日付が書いてあり、その日だけ有効。 入場料は外国人だけで、ミャンマーの人は無料のようでした。

女性はもちろん、ここでは男性の服装も、上はワイシャツですが、 下は布を巻く民俗服のロンジーを着ているので、ズボンを はいている私たちは、すぐ服装で外国人と分かります。 
 

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参道を登りきったところに中心のパゴダがあり、その周辺にも おびただし数のパゴダが建っています。全体の存在感に 圧倒されました。

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シェラダゴン・パゴダは凄いとは聞いていましたが、実際に行って見て、 その規模と偉容に、たいへん驚きました! そして、土曜日でしたが、実に沢山の人々が参詣に訪れていました。

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仏像の前で祈る人、仏像に水をかける人、そして仏像の横にある 個室で瞑想する人.... あるいは、広大な境内に数多く建てられているホールの オープン・スペースで休憩したり、お弁当を食べたり、昼寝したり... ミャンマーの人たちにとって、パゴダは祈りの場であり、 憩いの場となっている様子が面白かったです。


○ 国立博物館


その次の日25日(日)には、ヤンゴンの国立博物館を訪ねました。 観るもの全てが不思議で愉しく、見応えがありました。 駆け足で2時間半、あと2回くらい、余裕で見て回れるくらいの
ボリュームが展示してありました。

そして、博物館のお土産売り場がなかなか充実していました、
と言うより、街中にお土産を売っているお店などを、全く見なかったせいもありますが。

国立博物館で、ミャンマーには沢山の民族の人がいることが
よく解りました。主要な8部族間を治めることが、統一ミャンマーを維持する大きな障害となっているようです。

そういえば、8月にワンサニット・アシュラムに滞在していた時、 丁度アジア人のNGOグループのセミナーがあったのですが、 セミナーが終わって話しかけて来た人に、どこの国ですか?
と尋ねたところ、「クチン」という名前が返って来ました。

私たちは、ワンサニットのスタッフから 「インド、ミャンマー、などの国の人たちのセミナー」と聞いていたので、 「ミャンマーですか?」と聞きなおしても、「クチン」としか 彼は言いませんでした。
(正式にはカチン族のようですが、私にはクチンと聞こえました)。

どうやら、今でもカチン独立運動や、カレン民族開放軍といった
組織があるようで、民族間の問題は根が深いようです。

一方では、最近、ミャンマーの社会状況が変化を見せ始めて
いますね。良いニュースを聞くようになりました。
 
9月30日には、ミャンマー国会が巨大ダムの建設工事の中断を決めた、というニュースが入って来ました。
 
このダムは、中国人による、中国の電源確保のためのダムで、 ミャンマーに環境破壊の犠牲を押しつけるものとして、反対の声が
大きかったのです。
 
このダム建設中断の決議は、国会を通じた民意の結集として、今後の大きな政策転換への象徴的できごとになることが予想されています。
 
早く、開かれたミャンマー、平和で繁栄のミャンマーとなることを
祈ります。

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○ 偶然ヴィパッサナー・センターへ、


さて、まったくの偶然だったのですが、
今回泊まったゲストハウスから歩いて10分ほどのところ、大通りから入る次の通りの奥に、なんと「ヴィパッサナー・センター:Dhanma・Joti」があったのです。

これは、私たちも実践している指導法のヴィパッサナーの、 インド人のS.N.ゴーエンカ先生系の瞑想センターなのです。

そして、入り口の受付けには、ゴーエンカ先生の先生、ミャンマー人のサヤジ・ウ・バキン先生の大きな肖像画が掛けられていました。 

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このセンターは、古くて大きなお寺の敷地の一部に建てられて
いるようです。小さな橋を渡って、ヴィパッサナー・センターのキャンパス内に入ります。

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周辺は、まったく普通の住宅地です、というか、村です。
小さな露天のマーケットが立っています。インドの村のようです。センターのオフィスまで行ってみると、上品そうな年配の男性が出てらして、しばらくお話をしました。

今センターでは、10日間コースが進行中で、この後、
45日間コースが始まるとのこと。その方は30日間コースを2回修了したので、今回始めて さらに長いコースに参加する、ということを嬉しそうに話されていました。

やはり、ミャンマーでも、ゴーエンカ先生のヴィパッサナーを
されているのは、中産階級でインテリの方だな、と納得した次第です。

 
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